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明日もきっといい日になる。

  私ね、小田急線ユーザーなんですよ。

  地元の神奈川県伊勢原市には小田急線しか通ってないから、どこに行くにも小田急線を使うんです。

  小田急線で行ける駅は、何処だって地元みたいに思うんです。

  それくらい、小田急線に親しみがあるんですよ。

  どこか遠出をする時、(と言っても、今は仕事でしょっちゅう都内に出るのだけれど、そういうのも私からしたら遠出なんです。)小田急線から、改札を出て別の路線に乗り換えると、「今から出かけてくるぞ」って気持ちになるんです。最近は、千代田線が小田急線に乗り入れるようになったので、東京メトロだけは何処まで乗っても"マイホーム"って感じがします。


  小さい頃から私は、電車に乗るのが好きでした。電車に乗るのは、家族でお出かけする時だけだったので、私の中で「電車に乗る=お出かけ」という方程式が出来ていて、「電車に乗る」という行為にワクワクする感情がアンカリングされてるんです。電車に乗って、物凄いスピードで流れていく窓の外景色を食い入るように見て、目に映る様々な興味を引かれるものについて、ずっと家族とお喋りするんです。飽きずにずっと見てるんですよね。
  大きくなって、スマホを持つようになって、行動範囲が広がって、電車に乗って1人で何処へでも行けるようになって、電車に乗る頻度が増えました。相変わらずワクワクのアンカーはかかったままだけれど、電車に乗ることに特別感なんてないんですよね。大きくなった私は、この片手に収まる小さい箱の中の世界に閉じ篭もることで忙しいんです。外なんて眺めてる暇ないんですよね。

  いつからか、この小さな箱が、私の世界を支配してしまいました。小さい頃は、電車で隣に座ったおばさんとお話する、たった1人と繋がるだけで楽しかった。しかし今は、今、同じ車両に乗っている目の前の誰かと繋がることよりも、この小さな箱を通して何千人何万人と同じ世界に存在して、より多くの人と繋がることの方が大事なんですよ。それが悪いことだとか言ってるんじゃないです。自分もつまんねー大人になっちまったとか言いたいんじゃないんです。ただ、目の前に広がる色鮮やかな世界よりも、この小さな箱が見せてくれる、人工的でカラフルな世界の方が私の目を引くようになっちまったってことなんです。ただそれだけで、ただ、そういう事実が、自分の中に存在しているんです。

  でもね、こうやって文字を書くのに行き詰まったり、SNSに飽きたりなんかすると、たまにふと、目線を窓の外に遣ってみることがあるんです。そうするとね、小田急線、とんでもない田舎を走ってたりするんですよ。

  住宅地とか、街中を走ってるのかと思ったら、前にも後ろにも緑がいっぱいなんてことがあるんです。
  地平線が見えるくらい開けた田畑の真ん中だったり、逆に空なんて見えないくらいに地面が近い谷合だったり。緑の中に、ぽつりぽつりとね、家があったりするんですよ。だだっ広い河にかかった橋の上にいる時は、水面がお日様に反射してキラキラと、魚の鱗みたいに輝いてたりするんです。どこまでも続く川が、まるで大きな龍みたいだなって思ったりして。私の使っている小田急小田原線、伊勢原-新宿間は、割と内陸を走っているから海が見えることは多分ほとんどないんですけどね、でもたまに別の路線だったり、伊勢原から降り方面を使ったりすると、海が見えることもあります。

  なんだかね。そういう景色を見ると、笑っちゃうんですよね。

  小さな箱に閉じ篭もって、(私は高卒の文系だから科学技術のことはよく分からないけど、恐らく)とても偉大なテクノロジーによって作り出された空間で、情報の波に揺られて、ものすごく発展した世界に生きているような感じがしていて、でも、あぁ、私の暮らす神奈川県は、まだこんなにも田舎なのになって。
  きっと私の見えないところで、そんな"田舎"も開発が進んでいるんだろうけども、それでもまだまだこんなにも自然が溢れる世界が身近にあるのに、人間の統治が進んだ、人間の作り出した世界ばかり見て、どんどん変わっていく世の中に、置いてかれないように必死になってたりする。

  私はこんなにも、優雅に移ろっていく大地に包まれているのに。

  そうするとなんだか、どうでも良いやーってなるんですよね。すごく拘ってたこととか、気を張っていたこととか。
  別に無理してキャラクターを作ってたとか、そんなつもりはないのだけれど、わざわざ派手な格好をアピールしたりとか、そもそも派手な格好をしたりとか。そんなのよりも、ジーパンを履いて、紺とかカーキとかグレーとか、パッとしない色の組み合わせの服を着て、髪の毛をカチッとひとつにまとめて、華やかじゃないし、可愛くない、だからと言ってクールとか、ボーイッシュとかでもない。そういうカジュアルな格好をしていた方がよっぽど私らしいし、肩の力が抜けている。可愛いものを着たい時は着るし、格好つけたい時は格好つける。オシャレをしたい時はするし、だけどそんな気分じゃない時はしない。それでも十分に、私は私だし、パッとしない格好をしていたって 、心配しなくても、私はちゃんと私の人生の主人公なんです。


  私は元々、田舎育ちの芋っ子で、全然お洒落さんじゃないし、かっこよくもない。それでも私はちゃんと楽しいし、幸せに生きていける。
  毎日のように都内に出て、広い世界に出て生きていかなくても、俳優なんてやらなくても、地元で就職して、地元で働いて、地元で結婚して。たまの休日にとびっきりのオシャレをして、電車に乗って遠出をしてみる。そんな人生でも、私はきっと楽しいし、ちゃんと幸せに生きていける。

  だからと言って、本当はそういう生き方をしたいんだとか、今の生活とか自分の夢を否定したいとかでは無い。のですよ。

  こう思ってる私は、明日もきっと、まぁ今はこんな状況で身動き取れなくなっちゃってるんだけど、1ヶ月後とか、半年後とか、1年後とか。要はこの先ずっと、変わらずに広い世界で俳優として生きていくことを望むんだと思う。

  そうだったとしても、「そうじゃなかったとしても、私の人生はちゃんと色鮮やかで、素敵なものになるのだろう」って思えてることが、私にとってはとても大事なんだと思うんです。


  その想いがあるから私は、今日も安心して非日常を追い求められる。

  本当に私は、幸せ者だなぁ。なんて。


伊波悠希

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