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はらぺこキューピッド(2)

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第2話 人間ではないナニカ

 いつもの曲がり角を曲がってすぐ、目の前に何者かがうつ伏せに倒れているのが見えた。
 渚は周囲をきょろきょろと見渡し(助けを求めたかったのか、見られていないかを確認したのかは自分でも分からない)、おそるおそる近づいてみる とそれは、明らかに人間ではないナニカだった。
 身長はだいたい40㎝ほどで服を着ている様子はない。
おまけに背中には小さくて可愛らしい真っ白な翼が生えているではないか。            「うぅー」と苦しそうな声を出してナニカがごろんと仰向けになった瞬間、   渚は思わず「あっ」と声を漏らしてしまった。
 そう、渚はナニカを知っていたのだ。
 頭が少しとんがっていて、裸。おまけに弓矢のようなものを小脇に抱えている。
 それはまさに絵本に出てきたキューピッドそのものなのである。
 「え、本当にキューピッドなの…?」
渚は信じられないと目をごしごしと擦ってみたが、目の前のキューピッドは消えることなくそこに倒れている。
依然として苦しそうに呻くキューピッドに
「あなた大丈夫?」
と小さな声で話かけてみる。
「お腹が…」
「お腹が痛いの?」
「…お腹が減って力が出ない…。美味しいものを食べさせて…」
 渚は開いた口がふさがらないという言葉の意味を今心底理解した。
 なんと目の前のキューピッドらしきものは、はらぺこで行き倒れていたのである。
 直感的に誰かに見られてはいけない気がした渚は、兎にも角にもキューピッドらしきもの両手に抱えて自宅へ連れて帰ることにした。
 自宅までの短い道のりを、どうやったら誰にも会わずにたどれるか、渚は脳内をフル稼働させて歩く。
 一度見知らぬ老人が前から歩いてきたので、腕に抱きかかえたキューピッドが見つかるまいかドキドキしたが、老人は渚をちらっと見ただけですぐに視線を戻し、過ぎ去っていった。
「バレなかった…。」
ほっとした渚だったが、もうこんな思いはごめんだと急ぎ足で自宅へ帰り、勢いよく自室のドアを開けた。
 大き目のクッションの上にキューピッドをそっと下ろし、何か食べるものはないかと部屋を見渡してみる。
学習机の上に勉強の合間に食べようと思って台所から持ってきた、チョコチップクッキーが置いたままになっているのを見つけた。
「クッキーで良かったら食べる…?」
 チョコチップクッキーを口元へ持っていくと、キューピッドはあっという間にクッキーを食べきってしまった。
「このクッキー美味しいね!」
 クッキーの食べかすを口の周りにつけたまま笑顔になったキューピッドに渚はたずねる。
「あなたは誰?キューピッドなの?」
渚の目をじっと見つめてからキューピッドは立ち上がる。
「そう、ぼくはキューピッド!」
渚は、勢いよく話し始めるキューピッドをぽかんと見つめる。
「ぼくたちキューピッドは恋愛の神様。金の矢を射ってカップルを誕生させるのがぼくの仕事。君も知ってるだろう?」
 当然知っているよねという表情でキューピッドは渚をちらりと見やる。
「うん…。それは知ってるけど、あなたは何で道端に倒れていたの?」
 道端に倒れているキューピッドに遭遇する、という類まれな経験をした渚は思いつくままキューピッドに尋ねていた。
 実はね、と切り出したキューピッドは少し恥ずかしそうにもじもじしながら渚の問いに答えた。
「ぼくたちキューピッドは金の矢を射るたびにお腹が減っていくんだ。ふつうはお腹が減ったら何かを食べてエネルギーをチャージするんだけど、ぼくはまだ見習いのキューピッドだからついつい仕事に熱中しちゃって空腹のコントロールが上手くできないんだ。」
 で、倒れちゃったてワケか。
 これでキューピッドが道端に倒れていた理由は分かったが、渚はまだ気になっていることがあった。
「さっき金の矢を射るって言ってたけど、あなたの矢は金色には見えないんだけど…」
キューピッドが大事そうに抱えているそれは金色どころか、毒々しい紫色なのだ。
あんな矢を射られたら好きになるどころか嫌いになってしまいそうである。
 するとキューピッドは急に悲しそうな顔になり、渚に話し始めた。
「そうなんだ。一度倒れるほど空腹になってしまうと、キューピッドの矢は毒矢と化してしまう。お察しの通り、この矢を射られたカップルは互いを憎み別れてしまう。」
「元に戻す方法はないの?」
あまりにもキューピッドが悲しそうな顔をするので、渚は胸が痛んだ。
「方法は1つある。誰かが作った美味しい食事をとにかくたくさん食べること。お腹いっぱいで幸せ~っていう気持ちで満たされたらぼくの矢は金色に戻るんだ。」
「どのくらいの量を食べたらいいの?」
「それは分かんない。ぼくも倒れたのは初めてのことで、何をどのくらい食べれば矢の色が戻るのかは見当もつかないんだ。ぼくの矢の色が戻ったら君の望み通りに矢を1対射ってあげるから、美味しいご飯を食べさせてくないかな?」
 懇願するような目でキューピッドに見つめられ、何をどうしたらいいのか分からないが、渚は断ることができなくなってしまった。
「わ、わたしで良ければ協力するよ。」
 わーいわーい!という形容がピッタリなステップで小躍りをするキューピッドを横目に、なんだかとんでもないことになってしまったなぁと渚は思っていた。
 キューピッドに美味しいご飯を食べさせると約束したのはいいが渚自身、今まで料理というものをほとんどしたことがないのである。
 これまで食事の支度はすべて母に任せっきりにしていた。
ただでさえ料理が嫌いな母にキューピッドのご飯まで作ってほしいなんて口が裂けても言えないし、そもそもキューピッドの存在を信じてもらえる自信もない。
どうしようかなぁと1人で頭を悩ませていると、部屋のドアがガチャリと音を立てて開いた。
 「なぎさー、洗濯物片付けときなさいよー。」
キューピッドと話していたせいで全く気が付かなかったが、お母さんが帰ってきていたのだ。
― しまった。キューピッドを見られた。
 身体が固まって身動きできなくなってしまった渚の横で、キューピッドも同じように踊りを止め、動けなくなっているようだ。
しかし、お母さんはキューピッドを気にする様子もなく洗濯物をベッドの上に置いて何も言わずに出て行ってしまった。
 「お母さんには、あなたのことが見えてないの…?」
「ぼくはキューピッドだよ。神様なんだ。見えないに決まってる。そうやすやすと人間に見られてたら仕事がはかどらないだろう。」
 当たり前だとばかりに胸をはるキューピッドだったが、渚はあれ?と思う。
「いや、でもわたし、あなたのことが見えてるんだけど…」
「そ、それははらぺこで倒れた時はぼくの力が弱くなっちゃってたんだよね。一度姿を見られてしまったらその人にはずっとぼくの姿が見えてしまうんだ。」
 だからぼくのことは誰にも内緒にしててね。とまたあの懇願するような目で渚を見つめた。
 何とも勝手で図々しいキューピッドだと渚は思ったが、とりあえず頷いておいた。
「それで、君の名前教えてくれる?」
 ニコリと笑ってキューピッドが尋ねた。

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門


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