ごめんねバウムクーヘン



金木犀の花が鼻腔を擽るそんな秋晴れの空の下で結婚式はしめやかに行われた。
純白のドレスに身を包んだお嫁さんの美しさもさることながら白いタキシードで凛然と新婦をエスコートする新郎が神々しく見えたぐらいだ。そんな新郎が恨めしく思えてしまうのもボク自身の不甲斐なさからだろうか。そもそも僕は人の幸せを祝福してやれないほど心に余裕のないやつではなかった。高身長、見た目からわかる教養の高さ、新婦を何一つ戸惑わせないエスコートのスマートさ。まあ確かに僕が勝てる部分なんてなさそうな高スペックな新郎。そして、その横で微笑む新婦、もとい陽奈。陽奈は僕の幼稚園からの幼馴染だ。小学校も中学校も受験して合格した高校さえも一緒だった。なんなら中高で入った部活も、とにかく僕の人生には陽奈がいた。それと同時に陽奈は僕の報われない片思いの相手でもあった。
幼い頃からの幼馴染である僕らの仲を僕は「腐れ縁」と称した。嫌いだったわけではない。もうお互いがお互いに心を許しすぎたがゆえの発言だ。無論、僕だって高1までは幼馴染に恋とかありえないとちゃんと思ってたし陽奈は今でも幼馴染である僕に恋心を抱かない。
僕の中の好きの二文字のベクトルが陽奈に向けられていると自覚したのは高校二年生のとき。僕の友達が陽奈のことを好きになったときだった。
「俺さ、陽奈ちゃんに告ろうと思うんだけどさ、どんな言葉ならオッケーしてもらえるかな?」
その言葉を聞いた僕はその友達の恋を応援したいという気持ちを持たなかった。どうして彼の恋を応援できないのかという自問自答を繰り返していくうち、とても単純な答えにたどり着いたというわけだ。
「ああ、あいつ今彼氏とか作るつもりないらしいよ、なんか興味がないらしくて」
友達としてはとても最低な人間だが咄嗟に僕の口から出たのはそのセンテンスだけだった。
間接的に友達を失恋させてまで幼馴染としてのポジションを死守したいと願い続けて今に至るのである。
だけど僕は長年積もらせたこの思いを直接陽奈に伝えなかったことをとても後悔している。目の前で僕以外の人と幸せそうに微笑む陽奈を見るのが苦しい。


気がつけば高校を卒業して、お互い別々の企業に就職した。陽奈と離れるのは多分これが初めてだななんて思っていた入社からしばらく経っていたある日の夕方、陽奈から大事な話があるという連絡を受けて子どものころよく遊んでいた公園に集合した。正直疲れていたのもあって気は進まなかったが陽奈のお願い事なら、なんて頭の悪い理由で二つ返事をして軽く身支度を済ませたあと陽奈を待っていた。
案外、陽奈はすぐに公園に来た。僕は少しだけそわそわする心臓を抑えつつ深呼吸をした。目の前にはいつになく機嫌のいい陽奈。自販機でそれぞれのお好みの飲み物を買ってベンチに座れば陽奈は嬉しそうに話しだした。  
「あのさ、実は私、結婚するんだ。今まで黙っててごめんね。あんたに、一番最初に言いたかったんだよね」
僕の中で何かが割れる音がした。多分割れたものの名は「期待」なんて名前がついているだろうか。
夕方に幼馴染を呼び出す。疲れているのに僕は行く。よく遊んだ公園。ふたりきりのベンチ。この条件下で少しでも告白を期待しない人がいるのなら会ってみたい。結果、期待は裏切られたのだけれど。
「へ、へえ…あ、相手はどんな人?」
「…会社の、一個年上の人。…めちゃくちゃ優しい人なんだよ」
「そっか…」
僕はそれ以上何も言えなかった。言ったら伝えられなかった思いと一緒に涙が溢れてきそうで。でもそんなことしたらもうすぐ幸せな道に一歩踏み出そうとしている陽奈を至極困らせてしまうことがわかっていたから余計にこの場から抜け出したかった。とにかく、ちゃんと笑わないと…!正直陽奈が他の誰かのものになってしまうなんて考えたくなくて僕以外の人にその幸せそうに微笑む笑顔を見せてほしくなくて、そんな気持ちが溢れてついには心臓をはみ出してしまいそうで本当に気持ち悪かった。彼女の幸せを祝ってあげなきゃなのにひどく喉が渇いてうまく声が出ない。そんな僕を不審に思った陽奈は不思議そうに顔を覗き込む。
「大丈夫?なんか体調でも悪い?」
「あ、うん!ちょっと、…驚いただけっ」
「なによ驚かせないでよね」
なんて言って僕の肩を小突く。そんな僕の心に追い打ちを掛けるかのような一言がまた陽奈から発された。
「そいで、あんたにお願いがあってさ、友人代表スピーチ、してほしいなって。やっぱり一番長く一緒にいたあんたにお願いしたくてさ」
長く一緒にいたのに、友人代表でしかないという事実が現実というなのどん底に僕を連れて行く。
もう堪えきれないと思ったけど、バレたらまずいと思いすかさず下唇を噛んで我慢する。
「い、いよ。僕のありがたいお話が聞けるなんて、ひ、陽奈は幸せものだなあ」
少し声がかすれてしまったけれど陽奈はそれに気づいていなくてそうだねなんて言って笑ってみせた。それからいつもみたいに適当な
雑談をしてお開きとなった。正直話の内容なんて入ってこなかったしいつもなら楽しいはずのその時間は陽奈が他の男の人に取られてしまうんだなっという考えが頭を駆け巡っていた。
  ◇
それから家に帰ってぼんやりと天井を眺めていた。そんなときでさえ鳴った自分のお腹にこんなときにもお腹は
空くものなのだと呆れてしまった。
「二十三時、かあ」
なにか食べないとなとは思うけれど何かを外に買いに行くのも億劫だし、今更作る気にもなれないかrからから棚にあったレトルトカレーを温めて食べた。食卓に
ほかほかと湯気を立てるカレーを置いて小さな声でいただきますと言ってカレーを頬張る。甘口のカレーは優しい味がして思わず涙が零れる。本人に言われてもまだ受け入れられなかった事実も、食事をして無駄に回ってしまう頭がふつふつと今日の出来事を思い出させるせいで湧く必要のない実感が湧いてくる。
「陽奈、ほんとに誰かのものになるんだなあ…っ」
涙のせいでしょっぱくなったカレーを口に運ぶ。一人きりの部屋で成人男性が涙を流しながらカレーを食べるというその光景は傍から見たら相当滑稽だろう。そう思いながら乱雑に袖で目元を拭う。
小さな頃から泣き虫だった僕の涙はいつだって陽奈が優しく拭いてくれた。転んだとき、年上の子にいじめられたとき、先生に怒られたとき。それなのに今僕の目から溢れるこの涙を拭ってくれるのは陽奈どころか誰一人としていない。
「ほんとはっ、けっこんなんて、してほしくない、っなあ」
今までずっと心のなかにしまいこんでいた言葉が不意に口から漏れ出てしまってその事実にどうしようもなく胸が締め付けられて苦しかった。
    ◇
そうやってあっという間に迎えてしまった陽奈の結婚式。
正直、報告を受けてからというもの何も手につかなかったし、食欲も落ちてするりと体重も落ちてしまった。最近ではそんな情けない姿を陽奈に見せたくなくて忙しいなどという理由をつけて意図的に陽奈を避けたりもしていた。本音を言ってしまえば僕の知らないところで、知ることのできないところで陽奈が幸せそうに笑うのを感じてしまうのが怖かっただけなのかもしれないけれど。そうやって引きずったまま迎えてしまった今日。僕は今日、僕の叶わなかった片思いの相手である陽奈と、そんな彼女が愛した男性との結婚式に来ている。その事実がどうしようもなく苦しくて辛くて逃げ出してしまいたい。そんな挙動不審な顔色の悪い変に痩せてしまった僕を見た共通の友達は悲しそうな顔をしながら心配してくれた。時々そんな友人たちと話しながらちびちびとワインを飲んでいたらあっという間に僕の式辞の番になった。
   ◇
一つ大きな深呼吸をしてマイクの前に立つ。きっと大丈夫。うまくいくはず。だって僕が今持っている式辞に台本はいくつもの夜を利用して泣きながら書いたものなのだから。少し冗談も交えながら必死に笑顔を貼り付けて台本を読み上げる。横に目をやれば僕の式辞を聞きながら楽しそうに笑い合う陽奈とその旦那さん。ちゃんと式辞をやり遂げられたと思うと安心してここ数ヶ月で僕にのしかかっていた重荷がやっと降りた気がした。終わったらもう半ば自暴自棄みたいになって強くもない酒をワインやらビールやら頭ごなしに胃に流していった。
   ◇
どうやって家に帰ってきたかなんてもう覚えていない。気がつけば自分の部屋の玄関に座り込んでいた。震える手で上着のポケットからスマホを取り出す。指が勝手に写真フォルダを開き、僕の目に入ったのは幸せそうに笑う陽奈の写真。二人でウエディングケーキを切る写真。二人でキャンドルサービスに回る写真。二人が誓いのキスを交わしている写真。傷つくとわかって
いながらも撮影してしまった自分が今はひどく憎たらしい。涙で歪む視界もそのまま画面をスライドしていくと指輪を交換している写真で手が止まる。
飾り気のない、シンプルなシルバーの指輪。
酒を飲みすぎたせいで襲ってきていた頭痛はいつの間にか引いていた。けれどそれ以上に胸の奥が張り裂けんばかりに痛む。
「幼稚園のころ作った、花の輪っかじゃ、やっぱりだめだったか…」
立ち上がり、部屋の中に入る。脱ぎ捨てられてぐしゃぐしゃになったスーツを踏んだ。
「このフォーマルスーツ結構高かったな。…タキシードくらい高かったっ」
そこかしこに広がるレトルトカレーのゴミを蹴飛ばしながら床に座る。
「結婚式に出て、次の日も仕事だってのに自暴自棄になって飲んで、ホントは、そんなつもりじゃなかったのになぁっ」
本当は僕が陽奈と一緒にケーキを切るはずだった。本物の指輪を交換したかった。誓いのキスを交わしたかった。病めるときも、健やかなるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、陽奈の隣にいたかった。
「おれ、バカだ…」
際限なく涙が落ちていく。僕が不器用なりに花で作った輪っかをはめてくれていたのはもうはるか昔のこと。物心もついていない頃なのだから覚えているかどうかも怪しいこと。そんなことすべて考えればわかったことだった。
「でも、そんなのあんまりじゃないかっ。ずっと一緒にいたのは僕の方なのに、母さんたちだって結婚するんじゃないって言ってたくらいなのにっ、なのになんで、ぽっと出の男のところなんかに行っちゃうんだよお…」
勢いよく投げたスマホがなにかにぶつかる。それは豪華な包装のバウムクーヘンだった。
「バウムクーヘン、……引き出物のバウムクーヘン」
むき出しのまま放置されていたせいでまだらにカビが生えていた。それを素手で掴みめちゃくちゃに口の中へと押し込んだ。目をつぶり乱暴に咀嚼する。だけどそのバウムクーヘンに味はなくて、いつまで経っても飲み込めなかった。
「すきってちゃんと、いえばよかったなっ……」

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