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40代女性が中絶する理由

まずはこちらのNHKプラスの記事を見て欲しい。

NHK報道局社会番組部のディレクターである市野凜氏の署名記事である。
市野氏は更年期障害や生理の貧困といったジェンダー問題の中でも特に女性の不利益についてクローズアップした記事を執筆しています。2023年には、望まぬ妊娠は100%男性のせいだとする書籍『射精責任』をNHKプラスで取り上げて話題となった。
今回の記事もそうした女性を取り巻く問題を扱ったもののひとつだ。


40代の中絶件数は20歳未満よりも多い

40代女性の中絶件数が10代のそれよりも多い!
とタイトルでも煽っているが、そもそも10代の妊娠それ自体が社会的に咎められる傾向にあり、そもそもの妊娠数に隔たりがあることが考慮されていない。
40代女性の中絶件数が10代のそれよりも多いことは驚くに値しない。

社会問題を扱う記事であっても、タイトルで煽り読者を誘うことには一定の意味がある。煽りタイトル自体は批判しないが、本文中で訂正や解説がないことは問題だろう。中絶というナイーブな問題を扱うにあたって不誠実な態度だと感じた。

40代の中絶は本当に多いのか

市野氏の記事中では、中絶に関するデータとしては中絶件数のみを提示し、主に取材した個々の案件に触れるという内容になっており、この問題を個々人の体験ではなく社会問題として語るにはデータ面が不足しているように思う。

当記事では追加の資料として一般社団法人 日本家族計画協会のこちらの記事を参照したい。

どちらの記事も中絶件数のソースとして厚生労働省の発表する衛生行政報告例を使用している。

こちらの日本家族計画協会の記事では、人口動態統計における出生数に中絶数を加えた総妊娠数を求めたうえで、妊娠総数に占める中絶の割合を導いている。
件数ではなく割合を見ることで、40代における中絶が他の年齢層と比較して多いかどうか確認できる。

家族と健康 第815号

グラフを見ると、さすがに10代ほどではないにしろ、かなり高い割合であることが分かる。
40代の中絶は多いと言っていいだろう。

中絶自体は減少傾向にあるが……

推移を見れば明らかだが、日本では1955年頃から中絶件数は下降の一途を辿っている。
(少子化の影響も大きいだろう)

また、同様に妊娠総数中の中絶の割合も年々減少していることが下記のグラフから読んで取れる。

家族と健康 第815号

このように中絶件数が減少する中で、40代女性の中絶件数はその減少幅が小さい。
件数ではなく、女子人口に対する中絶実施率を見ると、他の年代での中絶率が減少している中で40代はほぼ横ばいであることが分かる。

家族と健康 第815号

何故、40代の中絶だけが減らないのだろうか?
確かなことは分からない。
年代別の中絶理由の統計資料は発見できなかった。

避妊意識の低下説

冒頭の市野氏の記事では、40代の避妊意識が希薄であることを指摘している。
もう妊娠しないだろうという油断から避妊を怠っているがために予期せぬ妊娠をしてしまうというロジックだ。
"ありそう"な話ではある。
市野氏はこの説を補強する資料として、2022年にNHKが行った避妊方法についてのアンケート結果を提示している。

各世代の男性の主な避妊方法

40代から50代の男性で、主な避妊方法として「膣外射精」を挙げる人が多いのだという。
しかし、男性の主な避妊方法のグラフを見るに「膣外射精」あるいは「避妊はしていない」と回答した人の割合はあまり増えているようには見えない。5%に満たない。
女性は歳上の男性と結婚する場合が多いので50代男性の回答も確認するが、こちらは寧ろ40代よりも「コンドーム」や「ピル」といった避妊方法を選択する人の割合が大きい。

この5%に満たない避妊方法の変化が中絶率の高さに全く影響がないとは思わないが、大きな要因とは考え難い。

また、市野氏の記事では、男性の「膣外射精」回答に触れて避妊意識の低さを指摘する一方で、女性の回答については40代で「ピル」を選択する人が少ないことに触れ、40歳前後でピルの服用を始めることが血栓症のリスクを高めることが背景にあると指摘している。
『射精責任』の影響か、女性側の避妊方法の選択に対して市野氏の言及は少ない。ピルの危険性の喧伝は必要とは思うが、男性の「膣外射精」回答の多さを指摘するのであれば、女性の「膣外射精」回答についても数字を挙げて比較するべきだろう。
この辺り、主張ありきの引用で、データと向き合っていないように感じる。

各世代の女性の主な避妊方法

そもそも、妊娠・中絶をしているのは40代女性なのだから、40代女性の避妊方法をもっとよく見るべきだ。
(当然ながら、妊娠・中絶は女性自身の責任という主張ではない。あくまで、着目すべきデータの話である。念の為。)

先の男性のグラフと比較すると、どの年代でも女性の方が「膣外射精」「避妊はしていない」の合計が大きいことが見て取れる。
より自分事である女性の方が避妊意識が低いというのはやや考え難い。30代40代50代と年齢を重ねるごとに両性の差が開くことを考えると単なる意識差というよりは、男性の回答には性風俗での避妊が多分に含まれていると見るのが妥当だろう。
だとすると、やはり着目すべきは女性側の回答である。

女性の回答では、40代で「避妊をしていない」との回答が4%程度増えているのに加え、基礎体温による避妊の増加が目立つ。
基礎体温による避妊は正しく行うことが難しく、実際の成功率は75%程度との指摘がある。あまり確度の高くない避妊法だ。
40代女性に避妊意識の緩みがあるというのは間違っていないように思う。
少なくとも40代の予期せぬ妊娠の一因であることは確かだろう。

だが、予期せぬ妊娠はイコール中絶とはならない。
問題は予期の有無ではなく、出産・育児が十分可能な状況か否かである。
つまり、避妊意識の緩みは40代の中絶率の高さを説明するに十分ではない。

40代が中絶する理由を考える

40代に限らない、全体の中絶理由としては「経済的理由」と「未婚のため」の2点が大きい。下記の記事の資料ではサンプル数こそ少ないものの、この2点で半数以上、その他を合わせると約8割となる。

市野氏の記事に登場する産婦人科医によれば、40代で中絶する女性は既婚者が多いらしい。産婦人科医とはいえ、一人の証言をどこまで全体に適用していいかは疑問だが、仮に事実だとすると、中絶の理由としてよく挙がる「未婚のため」は40代女性の中絶理由としては大きくないことになる。

であれば、大きいのは「経済的理由」だろうか?
国税庁の「令和4年分民間給与実態統計調査」を見るに、女性の平均年収は30代と40代でほぼ差がない。
世帯年収の平均値も50代までは増え続けるため、40代女性の中絶率が他の年齢層よりも高い要因は「経済的理由」だと考えるのは無理があるだろう。

加齢による体力の低下についても、公益財団法人長寿科学振興財団のサイトを見る限り、40代や50代で急な低下は見られない。

一方で急激に低下するのは妊孕力だ。
40代では妊孕力が急激に低下することはよく知られている。

一方で、市野氏の記事では、40代の女性は「もう妊娠しないだろう」という思い込みによって避妊意識が緩むが、実際には40代でも妊娠するとの指摘がある。

これは矛盾するようで矛盾しない。
妊娠しづらくなるものの、しないわけではない。
なので、油断して避妊をやめれば妊娠することもある。

そして、40代で妊娠した場合、ショッキングな数字と対峙することになる。

40代の自然流産率は、30代後半と比較しても2倍、20代から30代前半と比較すると4倍近い。

また、出産時に妊産婦が死亡する確率も40代では急上昇する。30代後半と比較して3倍、20代から30代前半と比較すると10倍以上だ。
(実際には40代でも0.0001%に満たない確率ではあるが、命の危険が何倍にもなると聞けば恐ろしくなる)

更に、生まれてくる子どもが染色体異常を持つリスクも40代以降、指数関数的に増大する。

母体の年齢別
左:ダウン症の子の発生率
右:ダウン症を含む染色体異常の子の発生率

40代で妊娠した場合、こうしたリスクについての説明を受けることになる。
そのうえで、出産を目指すのか、中絶するのかの選択をすることになる。

30代の妊娠と40代の妊娠の最大の違いは、この母子の健康上のリスクにあるように思う。
これが40代の中絶率が高い(減らない)最大の理由だろう。

避妊を徹底すれば、中絶件数自体は減少するはずだが、中絶率については横ばいのままだろう。
その避妊の徹底も「40代はもう妊娠しない」という風説によって妨げられる。
この風説は「40代では(安全に健康な)子を産むのは難しい」という事実が欠落して伝わったものだろう。

40代の妊娠・中絶について語るにあたって、
「40代はまだ妊娠するよ! 避妊を気を付けよう!」
と呼び掛けるだけでは不足である。
40代はまだ妊娠出産できると受け取った人が、リスクを十分に理解しないまま妊娠し、妊娠後にリスクについて説明を受け中絶。という流れが起こり得るからだ。

フェミニズムにおいては、こうした女性の可能性を限定するような言説は好まれないのかもしれない。市野氏の記事でも言及はない。
注意喚起にせよ、意見交換の呼びかけにせよ、お粗末と言わざるを得ない。

以上、長くなってしまったが、最後まで目を通して頂けたのであれば嬉しく思う。


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