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パト2

 最近、パト2のことが再び気になっていて、小説版を読み返し、レイアウト集を眺め、映画も観返したりと、そんなことをやっていた。

 欺瞞の平和。正義の戦争。真実は戦争にのみ宿る。しかし、そもそも戦争それ自体が、現実的であったためしはない。
 正義とは、テロリズム=異議申し立てであると、この映画は、言っている。

 ちょっと待て、おかしいじゃないか。それだけが唯一のメッセージである。言葉だけでは、人には届かない。相手にわかるように、演出しなければ、ならない。あらゆる言葉を掻き消す言葉=ホワイトノイズによってのみ、それはなしえる。それだけで、いい。

 この作品の、圧倒的な暴力性。

 それは、身体的な暴力ではない。思想的な暴力である。

 この作品以上の政治的言論が、我が国においてかつて存在し得ただろうか。"現実"社会の政治的言論の貧困さを思う。
 それは政治家や官僚の問題ではない。それもあるかもしれないけれど、この列島で暮らす一人ひとりの問題なのだろう。
 日々の暮らしのなかで、己のことを、社会のことを、世界のことを、考えること。なんにも見えていない、無明のなかにいることに、気づくこと。
 詩人やアーティストは、気付きへのきっかけを作品に結晶化させる。娯楽のなかでそれをやることの、馬鹿馬鹿しさというか、野蛮さ。そのテンションの高さにもまた、共振する。

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