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ひとり問う 3

喜びの味-Intermission
 

 気取ってみた。
 理性とか知性とか語ってみたが、そんなに深くその事に触れていないなぁとか思っていた。僕は感情の上下が激しく、怒りにも悲しみにも飲まれやすい。
 一方で、喜びも大きいものだ。
 仕事は嫌なことも多いが、なかなかにその中で褒められるととても嬉しいものだ。
 良いこと49、嫌なこと51の比率。
 どっかのロックスターでさえそんなこと言っちゃうくらい世の中は苦しみが多い。なんなら、紀元前の覚者でさえこの世は苦しみに溢れているとか言っちゃうほどだ。それでも、人が滅ばないのって些細な喜びでも生きる理由とかになるからとか、差し引き嫌なこととギリギリ中和できるんじゃないかとか僕は考えてしまう。
 実際、僕はというと借金あるし彼女いないし家族と仲違いしたしで嫌なことが多い。だけども、温泉に行って露天風呂で日が沈み月が昇るのを見るだけでも「生きててよかった」と真剣に思える。そういうことがあると、普段は目を背けてたことに目を向けて立ち向かえたりする。
 それに、人は苦難を超えた時に大きく成長できたと感じる生き物でもある。それは脳の報酬系の話とかも絡んでくるんだが、もっと人間が人間たらしめてる原初の理由だと思う。
 昔、ウルトラQの平成版を見ていた時だ。確か、キョムール人というのが悪役の話。
 キョムール人は人の想像を奪い力にする。作家が話を書けなくなり、遠くの山を見て言う。
「あの山の向こうには何があるんだろう?」
 これこそが「人間」だと僕は思う。
 山を超えた先には何があるのか?
 きっと、広大な大地がある。草木が茂って、水も溢れる。この砂漠よりも明るい未来が待っている。
 大地の果ての海、この海を超えた先には何があるのか?
 きっと、想像もつかない世界がある。雨より冷たいものが降っているのかも。見たことのない美味しい鳩でも飛んでいるのかもしれない。黄金が積んであるかもしれない。
 だから、人間は旅をした。
 実際に他の動物はなかなか自身のテリトリーを超えない。人間のようにスタミナがないからだけでなく、イマジネーションがないからだ。
 あの山を超えた先には?
 海の先には?
 空の先には?
 銀河は?宇宙は?
 ……キリがない。杞憂なんて言葉もあるが、僕は頭の勝手な想像をいつも言葉ではっきりさせてあげたい。
 嫌なことがあっても、僕は思う。




 すごいかわいい女性に逆ナンされてしまって、実はその人が資産家の娘でその父親にも気に入られてしまい「君のような男が息子ならば私の人生はより幸せだろうな」とか言われてしまい、スピード結婚。「お金に困ってないから遊んでてもいいのよ」とか妻に言われて、毎日ゲーム・漫画・映画の日々を過ごして趣味で人生を埋め尽くす。家政婦とかいる家だから一切家事もしなくてよくて、高等遊民のように遊んで暮らす。そして、生まれつき芸術の才能とかが実はあってものすごい後世に残る名著を遺して、死後も「漱石mk.Ⅱ」みたいな扱いを受ける。



 アホか

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