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145.(89/365) メンター。

みなさんには、メンターがいるだろうか?
ぼくには、2人のメンターがいた。
1人目は、初任校で出会った2人目の校長先生。
「校長先生って学校のボス!」と思っていた僕にとっては思っていたのと違う人だった。
その人は、校長先生というより「ぼくらの担任の先生」と言った方がしっくり来る関わり方をする校長先生だった。
まず思い出すのは、まあ、しょっちゅう教室にやってくること。
本当に誇張などなく、1日に1回は教室にやってきた。
そして、フラフラ〜と教室に入ってきては、学習する子どもたちの様子をニコニコ眺めているだけ。
気づくとどこかに行って、いなくなってしまっている。
きっと別の教室を覗きに行っているんだろう。
放課後になると、おもむろに声をかけられて、校長室に呼ばれ、その日の授業についていくつか質問をされた。
答えられるものもあれば、考えたこともなくて答えられないこともあった。
けれど、どの質問に対する答えの受け止め方にも共通していたのは、ぼくが全力で取り組み、前向きにチャレンジしたことは全面的に認めてくれたことだった。
逆に言うと、あまり考えず、手を抜いてやっていたことはすぐにバレた。
でも、決して声を荒げて怒られるのではなく、どうすればいいか一緒に考えてくれた。
ぼくに変なあだ名をつけたり、職員室で立ってお茶を飲んでいたら、後ろから膝カックンしてくるようなお茶目な一面もあった。
ぼくは、この校長先生と3年間一緒に働かせてもらった。
今思えば、本当にいろんなことを教えてもらい、鍛えてもらったなと感謝しかない。
退職されてからもたまに、悩んでいることがあれば、ご自宅に伺ってお話をさせてもらったりした。

2人目は、同じく初任校で、最後の一年を共に過ごした年上の女性の先生。
同勤したのは一年だけだったが、この方とはそれまでにも市内の国語の研究会でずっと一緒だった。
実践をバリバリ積んでこられた方で、その子どもたちへの熱量の半端なさと実践に対する真摯さに、尊敬の念がとどまるところを知らない。
この先生から「誠実に、謙虚に、一生懸命」というあり方を学び、それは今でもぼくのあり方の根っこにある大切にしていることの一つになっている。
今は、別の学校の校長先生になられたけれど、つながりはずっとあって、ちょくちょく飲みにも行くし、地区の研究会の事務局としてもずっと一緒にお仕事をさせてもらっている。

そして、3人目のメンターが、今の職場にいる年配の男性の先生。
この方の何がステキって、いわゆる「できる!」ってオーラを一切出さないこと。
そして、なんなら、ふとしたときに、「暇そう」な佇まいをしていること。
1mmの冗談もなく、本当にステキな先輩なのだ。
暇そうに見えるので(実際、全くそんなことはないのだけれど。そして、めちゃくちゃ全体を見てバランスを取って下さっている。)、ついつい話しかけてしまう。
で、気づけば,雑談でスッキリして、心も体も軽くなって、元気になってたりする。
悩みごとを相談しても、アドバイスはしないで、ただ、「ふん、ふん。」と聞いてくれる。
本当にステキだなあと思う。
そして、こういう先輩でありたいなあと密かに目標にしている。
面と向かって「目標にしてるんです。」とか言ってしまうと、恥ずかしがって、嫌がる姿がありありと浮かぶので言わないけれど。

3人とも、「にょんのメンターになってやろう!」と思って「みずから」関わってはいないと思う。
3人とも、それぞれに自分の中にしなやかな軸を持っていて、それは哲学とも呼べるのかもしれない。
そんな姿に「おのずから」ぼくは3人のことをメンターと勝手に呼ぶようになった。

気づけば職場でも上から数えたほうが圧倒的に早いポジションになった。
関わる若手も年々増えている。
でも、ぼくにはぼくにできることしかできない。
ぼくには、ぼくを変えることしかできない。
それを続ける中で築く関係性があり、その関係性を前提とした相互作用の中で、結果として何かが変わることがあれば面白いなあと思う。

明日から新年度の仕事がスタートする。
3人のメンターの姿を心に持ちながら、自分のペースで面白がっていける一年にしたい。

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