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あなたの受ける分を七つか八つに分けよ。

日に日に増していく息苦しさを感じつつも、呑気にレジャーを楽しむわけにもいかない大型連休を前にして、「仕事でもしようかな」と考えている大人は多いのではないだろうか。

しかし私はここで断定する。連休に仕事をしてはならない。

現実がしんどい人は、本を読むといい。特におすすめしたいのが、「コヘレトの言葉」だ。いまという時を生きるにあたって、これほどまでに「護符としての言葉」に満ちた書を私は他にしらない。

そして、この本を人にお勧めしたいと思ったのだが、うまいこと書けなかった。できそこないの現代詩みたいになっちゃいそうになったので、恐れ多いが引用させていただきつつremix的な感じでというかsampling的な感じでお届けしたいと思った次第だ。

コヘレトは言う。
空の空
空の空、一切は空である。

家事育児のかたわらで、鳴り止まないウェブ会議とチャットツールに追い立てられる「新しい日常」。
顔が見え、声も聞こえるのに、一番肝心な「息づかい」「温度感」が感じられない、テレカンファレンス。外回りの合間の小休止はなく、共有されたスケジュールに隙間があればそこに誰かが打ち合わせをねじ込む。一瞬の空隙さえあれば、大きなお尻をねじ込む満員電車のように。まさかの形で「大・リモートワーク時代」が幕開けとなったわけだが、通勤というペインを免れることができたとしても、それを補って余りあるストレスが、たしかにある。

人は自分の時さえ知らない。
不幸にも魚が網にかかり
鳥が罠にかかるように
突然襲いかかる災いの時に
人の子らもまた捕らえられる。

スマホを開いた先にある、ゲームや動画で一瞬の現実逃避をするのか、それともあくまで「意識の高さ」を貫くか。しかし、FacebookやInstagram、はたまたニュース配信アプリやなんかで、リアルが充実した方々のご高説をポルノ的に消費するのもまた現実逃避には違いないのである。さりとて、Twitterやヤフーニュースで呪いの言葉に溺れるのも決して救いにはならない。
上を向けば遥かに上があり、下を向いてもまた同様である。

太陽の下、さらに私は見た。
裁きの場には不正があり、
正義の場には悪がある。

ニュースに目を向けるにつけ、政治家にも官僚にも失望するばかりで、かといってメディアを通じて目に入ってくる「民衆の声」とやらも的外れな意見の雨あられ、メディアも有識者も本来あるべき機能を果たしていないように見える。いやあるいは、現代社会というシステムそのものがもはや欠陥だらけなのではないか。なぜ戦争も暴動もクーデターも起きずに、こうして生きながらえていられるのか、それ自体が不思議にすら思える。
厭世的な気分におそわれている人も、多いんじゃないかと思うのだけれども、世の方々はどうなんだろうか。

それどころじゃない、という人もいるだろう。
いや、むしろ、そういう人の方が多いのだろうか。

たらふく食べても、少ししか食べなくても、
働く者の眠りは快い。
富める者は食べ飽きていようとも
安らかに眠れない。

明日支払わなければならない家賃を、ローンを、給料を、買掛金を、どうやって都合したらよいのだろうか。そんな切実というには切実すぎる課題が社会全体に一気に訪れてしまった。それをチャンスだという人もいる。不正義を、不公平を、許せない人もいる。

あなたのパンを水面に投げよ。
月日が過ぎれば、それを見いだすからである。
あなたの受ける分を七つか八つに分けよ。
地にどのような災いが起こるか
あなたは知らないからである。

私には言葉が足りないから、コヘレトの言葉に触れて自分のなかに起きた感動を表現することができないでいる。しかし間違いなく、これこそ「生きる」ということだと思ったのだった。

乱世の哲学。プロジェクトの思考。

食べること、飲むことの喜びを素直に喜ぶこと。働くことを、働けることを喜ぶこと。

なんで自分ばかりこんな目に、と、問いたくなったとき、その問いを逆転させる。「こんな目にあった自分」こそがいかに生きるかに答えを出せる。良いことは悪いことに繋がり、悪いことは良いことに繋がる。

生きるということの実相に、キリスト教も仏教もない。本質は繋がっている。そういうことを教えてくれる一冊だった。

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