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お客さんにありがとうと言われた話

  今日は、私の母のバースデーイベントに参加してきました。「新しいことにチャレンジする」というテーマで、参加者の皆さんの背中を押すというものでした。母をはじめ、色々な方がトークをしたり、舞台上で新しいことにチャレンジしたりというようなイベントで、母自身も今まで怪我を理由に出来なかった踊りというものの中から、新たなチャレンジしとしてよさこいに取り組み、その途中発表という形で今日のイベントにて披露していました。幼い頃から、運動が大好きなのに怪我が原因で思うように動けずにもどかしい思いをしている母を見てきたので、壇上で飛び跳ねたり回ったりして大きな声で合いの手を入れる母の姿を見て、「あぁ、やっと、自分に還ることが出来たんだな」と、涙ぐんでしまいました。「わたしに還る」というのは、母が掲げているキーワードです。私たちは生まれおちたそのままで素晴らしくて、生き抜くための全てのものを生まれ持っている。それを見えなくしてしまっている価値観や、思考癖などに気付き、元の、ありのままの自分を思い出しましょう。そういう意味を持った言葉です。

  私も、今回は「今まさにチャレンジしている新人俳優」として、壇上にて時間を与えられました。前々からちらほらと話は出ていましたが、正式にやることが決まったのは金曜の夜でした。なかなかにギリギリなんだよなぁ...。私にとって、人前で話すことはチャレンジではありません。自分を露わにすることもチャレンジではありません。なので私は、私自身がチャレンジすることではなく、「わたしに還る」ということをキーワードにしました。ちょうど私の出番の後、手放しのワークをやるという予定でした。手放しのワークというのは、生きてきた中で自分が背負ってきた、夢を追うことを阻んでいた罪を、贖って、それに対する執着を終わらせるというワークです。ボカロPの傘村トータさんの楽曲「贖罪」の歌詞になぞり、自分に当てはまると思った罪を手放していこうというものでした。

というわけで、私は「罪を贖う」ということにちなんで、「大切に出来なかった過去の自分」に対して「ごめんね」と言ってあげて欲しい、無下にしてしまった、自分の中に抱えている子供の自分に向き合って、ごめんねと言って抱き締めてあげて欲しい、という内容のことをしようと決めました。夢に向かって踏み出すためには、まず最初に過去の清算が必要だと考えているからです。今、新たに夢に向かって踏み出すために、夢を諦めてしまった過去を清算して欲しい、その重りを下ろして欲しいと考えました。
  私に与えられた時間はたったの5分でした。5分間で、無下にしてしまった過去の自分を思い出させ、見つめて、何かを考えてもらう。そのためのものを作らなくてはいけませんでした。有り難いことなのですが、ここ最近毎日がとても目まぐるしく、構想を文字に書き起す時間と気力がなかなか確保出来ませんでした。そして、当日会場へ向かう電車の中で、スマホのメモに急いで書き起こしました。
  書いたはいいけど、覚えられないんですよね。会場の最寄り駅に着いて電車を降りて、文章録音して、聞きながら読みながら会場に向かい、会場でもひたすらに聞いて読んで、ギリギリまでセリフ入れをしてました。「セリフが入んねぇ〜😭」なんて半べそかいてました。でも、なんとか、直前に全部入ったんですよね。まぁたった5分だったので、入ったんですよ。でね、いざ私の出番になって、「伊波悠希さんです!どうぞ!」って言われて、背筋をシャンと伸ばして、参加者全員の視線を浴びながら優雅に歩いて、登壇するわけですよ。登壇して、壇上から全員の顔を見渡して、そして、会場の空気が整うのを待つんです。皆さんの視線と、意識が私へ向いて、私の言葉を受け取る準備が出来るのを待つんです。そして第一声を発しました。その瞬間に、頭の中が弾けて、真っ白になりました。全部セリフ飛んだんですよね。あーあ、やっぱりダメだったか、って思いながらも、そこは私に任されたステージなので、5分間好きに使って良いと言われていたので、まぁいっかなんて思って、口から出ることを喋ってみました。舞台から降りてお客さんの近くに行って話したり、会話をしてみたり、自由にやりました。まぁその内容はまたいつか上げられたら良いなと思います。無事に終えたんですよ。ちゃんと5分に収まったのかは分からないんですけど、ちゃんと手放しのワークに繋げる、最高の会場準備が出来たと思います。私も母も、多分本質的に言いたいことは同じで、母は私の言葉全てを理解して、何が伝えたいのかを理解してくれます。だから一切打ち合わせ無しだった私の枠でしたが、スムーズに母にバトンが渡り、次のワークへと繋げることが出来ました。

  その後なんやかんやし、無事にイベントは終了しました。その後の写真撮影やちょっとした歓談の時間に、たくさんの参加者の方から声をかけていただきました。それ自体ものすごく嬉しい事だったのですが、そこで驚いたのは皆さん開口一番に口を揃えて「ありがとう」と言ってくるんですよね。自分はなんだかそれが不思議だなと思いました。舞台をやっていると、役者面会などで最初に言われるのは「お疲れ様」「良かったよ」などの言葉で、「ありがとう」というのも「誘ってくれてありがとう」の意であることがほとんどなので、自分のパフォーマンスした内容自体への「ありがとう」になんだかムズムズしました。単純に経験がないから、その「ありがとう」の受け取り方が分からないというだけだったのですが、本当に不思議な気分でした。初めての感覚です。味わったことがなくて、本当にただただ「不思議な気分」としか言い表せないんですけどね。
  全てが終わった後に、じわじわと、自分の言葉、表現そのものに「ありがとう」と言って貰えるという喜びを実感して、幸せを噛み締めていました。やるからには何かギフトを残したい、という思いで私は日々表現に取り組んでいます。あくまでギフトなので、無償だし、受け取るも受け取らないも自由で、受け取ったあとどうするかも自由なものです。今回私は、参加者の皆さんに過去の清算をして欲しい、子供の自分にごめんねと言ってあげて欲しいという思いを、この5分間にかけていました。皆さんからの「ありがとう」という言葉には、それぞれが何かしらを私から受け取って、何かしらが自分の中で起こって、それを「有難い出来事」として認識していただけたということが伝わり、ちゃんとギフトが渡せて良かったなと思いました。自分の言葉が相手の奥底まで届いて、何かを変えたというのは、役者としてこれ以上にない幸せで、皆さんの「ありがとう」という言葉は、役者冥利に尽きるものだなと思っています。

  私の言葉には、なんの特別な力もありません。ただそこに存在しているだけです。しかしそこに、私がその言葉にかける想いが生まれた瞬間にとてつもなく大きな力を持ちます。人を傷付け殺すことも出来るし、人を癒し救うことも出来る。そしてその私の想いが乗った言葉を、誰かが受け取ろうとすると、その言葉がもっともっと大きな力を持ちます。今回のステージは、とても温かい場所でした。皆さんが素直に私の言葉を受け入れて、私自身を受け入れて、私から何かを受け取ろうとしてくれました。人は受動的である限り、決して何かを受け取ることはできないのだと思っています。なので、今日出会った皆さんには、改めて言いたいです。私から何かを受け取ってくれてありがとうございますと。

  今日出会った皆さんと、46歳を迎えた母と、そしてあとちょうど8ヶ月で大人になってしまう私自身が、この出会いを経て、明日からまた今日とは違う世界を生きて、それが今日よりもっと希望に満ちたものでありますように。


伊波 悠希

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