苦しいのは、等身大の自分を受け入れていないから
夫の言葉で、書けなくなった
心の中でずっと消えない言葉がありました。
それは、ライターの仕事が激減し、ひどく落ち込んでいた時に夫から発せられた言葉です。
「お前は、結局たいしたことないライターだった」
過去の努力を全て否定されたように感じました。そこに存在する自分自身も全否定されたような気分になりました。
ライターとしての自信を一番なくしている時に、真正面から、しかも信頼している人に突き付けられるその言葉は、結構な衝撃です。
その後、書くのが怖くなりました。
這い上がるために書かなければならないと思うのだけれど、いざnoteの画面を開いて書こうとすると、手が止まるのです。
みんなが、「なんだこいつ、たいしたことないな」「こんなんでライターだったの?」と言っているように感じてしまうのです。
書いては消して、消しては書いて、でも消して。真っ白のまま終わる日々。
友人や家族から届いたラインの返信さえも気軽にできなくなっていきました。
書けない理由がわかったとき、心が軽くなった
なぜ書けないのか?
そのことについて、じっくり考えてみました。
なぜ書けないのか?
それは他人の評価が怖いから。
なぜ他人の評価が気になるのか?
否定されるのが怖いから。
なぜ否定されるのが怖いのか?
あぁ、そうか。
ここまで考えて気づきました。
「たいしたことないライター」という言葉を認めたふりをしながらも、私はどこかで「いや、たいしたことないはずはない」と自分を過大評価していたのです。
「たいしたことない」と思っているのは夫だけで、他の人はもっと評価してくれるはずだと、どこかで思っていたのです。
でも、他の人にも「たいしたことない」と言われると逃げ場がなくなるから、夫以外の人に否定されるのが怖かったのです。
ひどくばかばかしいことにこだわっている自分に笑えました。
「たいしたことない」を認めたら、書けるようになった
たいしたことないライターかどうかの答えなんて、仕事が激減した時点で出ていたのです。
テストに不合格だった時点でわかっていたのです。
逃げ場なんて、最初からなかったのです。
それを、もしかしたら・・・もしかしたら・・・と期待していたなんて、ばかばかしい。
声を大にして言おう!
「はい!私は、たいしたことないライターです!仕事激減、テスト不合格者!」
これで、もう怖いものなしになりました。
文法だって間違っているかもしれない。辻褄だって合ってないかもしれない。構成だっておかしいかもしれない。誤字脱字もあるかもしれない。たいしたことない奴と思う人がたくさんいるかもしれない。
それでいい。
等身大の自分を受け入れて、今書けることと今書きたいことを書いていこうと思います。
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