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自己紹介がてら、私の幼少期を少し書いてみた。

私は両親が共働きで保育園に預けられていた。
母は看護師(准看護師) 、父は会社員?だった、多分。
そして、2歳下の弟がいる。

思い返すと年中か年長だった頃かな?
親が迎えにくるのが遅い日が続いていた。
迎えに来るのが19時とか20時だった。
だが、ある日、20時を越えても迎えが来ない。
心配になった先生が電話を掛けた。
その日は父が迎えに来る日のはずだった。
だが、父には連絡が繋がらず、結局、母が迎えに来た。
当時、母が物凄く怒って迎えに来たのを今でも覚えている。
母はこの日、夜勤だった。
夜勤を抜け出して迎えに来てくれたのだった。
それから暫く経ったある日、父が保育園に迎えに来た。
車に乗って帰ってる途中で、「何か欲しいものある?」って聞かれて、お菓子を買ってもらった。あんまり物買ってもらった記憶無かったから、めちゃくちゃ嬉しかった。

でも、それが父との最後の会話だった。

後日、母から父と離婚したことを告げられる。

そして、母の実家の近くの市営団地に住み始めた。

そこから、苦しい、苦しい貧乏時代に突入してしまう。

母はシングルマザーになり、看護師を辞めドコモショップで働き始める。夜スナックに手伝いで働きに行ってたこともあったような…

だから、夜、兄弟2人で留守番してた事もあったし、良く母の実家に泊まりに行ってた。


恐らくだけど、子供2人を抱えて生活するには夜勤ができくなかったのかな⁇と思う。

当時の手取りは恐らく月に12〜13万とかだったんじゃないかな…

家族3人でとても生活できるような状態じゃなかった。

いつ聞いたかは覚えて無いけど、離婚した理由は父の借金だったと聞かされた。
本当はそれだけじゃないような気もするが…
そして離婚してから、その借金を返済しながらの生活だったらしい。母親って凄い。
ちなみに養育費なんてものは一切無い。

最低な父親だ。
ま、結局、今現在までどこでどう生きてるのか死んでるのかも知らないけれど。

その後、小学校になった私はあるスポーツと出会う。

そこからちょっとずつ人生が変わっていく。

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