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139.(83/365) 散ることに想う。

桜の花が一斉に開花した。
自宅のすぐそばを流れる川沿いに桜の木が最寄駅の隣の駅までずらっと植えられている。
春になると、その道を通るのが密かな楽しみになっている。
今日、出かける時に、バイクで桜並木の前を少し通った。
今日の雨ですでに散った桜の花びらが、川面に浮かんでいるのが見えた。
咲くのも早いなと思っていたけど、咲いてから散るまでも早い。
早すぎる。
そないに、儚さを極限まで高めんでもええやろうに、と思ってしまう。
温暖化の影響もあって、開花時期が早まっているのだろうか。
ついこの前まで咲くのを楽しみにしていたのが、今では散るのを儚んでいる。
これから生まれるものへの喜びと、生まれたものが失われてしまう寂しさがほぼ同時に押し寄せてくるのは、春の醍醐味の一つかもしれない。
生成と消滅が繰り返されるのが、生命の間合いであるなら、その間合いは、春に1番現れているのかもしれない。
散ることで失われるものに目を向けると、寂しさや悲しさにフォーカスしてしまう。
けれど、その喪失の裏には必ず生成が同時に起こっているということに思いを馳せるならば、そこに喜びや希望を見出せるかもしれない。
散ってしまった桜の花びらを見ながらそんなことを思った。

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