明けまして。

2020年のうちに何かしら書き残しておきたかったのだけれど

何かと忙しかったり結局書く気が起きなくて、そのまま年を越してしまった。


11月、長らく施設にいた祖父の容態が急変した。

当初は肺炎で重篤と聞かされた。

その後1週間程度で安定して救急病院からは移動できたのだけれど

結局その後1週間程度で亡くなってしまった。

亡くなる数日前に久しぶりに会いに行った。コロナの影響で施設も病院も面談1人までと決められていて、ここ数ヶ月ずっと会えていなかった。

ここ何年も記憶が朧げになりつつも、数分間で何度も同じ話を繰り返しつつも笑顔で会話してくれた祖父。

久しぶりに会えたと思ったら苦しそうで、呼吸をするのがやっとという感じだった。

意識があるのかないのか、たまに目が開いたりするけれど焦点が合っておらず声掛けに答えてくれることもなかった。

正直、見ているのが辛かった。

生き続けてほしいけれど、

こんなに苦しそうにうなされながら息をしているなら、早く楽になってほしいと思った。

亡くなった知らせを受けたはその数日後だった。

悲しいことには間違いないけれど、ほっとした気持ちもあった。

こんなふうに思うのは、私が残酷だからだろうか。

母は1年のうちに両親を亡くしたことになる。親を亡くすのはどんな気持ちなのだろう。

祖母を亡くしたときもそうだったが、2人ともあまりに急に逝ってしまうものだから、母も相当に苦しんでいた。

気持ちのすべてを分かりきれないのと、こればかりはどうにも寄り添うことしか助けることができないのが私も心苦しい。


私の両親や親戚は、先に亡くなった祖母が寂しくて、祖父をあの世に呼んだんじゃないかと言った。

私は単なる寿命だと思うけれど、

でももし意味をつけるなら祖父は、祖母が先に逝くのをずっと待っていたんじゃないかと思う。

祖父は脳梗塞で倒れてからはずっと施設に入っていた。もう10年以上も。

よく頑張ったなぁと思う。

祖母はずっと介抱をしていて、癌に気づかないまま急に亡くなった。

祖父はしばらく会いに来ない祖母の様子を聞いてくることはなかったらしい。私達も聞かれるまでは祖母のことは伝えない方針だった。

でももしかしたら察してはいたのかもしれないと思う。

祖父は責任感が強くて、男らしいかっこいい人だった。

きっと寿命だった。

でも何かこじつけるならば祖父は、祖母をこの世界に一人残して逝けなかったんじゃないか思うのだ。


年明けはと言えば喪が明けていないからひっそりと正月を過ごしている。

とはいえ毎晩酒は飲んでいる。毎晩献杯をしている。

母はため息が多いけれど、年が明けるという区切りがあったのは多少なりよかったような気もする。少しずつ元気を取り戻している感じがする。

2020年は いいことも よくないこともたくさんあった。

2021年も こんなご時世だから色々と大変だろうと思う。

でもいいことが全くないなんてことはないはずだから、楽しみを見つけつつ

困難も前向きに進めたらと思う。


今年もてきとーに、まとまらない思いをそのまま書き残していこうと思う。


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