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時間

 2012年に日本で公開された映画「TIME」はご存じでしょうか。

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 人類が遺伝子操作で25歳から年を取らなくなることが可能になった。人口過剰を防ぐため、通貨時間となり、人々は自分の時間で日常品から贅沢品まで支払うこととなった。また、通行料も時間で支払う必要があるため貧困層の地域と富裕層の暮らす町は実質的に隔離されている。
 裕福な人、すなわち時間を十分に持っている人たちは永遠にも近い時間生きることができるが貧困層の人々は働くことでわずかな時間を給料として受け取り、生活していた。
 左腕に光る時間表示が0になるとき、人は命を落とす。自分の腕を上にして相手の腕をつかめば相手の持っている時間を奪い取ることができる。
  一秒一秒が無駄にできなくなった世界で、スラム街で暮らす主人公は時間を奪うことで生活をしているマフィア集団から富裕層の男を救う。富裕層の男は自分の時間をすべて主人公が眠っている間に与え、置手紙を残して時間切れで死亡してしまう。
 主人公は117年という時間を手にするが、母親が不平等な社会の仕組みのせいで時間切れになり息絶えてしまう。復讐を誓った主人公はスラム街を飛び出し富裕層が集まる場所に行くのであった。

 「Time is Maney」を表現した映画です。「時間=お金=資産」と言えます。時間は有限です。しかし、お金は無限です。お金で時間を買えます。
 作中では、時間で時間を働かせるシーンがあります。時間を投資しさらに時間を得るということをしています。
 例えば、歩いて2時間かかる場所へ、車を使えば30分で着くとすると、1時間30分を得ることができます。一方で、この2時間を健康のために、もしくはその過程で発見、経験が得ることもできます。
 どちらも自分の将来のために選択することで、その時間の価値を買ったともいえます。

◎時間とは何か?

 「時間」という言葉は、一般的には、「時の流れのある一瞬の時刻」、あるいは、「ある時刻とある時刻の間の長さ」の意味で使われています。
 しかし、「時間とは何か」といざ問われると、心理学・生物学・哲学・自然科学・物理学・宇宙論など、様々な分野の切り口があり、また、その時代によっても、多くの定義や考え方があり、なかなか一概には説明することができません。
 私達が日常的感覚で捉えている時間とは、過去から現在、未来へととめどなく流れていくものです。そして、過去は変えられず、未来は決まっておらず、現在を生きています。

◎様々な切り口

 ニュートンの「絶対時間」の考え方は、「時間はいつでもどこでも、常に同じ速さで流れる」というものです。
 つまり、「宇宙のどこに置かれていても、すべての時計は、無限の過去から無限の未来まで変化せずに同じペースで同じ時間を刻む」、そして「空間はどこも均質で、無限に広がっている」というものです。

 アインシュタインの「相対時間」の考え方は、「時間の進み方は、観測者同士のすれ違う速度(相対速度)が小さいうちは眼に見えた時間の差とはならないが、相対速度が亜速度(光速に近い速度)になってくると、眼に見えた時間の差が現れてくるので、どんな時でも一定ではなく、観測者によって異なる」と主張しています。

 日本人の曹洞宗開祖、僧侶の道元は、「(仏は)あるとき(有時)は高い山頂に立ち、あるときは深い海底を行く….松や竹にも時間はあり、我にも時間はある….存在とは時間であり、時間とは存在である…時間がなくなってしまえば、山や海もなくなってしまう….時間があるということは、生きているということだ….(口語訳)」
 「有時(あるとき)」とは、「有(空間・存在)」と「時(時間)」、時間と空間・時間と存在は、常にひとつで、私たちの人生は、常に「今・ここだけ」にあること。静止している松などの植物も人と同じように、時間と空間を構成しているものだ、と考えたのです。

 動物の大きさと心臓の鼓動、寿命には密接な関係があって、一般的に体重が重くて体が大きな動物ほど長生きをします。
 体が大きい動物ほど心臓の鼓動は遅く、たとえば、ネズミの心臓は、おおよそ、0.1秒に1回、ヒトは1秒に1回、ゾウは3秒に1回鼓動します。心臓が1回打つ間に消費されるエネルギー量はどの動物でも同じで、心臓が約15億回撃つと寿命になるそうなので、ネズミの寿命は短く、ゾウの寿命は長いということです。
 それぞれの動物がその進化の過程で、同じ1日でも、体重やサイズによって、設計されている一生の時間の長さや、おそらく感じている1日の長さが違うというのは、非常に興味深い話です。

◎時間は存在するのか?

 お金があることで、私たちはコーヒー1杯を買うたびに何と物々交換するかを話し合わなくてすみます。しかし、お金自体に価値があるわけではありません。
 同様に、時間があることで、白髪の数やしわの数と惑星の運行の相関を直接調べなくとも、白髪やしわが増えるという現象を示すことができます。
 だからといって、時間というものが自然に本質的に備わっているわけではありません。

 なぜこの世界に「時間」というものが存在しているように見えるのでしょうか。
 時間が存在しない静的な世界において、その一部分で起きている出来事の関係性を示すことで、あたかも時間が存在するかのような振る舞いを示します。
 日常的に時間を感じるのは、自分自身を世界から切り離して、物事を見ているからこそかもしれません。

内容について気になる、お話してみたい、コーチングを受けてみたいなど、お気軽にご連絡ください。
Mail : youhei_machiya@outlook.com

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