芝浜スピンオフ~思い出は夢の向こう

あっという間でした。

あの人と一緒になって、いろんな事がありました。
商売もせずに毎日呑んだくれて口喧嘩をしたり、
仕事に口出しして「おめぇにゃ関係ねぇ!」と叱られたり。
でもね、いいところもあったんですよ?
たまに天神さまに行ったり茶屋で団子を食べたり、
落語やお芝居に連れていってもらったり。
そういう時は、大概前の晩に喧嘩しているんですけどね。

ああ、一番は四十二両を拾ってきた日。
あの時はビックリしました。
てっきり商売するのがイヤで、大店に押し入ったかと思いましたから。
芝の浜で拾った。こりゃあ神様の思し召しだ!
毎日呑んで騒いで楽しようってぇこんだ!
そんな事はお天道様が許しても、私が許さなかった。
あの人が一眠りして目覚めた時に
「夢だ、そんなお金なんて見てない」とごまかしたけど。
まさか3年もばれないなんて…あの人が単純で鈍感でよかった。

四十二両の事を打ち明けても、あの人は変わらなかった。
毎日商売に精出して、酒を呑むのも大晦日と正月くらいで
それも奉公人とのねぎらい酒のみ。
それ以外は他の人に勧められても断っていた。
「また夢になっちゃあいけねえからよ」と笑いながら。
あの大晦日の夜以来、あの人の口癖になった。

もういないんですねぇ…
通夜が一週間前に、お葬式が昨日やっと終わって。
あの人を慕って、本葬には間に合わなかったがお焼香だけでもと
来る人が何人いたんだろう?
呑んだくれていた時のお友だちも、商売が大きくなってからの知り合いや
仕事でお世話になった方など、大勢の人がうちの人を送ってくれた。
奉公人もいい子ばかりで、商売は彼らに任せる事になったけど
「これからは私たちがおかみさんのお世話をしますから」と
離れの広い部屋をあてがってくれた。
子供はできなかったけれど、神様はこんなにいい子達を私に届けてくれた。
いろんな事があったけどとても幸せ。
あの時の嘘が大きな幸せを運んできた。
本当に今の幸せが嘘みたいだ…

--------------------

目を覚ますと、そこは納屋のようだった。
外を見ると日が落ちて薄暗く、小雪がちらついていた。
すきま風が小屋の中に吹き込む。土間にはかまどがあり
天秤棒や桶、水瓶が転がっていた。
畳部屋には煎餅布団と小さな火鉢。
見覚えのある小屋だった…まさか。
あの人が呑んだくれて、釜の蓋が開かない日が続いていたあの長屋。

やっぱり。
世の中そんなにうまくいくわけはない。
あれは苦労が続いてる私に神様が見せてくれた夢。
あの人はまだ仕事もせずに、毎日酒を呑んでいるのだ。
四十二両を拾ったのも、それを隠していたのも夢。
現実がめでたしめでたしで終わるのは、お伽噺の中だけだ。
私は布団から起き上がって身支度し、朝ごはんの用意を始める。
あの人はまた朝帰り。友達と近所で呑んで帰ってくる。
しっかりしなきゃ!今度こそは商売してもらうわ!
でなきゃ店賃も借りてるお銭も返せないんだから!

「おぉ~今けぇったぞぉぉぉ~」
あんた!いい加減におし!毎晩こんなんじゃ釜の蓋が開きゃあしないわよ!…

--------------------

「ああ、やっぱりここだ。兄貴」
そこは貸間になっている長屋のひとつ。
土間に立っているおばあさんを、若い衆二人が見つけた。
「兄貴って呼ぶな!今はもう…」
「魚屋の旦那でしょ?でも兄貴って呼ぶ方がしっくりくるんだよなぁ」
「お前だって今は奉公人を束ねている番頭じゃねぇか!」
「いいよそんな肩書き。とおりもいいしさ」「全く…」
どうやら彼らはこのおばあさんを迎えに来たようで。

「あれまぁ~どこのどなた様?」
「冗談言っちゃあいけません。お迎えにきたんですよ」と魚屋の旦那。
「そうそう、あの世からじゃないですよ」と番頭。
つまんねぇ冗談言うんじゃねぇ!と頭をこづく旦那と、
こづかれる番頭のやり取りを見てふふっと笑うおばあさん。
さぁさ、一緒にお店に帰りましょうと促されるままについていく。

「旦那様の葬式が済んでから、様子がおかしかったもんな」
「しょうがねぇ。急に倒れちまってあっという間…だったからなぁ」
「いい旦那様だった…お二人は仲良かったし」
「一時ものすごく苦労もされたようだから、余計にきちまったんだろうな」
「ぼんやりされる事も多くなって…あの元気なおかみさんがさ、信じらんねぇ」
涙ぐんでる男の子をみつめて、この子はどうして泣いているんだろうと
おかみさんは思った。

もしもうちの人が一生懸命に働いて店を持てるようになったなら。
奉公人にするなら、こういう子たちがいいかしらねぇ...
彼女は“未来”に思いをはせていた。

「兄貴、どうしておかみさんはあの長屋に戻っちまうのかな?」
「俺たちにゃ知らねぇ夫婦の思い出が染みついているんだろうよ」
「そういうもんかね?俺にゃあわからねぇ」
「そういうもんなんだよ...たぶん」

二人が手に持つ提灯の明かりが足下を照らす。
雪降る夜なのに暖かく感じ、まるで夢の中にいるような。
きっとこの子達はあの人が遣わしてくれたのだ。
根拠はないが、彼等が私達を幸せにしてくれるのだとおかみさんは思った。

それだけは夢でなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?