昔見た夢が元ネタ

 これは将来の夢でなく寝て見る夢の方だ。それがあまりにも面白い設定だった。ただ、どこかのソフトSFでも聴いたような話でもある。この夢を見た頃の僕はものすごく恋人、というよりも心の底から信頼できる人が欲しがっていた。しかし、僕は死んでも口にできない劣等感がある。これは今までどの人間にも明かせていない。それを明かせないのに信頼できる人など作れるものか、と苦しんでいた。
 今はそんなのは誰にでもあることだと理解している。どんな人間にも明かせない自分だけの心が人にはあるのだ、と。
 閑話休題して。
 この夢はそんな僕にとっては心地の良い破滅の夢だった。

腐蝕の花

 僕らの時代は人間同士の接触すらできない時代だった。だった、というのは解決したという訳ではない。この接触すらできないのは、おそらくウイルスによるものだと言われており、人類はその黄昏までにそのウイルスに勝ることはできなかった。
 接触ができないことはさまざまな影響を社会に与えた。カルトの隆盛に医療崩壊、経済面でも困窮した人間達が溢れてしまい社会福祉も当然のように崩壊した。
『国連の定めた人類種の崩壊の宣言日が来週となりました』
 ラジオから無機質な声が流れる。今では企業はほぼ存在しない。国が作った情報だけを流すAIによるチャンネルだ。
『人類種崩壊に伴い、本チャンネルも来週には配信停止となります。また来週からは各インフラも利用不可能となります。自身で生活できない方は来週までの安楽死センターまでご来院をお願いします。また……』
 ラジオは常に暗い話題しか話してはくれない。それが今の人間社会だ。明るいこともない。出生率は測れる人間がいないので分からない。ドラマや映画などの娯楽も最早存在しないに等しい。一応、紙媒体のマンガや小説は生き残っている。
 部屋にいても気が滅入るだけの僕は外を彷徨うことにした。それが何の意味もないことは分かっていても、じっとしていることはできなかった。
 ドアを開けると灼けつくすような日の力を感じた。夏の到来を肌で感じると共に、来週が自分の誕生日であることも思い出した。


『−−異常事態であることは明確であった。人間同士で接触をすると凄まじい速度で老化が進み出す。もしも、すぐにでも接触をやめなければ10分で老衰となる。世界中に同時で発生したこの現象は初動対応より先にたくさんの人間の命を奪った。現象の確認、実験、対処の会議……。過去にあったコロナウイルスでのパンデミックよりもその対応ははるかに早かった。ただ、現象の方が圧倒的に早かった。幼児の身体のままでしわくちゃで老衰した我が子と、人生の終わりまで連れ添うつもりだった妻の遺体とを見た時のあの悲しみ……。
 私は私が味わった悲劇を無くすべく奔走した。少しだけ死亡者数グラフは緩やかなものになった。緩やかになっただけで人類はその数を少なくしていった。やがて医療崩壊が起きた。いや、それは医療崩壊と言っていいのだろうか。私は当時そう考えた。そう考えた人間は私以上に多かった。だからこそ、医療崩壊でなく介護崩壊と呼ばれた。亡くなったのは要介護者の方が圧倒的多数であり、自力で動けない彼らを介助できないならばどうなるかは自明であった。そして、何より。世界中の人々は自分が関わる医療でなく、まだ距離のある介護の崩壊ということにしたかったのだ。……その中には新生児達が含まれている矛盾を伏せて。
 体力のない者から亡くなっていった。老人と子供たち。その時から世界には黄昏が蔓延った。
 未来も過去も得体の知れない何かが奪い去っていく。人類はここで滅びるのだと末期思想が流行った。そして、それを否定する材料はあまりにも薄かった。
 犯罪率は著しく上がった。明日など無いと思えた人間達は狂気に走った。それだけでない。子供を失った悲しみからたくさんの心ある人々が自殺していった。危うく私もその一人になりかけた。
 ……こんな日記を書いて何になるんだろうか。自慰と同じではないか。そういえば、私は家族を失ってからEDだ。食事もあまり摂らなくなった。生きていて楽しくないが生きている。死にたくないからだろうか。
 昔、学生だった頃に色々とエロスとタナトゥスという概念を知った。エロスは性の欲望であり、すなわちは生の欲望。対してタナトゥスとは死の欲望。川端康成が好きだった私はこの概念を知った時に心が踊ったものだ。
 今はどうだろう。……そう。今はどうだろうか。
 一也と陽子に会いたい。それが真っ先に思い浮かぶ。なぜ、私でなくあの2人が死に、私が生き残ったのか。拭えぬ罪悪感と虚無感。それが私のエロス上に厚く塗りたくられている。それが私の胸郭を抑え込み、満足に呼吸をさせてくれない。』
 亡くなっていた叔父の手記を読み終えた僕はどこか嫉妬していたのかもしれない。人類が終わる前に死ねた叔父に。そして、天国で父親と再会できたであろう一也に。
 一也とは親友であり弟でもあった。一也は僕の3つ下だった。世界がおかしくなる前はよく遊んでいた。
 僕の両親はウイルスが流行りだした初期にセックス中に死んだ。快楽の中で逝けたのか、それとも破滅を望んで頽廃に身を投じたのか。僕は酒を飲めるようになってからそのことで頭を悩ますようになった。対して、一也は高熱を出して苦しんでいた。あまりに一也が可哀想で仕方なくて叔母さんは一也と共に逝くことにした。
 この事を叔父は知らない。
 その現場を見たのは僕だけだ。
 そして。
 叔母さんに口止めされて、それを止める事も諌める事もしなかったのも僕だけだ。
 頭が苛立っていることを自覚した。叔父は何故、よりにもよってこんなタイミングで自殺したんだ。
 僕は生きたい。
 こんな時代だろうとなんだろうと、死ぬ理由になろうとも生きるのをやめる理由にはならない。だから、生きたい。
 なのに、叔父は死んだ。
 叔父の憔悴は知っていた。今にも狂って人を殺して周りそうな時もあった。急にどこか遠くを見つめ出してはそのまま消え入りそうな時もあった。それでも、叔父は「あの2人の分は生きるのが供養だ」と口癖のように言っていた。
 なのに、叔父は死んだ。

 
 僕は怒りと暑さで煮だった頭を冷やすべく行きつけのバーに行った。
 正直に記そう。
 僕はここのバーテンダーのお姉さんに恋している。いつもどこか涼しそうな顔をしながらも笑顔は可愛くて、笑い声は鈴を鳴らしたように綺麗で心地良い。
 なんとなく寄ったバーなのだが、ここのお姉さんと話をしたくて僕はここ2年は通っている。確かにバーと言ってもこのご時世では満足なお酒もご飯もないのだが、そういうのは愛の力で誤魔化せる。
「あら、渡辺さん。こんばんは。今夜も来たのね。」
「ええ。来ました。ここ以外で今楽しい場所を知りませんから。」
 渡辺、というのは僕の本名でない。本名は岩崎光だ。……この渡辺という名前は僕が居酒屋を予約する時に使っていた名前だ。今更に本名を名乗れるわけない。
「相変わらずね。世界が終わる直前でもハードボイルド。」
「終わるのは人類であって僕ではないですからね。例えば、僕が婿に行って渡辺家の後継がなくなっても僕が亡くなるわけじゃない。」
「理屈っぽい。ふふふ」
「え、まあ。」
 少女のような笑顔で凛々と笑われると僕はどうも照れて顔を見れなくなる。
「いつものを。」
「はぁい。第三の水割りね。」
 第三の水割り。第三のビールの水割りだ。味は薄くて苦いビールだ。正直、飲んでて美味しくはないしまともに酔えないがバーに来たならお酒は外せまい。
 ことん、と目の前に置かれた水割りを見る。薄くて濁った黄金色に、傷んだ味噌汁を思わせる薫り。それが300mlで千円。
 ちなみに未開封のサッポロ黒ラベルは300mlで6千円だ。飲めるわけない。
「渡辺さんは終わりを誰かと一緒に迎えないの?」
「あー。終詣のことですか?」
 終詣。初詣に対してできた概念だ。今、人類最終日を親しい人と過ごそうという風潮が高まっている。ネガティブな考えだが、これが流行ってから少しだけ犯罪率は落ちた。もっとも今はそんな派手な犯罪をするような人間もだいたい死んだのだが。
「叔父と迎えるつもりでしたが、さっき会いに行ったら死んじゃってて。」
「あら。それはごめんね。」
「いや、気にしないでください。この時代じゃさして珍しいことでもないですし。」
「そうね。ふふふ。」
「……おかしいですかね。冷たいようで。」
「いえいえ。渡辺さんはやっぱりいいなぁって。」
 −–−–渡辺さんはやっぱりいいなぁって。
 −–渡辺さんはやっぱりいいなぁって。
 渡辺さんはやっぱりいいなぁって。
 ……僕は口元を隠すために水割りを煽った。
「そういう貴女は誰かと過ごすのですか。」
「うーん、と……」
 彼女は唇の下に人差し指を当てて思案する。
「渡辺さん、とかな」
「おぉっう」
 変な声が出た。
「ほら、渡辺さん。叔父さんがいなくなったんだから暇でしょ。だから来てくださいよ。ここに。」
「あ、はい。そうそう……。確かに。暇ですからね。いきましょう。」
 こうして僕はまずい色付きの水を飲みながら、世界一幸せな終わりを迎えられる男になったのだった。

「光。あなたは私の子じゃないのよ。」
 お母さんは肩に両手を乗せてそう言った。ぼくは言葉の意味が分からなくて、本当によく分からなくてきょとんとした。
「あなたはね。私の腹違いの弟なの。」
「え」
 どういうことだろうか。ハラチガイ、とは。
「今のあなたにはよく分かんないと思うけど……。ごめんね、光。私は……、私と剛さんは私たちの子供が欲しいのよ。それも、自然な出来方のね。」
「しぜん、なできかた……。」
「そう。だから、許してね。」
「うん。ぼくも弟か妹が欲しいから。」
「……そうだね、光。」

「お母さん、抱っこしてよ」
 息も切れ切れのままカズは母を呼んでいた。
「おかぁさぁん」
 聞いている僕の心も不安でいっぱいになる悲しさで溢れていた。
 叔母さんはビニール手袋をつけたままでカズの濡れタオルを替えていた。
「でもね、カズくん。抱っこしたら死んじゃうのよ。」
「いいよ。死んでもいいよ。昔みたいに抱っこしてよぉ……。」
 体温計が鳴る音がした。叔母さんはそれを抜き取り目盛を読むと言葉を詰まらせた。
「さっきから身体が重くて、動かせないんだ。だから、最後に。いいでしょ、お母さん……。」
 カズのこんな姿は見たくなかった。軽い気持ちで見舞いに来た事を後悔した。だからこそ、僕は何も言えなかった。それはいけないとも言えなかったし、やってあげなよとも言えなかった。

「光くんは、今日ここに来なかったし何も見てなかったのよ。叔母さんとの、約束。」
 そして。
 干からびていくのに安らかな顔のカズを見て、僕は逃げ出した。


 最期の日。
 珍しくバーにはたくさんの人がいた。端っこで若者達のグループがちゃんとしたビールを飲みながら叫んでいた。
「俺たちは生きる! 俺たちはこれからも生きる! 必ず生きてやる!」
「生きてやるんだ!」
 手袋やフードを被ったまま若者達は大声で叫んでいる。酔っているのだろう。
 それは僕もだ。今日は大枚叩いてビールを飲んでいる。初めて飲むのだが、黄金色の濃厚な薫りのそれはびっくりするほど美味しい。
「渡辺さん、楽しそうね。」
「岩崎です。」
「え」
「本当は岩崎光って名前です。」
「そうなんだ」
 くつくつくつ、と鈴を鳴らすような透き通る笑い声が僕に向けられる。
「……お姉さんは、なんて名前ですか。」
「あれ、言ってなかったっけ。」
「ええ、この2年間一度も。」
「あら……。ふふ……。」
 世界が終わりに包まれる。ラジオは話す。
『人類の皆さま、この地球上で長い間ありがとうございました。あなた方の文化、歴史であるミームは国連管理下のAIたちによって未来永劫保存されます。あなた方の繁栄に敬意を。あなた方の終焉に祈りを。さようなら。さようなら。』
 そんなラジオの言葉をただうるさいと思いながら、僕はお姉さんと手を重ねていた。お姉さんの美しい顔が凄まじい速さで萎びていく……。
「未來、と言います。」
「未來さん。」
 未來さんは赤面しながら僕の顔を見つめる。老婆のようになったその顔を見ながら僕は思った。

 −–なんて美しいんだろう

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