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メンターの話#12 【目標がある素晴らしさ】

2021年11月に進路が決まって、今年の春に入学した私ですが、
この入学までの期間は、受験と同じくらい違う意味で辛かった。

何故かというと、それは「大学合格」という目標を達成し、次に向かうべきところがわからなくなったからだ。
少し、受験も含め現在に至るまでは振り返ってみようと思う。

 正直話すと、今通っている大学は、1番行きたかった大学ではありません。

第1志望校に落ちた当時は、「なんで落ちたんだ」と、ただただ悔しくて仕方なかった。何故か、涙も出ずにずっと呆然としていた。
数日後に控えていた面接も、ほとんど準備できず、上の空で受験してしまい、もちろん不合格。負のスパイラルに陥っていた私ですが、洋々に通う友やGMやプロ、そして最後まで並走してくださったメンターの方々のおかげで、メンタルを立て直す事ができ、自らの好きな学問を突き詰めたり、自分探しができる大学に合格することができたのだ。

私自身、1年浪人していたので「大学が決まってよかった」という気持ちは人一倍強く、嬉しいというより、安堵という感情表現が正しいのかも知れない。

ただ、問題はここからだった。


 毎日、朝から晩まで洋々に居て、友達やメンターの方と議論したり、自らの文章と向き合い、論文や記事を検索しまくった日々が一転し、何からも解放されてしまったのだ。
もちろん、大学が決まって嬉しい気持ちもある。しかし、それ以上に私にとっては、受験に向かっているため、辛くもあったが、大好きだった日々が喪失してしまうことの方が、よっぽど苦しかった。

なぜ、浪人生であった 1年間が19年の人生の中でなぜ「大好き」なんて言えるのか不思議ですよね?
でも、「大好きな 1年」と断言できる要因があります。それは、

大学に合格するという目標を掲げ、心の底からそこに向かい、「AO入試」という好きなことを深めることで大学への合格を得ることができる入試に出会うことができたからです。
しかし、その目標を達成した途端、
本当に「次に何に向かえばいいのか」わからなくなってしまったのだ。

合格してとりあえず、やったことは1人で静かな沖縄の海に行き、ビーチで本を読みましたが、「俺って何をしているのかな〜」とずっと考え、楽しいはずの1人旅が思い詰めてしまった旅行になりました。

そんな帰りの飛行機でパッと頭に浮かんだのが、「洋々に行こう」でした。沖縄から帰ってきて、洋々に向かったわけですが、その時 GMがこんなことをおっしゃっていました。
「法律と人の道に反しないことは全てやれ」

その言葉を聞き、とりあえずやりたいことを書き出し、少しづつ実践しながら入学を迎えたわけですが、それでも未だ心の底から「これだ」というものには出会えていません。
自分探しをするという意味では楽しかった時間でもありましたが、やはり何かの目標に向かっていたいというのが私なのだとも気づきを得ることができました。だからこそ、大学で心から向かっていける目標を探す冒険にでるため、1つの学問に囚われないように色々な学問の授業を履修しました。

 結論、何が言いたいのかと言いますと、

「心の底から熱中できる何かがあること、何かに向かっていけること」を当たり前ではなく、素晴らしいことなのだということです。

私は、心の底から何かに向かっていっている人にとても嫉妬しています。
羨ましいです。もちろん、目標が大きくても、小さくてもいいんです。何かに一生懸命になることができているのであれば、それで充分です。

そして、その目標を達成するためには何個もの壁にぶち当たることもあるでしょう。
そのときこそ、信頼できる友や両親、塾の先生でも誰でもいいと思います。とりあえず、思っていること全て吐き出してみてください。楽になり、何か自分の心を縛っていた縄が取れたような感覚になります。それも難しいなら、自然を感じにどっか遠くに出かけてみましょう。ちなみに、全部私が受験期に行ったことです(笑)

今の自分がどのような状況にあるのか。
心から立ち向かっていける目標はあるのか?
果たしてその目標に向かえてはいるのか。

このブログをきっかけに少し考えてみてくれると幸いです。

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