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【顔淵篇】人間コンサル〜おしえて!孔子先生〜

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『一億三千万人のための『論語』教室』を読んで疑問に思ったことをまとめておこうと思う。

※大昔の人が書いた文なので、口語訳は検索すると簡単に出てきます。各自調べてみてください。もしくは本をお買い求めいただくと、とてもわかりやすく面白くて早いです。

レッスン12 顔淵

281

司馬牛、仁を問う。子曰く、仁者は其の言うこと訒し。曰く、其の言うこと訒くして、斯にこれを仁と謂うか。子曰く、これを為すこと難きなり。これを言いて訒きことなきを得んや。

すぐにではなく、つっかえながら、言葉を選ぶように話す人は真剣に聞いてくれているのかなと感じる。反対に、すぐに喋り出す人は信用ならない。初めは良いかもしれないが、だんだんうるさくなってくる。

考えている時間はこっち側が一人になってしまうけれど、それもまた悪くない。

黙る。考える。話す。

ということができる人間になりたい。

283

司馬牛、憂えて曰く、人には皆な兄弟ありて、我れに独り亡し。子夏曰く、商、これを聞く。死生、命あり。富貴は天にあり、と。君子、敬んで失なく、人に与い恭にして礼あらば、四海のうち、皆な兄弟なり。君子、何ぞ兄弟なきを患えんや。

どう頑張ってもダメな時はダメなのは本当にそう。

そっからどうするかよね。受け入れ方というか。

とにかく目の前のことを精一杯やって、驕らず謙虚に礼儀正しく。

なりたい!そんな人間になりたい!!

言うのは簡単、やるのは困難。

頑張れ自分。

まずは謙虚から。


284

子張、明を問う。子曰く、浸潤の譖り、膚受の愬え行われざるは、明と謂うべきのみ。浸潤の譖り、膚受の愬え行われざるは、遠と謂うべきのみ。

余裕をもって人の言うことを判断する。

それができたら賢いさ、そりゃあ。


294

子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是れに反す。

え?バレてる?孔子先生には全部バレてる?それが人間の常なのか?

誉めることは得意じゃないけど、ダメ出しするのは得意だから、私は一向に小人だ。頭を抱えてそのまま土に還りそう。

良いところを良いと言うことはとても良いことだと認識してはいるんだけど、皮肉以外で誉めるのが苦手だ。何だろう、負けた気になるのかな。ちっぽけなプライドだな。早く台所の三角コーナーに放り投げて捨てないとな、こんなもん。

人間が人間でいるだけで認めるのはもちろんなんだけど、仕事でそういう人間に出会うのは勘弁したい。お金が絡んでくるし、儲けも出さなきゃいけないだろうし、お前がお前でいて良いのは親族や友人の前だけにしてほしいな。

ずっと小人みたいなこと言ってるね、自分。


295

季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政なる者は正なり。子、帥いるに正を以てすれば、孰れか敢て正しからざらん。

政治はお手本でなければならないということか。

今はそう考えると地獄だな。正しさもクソもない。正義か否かのスタートラインにもいない。自分が正しさを選べてもいないけど、あの人たちよりはマシかも。


296

季康子、盗を患えて、孔子に問う。孔子対えて曰く、苟も子の欲せざらんか、これを賞すと雖も盗まざらん。

この論語読んでゼミの先生のことを思い出した。

私はこの人がいなかったら大学を最後の最後に辞めていたかもしれない。本当に毎日眠れないことも多かったけど、あの2年間はとても濃いもののように思える。

何も言わずに話を聞いてくれて、私のどうでも良いことに真剣に考えてくれて、答えるまでに10分くらいかかったりもする。その間の無言の時間も心地よくてとても好きだった。凄い偉い人なんだけど良きお茶仲間のような、そんな感覚だった。

ゼミの先生がある時、「私と同じ気持ちが書いてるから」と数学の雑誌を見せてくれたことがあった。

そこには

「例えば、講義中寝ている学生がいたとしても、その人はもしかしたら夜に凄い数式が思い浮かんで朝まで考えていて、やっと講義には来たものの眠くなってしまったのかもしれないと考える。その人はもしかしたら将来凄い発見をするかもしれない。その邪魔はできない。だから、私は起こさないし、怒らない。」

と書いてあった。

私は顔を上げて「凄い考え方ですね」と至極凡庸なことを言ったように思う。

そして、先生は続けて「私も同じ考えだなぁと思って持っていたんですよ。だから、私は邪魔したくないんです。」と言った。

なんて人なんだと思った。

こんな人存在するのかと思った。どこまで人のことを考えてるんだと。想像できるんだと。

言うことは簡単だけど、実行するのは簡単なものじゃない。

確かに、テストもノート見ながらやっていいし、課題もほぼ去年の使い回しだし、講義に遅れても怒らないし、ゼミの課題やってなかったらゼミ無くなるし、お喋りだけで終わる日もあったし、卒論もあまりできる範囲までで良いと言ってたし、、、、

優しすぎるなとは思ってたけど、そうやって考えていたのかとわかって、全部の合点がいった。

話し方も時間をかけて詰まりながら言葉を選んで話してるんだろうなというのもわかるし、咄嗟に出た言葉ではなく、考えて自分の中である程度良いと判断された言葉だけを発してるなというのもわかる。

たくさんのことを知っているのに知らないかのように同じ目線で話す。

こんな人が自分の近くにいてくれて本当に嬉しかった。

そこまでの想像力と配慮と優しさをもって話す人には、生まれてこの方これ以前にも以後にも出会ったことがない。

こんな人になりたいグランプリ1位。

たくさん迷惑かけたのに嫌な顔一つせず、「またいつでも来てくださいね」と言ってくれるのが、本当に申し訳なかったし、救われた。

最後まで何も返せなかったな。


297

季康子、政を孔子に問うて曰く、如し無道を殺して以て有道を就さば何如。孔子対えて曰く、子、政を為すに焉んぞ殺を用いん。子、善を欲すれば民善なり。君子の徳は風にして、小人の徳は草なり。草はこれに風を上うれば必ず偃す。

悪人は絶えることはない。社会の害悪を除去するって考え方はいじめと一緒だよね。政治は人間の善に問いかけるか。

政治って考えると大きい話だけど、否定ばっかしてくる奴とはそりゃ一緒に居たくないし、居れたとしても無視しちゃうだろうな。意味ないし。

身の回りの害悪を除去したいって考えは無いけど、意味の無い奴に時間を使いたくないという考えはある。

言い方とか云々で中身や内容を無視してただ頭ごなしに話してくる奴なんかに私の時間を一ミリも使いたくない。

善か悪かは私が決める。


298

子張、問う。士は何如にして斯にこれを達と謂うべきか。子曰く、何ぞや、爾の所謂る達とは。子張対えて曰く、邦にありても必ず聞こえ、家にありても必ず聞こゆ。子曰く、是れ聞こゆるなり。達にあらざるなり。夫れ達なるものは、質直にして義を好み、言を察して色を観る。慮りあり以て人に下る。邦にありても必ず達し、家にありても必ず達す。夫れ聞こゆるとは、色は仁を取りて行いは違い、これに居りて疑わず。邦にありても必ず聞こえ、家にありても必ず聞こゆ。

真理に頭を垂れるか、、、

理解力、努力、それはもう聖人君主だな。そういう人に出会ったことあるけど、どうやったらなれるの?

もう誰も妬まず、嫉まず、僻まず、恨まず、どうしたらできる。一回死なないともうこの性格ではどうにもならなそうだよ。

孔子先生はきっと心掛けて努力していくのが人間だと言いそうだけど、ストレスまみれで死んでいきそう。


301

子貢、友を問う。子曰く、忠告して善くこれを道びく。可かれざれば止む。自ら辱めらるるなかれ。

親友はよく「それはこういう気持ちかもね」と言ってくれたり、「それはあなたも注意しないといけない」と言ってくれたりする。とてもありがたいと思うし、すっと入ってくる。そこまでの考えまで及んでいなかったなと反省する。けど、もし、ついこの間出会った人にそんなことを言われようものなら、殺してしまおうかと思う。関係性のない人に言われると腹が立つことはたくさんある。自分はできるだけ超えないようにしているけど、意味わからない奴は超えてきたりする。それでいて自分だけは正しいと思っている。そして、それにも気付かない。とてもタチが悪い。もし、自分が正しいと思っているという意識が一ミリも無く言葉を発せる人間がいるとしたら、もはや人間の形を模していないかもしれない。

何かしら自分の確信があって「〇〇かもしれないね」とか喋ってんだろ?という話である。それは無意識的に正しさの中にあるものを引き出している。だから、きっと自分にとっての正しさを引き出しているという意識は常にあるはずで、それを意識しているか、いないかとでは全然違うと思う。

「正しいとは思ってないよ」というあなたの中の正しさ。私が「あなたにとってはそれが正しいんだね」と言ったら、きっと変な顔するんだろうな。

正しさなんかないってこともあなたの中の正しさ。

それがきっと正しい。


#論語 #孔子 #人間

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