【雍也篇】人間コンサル〜おしえて!孔子先生〜
『一億三千万人のための『論語』教室』を読んで疑問に思ったことをまとめておこうと思う。
※大昔の人が書いた文なので、口語訳は検索すると簡単に出てきます。各自調べてみてください。もしくは本をお買い求めいただくと、とてもわかりやすく面白くて早いです。
レッスン6 雍也
146
子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民能くすること鮮きや久し。
ISを挙げてくるのはすごい。確かに極端な方が目を惹くし、真ん中って中途半端な気がするけど、なんてったって『普通』が一番難しい。
『花束みたいな恋をした』のふたりとも「普通って難しい」と言っていて、『素晴らしき世界』の主人公の周りの人間も「(主人公が)普通になっちゃうよ!」と言っていた。本人は『普通』がわからないから、一度も『普通』なんて言葉は使っていなかった。
『普通』が分かっているからこそ、『普通』という言葉を使えるんだと思った。
私自身、『普通』という言葉が苦手で、なるべく使わないようにはしてるけど、『普通』は本当に難しいと思うし、誰が決めたものなんだろうと思う。
まずは、今までの歴史を知って、知識をたくさん獲得して『普通』を理解することにする。
147
子貢曰く、如し博く民に施して能く衆を済うものあらば何如ぞや。仁と謂うべきか。子曰く、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。尭舜も其れ猶おこれを病めり。夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達せしむ。能く近く譬を取る。仁の方と謂うべきのみ。
「誰か他の人たちにやってもらえることを考える」ことが出来たら仁者というよりリーダーみたい。
でも、確かに弟子が思う仁者は圧倒的に人間を超越している。人間である状態でできることをするのが仁者なのか?
教育者が仁者に見られがちなのはそのせいなのかもしれない。実際、教育者でまともな人間はいないのだけれど、仁者に見えても無理はない。
そんな人間生まれ変わってもなれなそう。
お金よりもスキしてくれるとスキ