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「一番最初がよくて、後続がなかなか超えられない話」と「撮影のセオリー」との狭間でもがく話

「ビギナーズラック」という言葉があるが、それと疑似的な現象を写真で体験することがある。一発目。いわゆるファーストショットで感じがいい写真が撮れる。その後、何度もシャッターを切るものの、1枚目を超えることが出来ない。で、その場面を諦めて、次の被写体へ向かう。

私の場合、結構な確率でこのようなことが起きる。

例えば昨日の帰りに撮ったこのショット

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あまり絵にならない人工的な川のある桜並木の夕暮れ。ポケットカメラ(オリンパスTG-630)は、シャッター1/30を示していた。このまま撮っても、ありきたりの絵になると感じてシャッターと同時に回転させた。

もう少し何とか工夫できるだろうと、撮影を続けるが結局この1枚目を超えることが出来なかった。

1枚目がよいショットである理由として、考えられるのは「感じたままにナチュラルに」構図を決めてシャッターを切っているということだと思う。
その後、自分の意志を込めて、作為的に構図やシャッタースピード・絞り等を変えて、1枚目を超えようとする。しかし、ナチュラルな感性で撮った1枚目を、幾ら超えようとしても及ばない。

多くの撮影の場合、1枚目で様子を見て、技術的に1枚目の足りないところ、構図や露出の欠点を補正し、何枚か撮影しながら自分の理想の絵に近づけていく。自然風景、特に夕日などの場合、その情景の一番いいタイミング(ピーク)と自分のベストの構図・露出・絞り値・ホワイトバランスなどを持ってきたい。それが撮影のセオリーだ。

だとするならば、技術的には後に撮影した方が、よい写真になるはずだが、自分の場合、一番最後のコマを選ぶことは明らかに少ない。何かしら、その場面と対峙した空気感やその時の情景を表現するコマは、撮影前半や中盤に訪れて、後半はどちらかというと自分がその場面を納得・消化するためにシャッターを切っているケースが多いと感じる。

写真には、狙いを超えて「撮れてしまった」というおよそ「上達」とは違ったレベルのものが時折混じるし、それが撮れてしまうと、それだけで気持ちのいいものだ。ただ、自分の目の前で起きていること以上のものは写ってはくれない。

そして、その瞬間の少し前に、カメラの設定が準備できていないと、恐らく狙い通りのモノは撮れない。事前の予測がいかに大切であるかは、カメラを持っている人であれば、多かれ少なかれ感じていることだろう。カメラキャップも私はつけない派である。助手席にカメラを転がしておいて、カメラを起動した3秒後には、ファーストショットを切っている。そんな風に心掛けている。

また、自分だけのジンクスだが、初めての撮影方法・初めて使う道具も意外に最初のショットがよい。

撮影方法では、例えば産まれて初めて撮った「縦パノラマ」の写真。
下の写真は何気にいい感じに撮れて、前回のnoteの記事にもしたのだけれど、翌日同じ場所で数枚「縦パノラマ」を狙うもどうもうまくいかない。

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初めての道具では例えば、インターバルタイマーを初めて使ったその日に表紙にも採用している「火球の写真」が撮れてしまったり…。

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作為や技術力で、ファーストアプローチを超えられないことが多いとするならば、中盤~後半にもう少し力を抜いて感性のままに撮ってみようかと思うのだ。


写真は、最後のシャッターを切る瞬間のみクローズアップされ、常に楽に撮っているものと思われがちですが、その前のプロセスにかなりの部分を割いているものです。暖かいお気持ちで、サポートいただけるご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。