見出し画像

#040 桃色の隅

こんばんは。四野葉です。五月病の季節です。でも年中五月病みたいな感じなので特に何とも思わないです。最近のメンタルの状況はまあいいほうです。これが続いてほしいという自分と鬱のままでいたいという自分がいます。これ鬱あるあるとしてボカロPのMARETUさんが書いていたのですがめっちゃ共感したので引用させていただきました。(https://note.com/maretu00/n/ndc724e624fdc


エンドロールを越えて

五月が始まって一週間くらいがたちました。早いです。ちょっと前まで「もう四月終わっちゃったな~」とか思ってたのにもう、五月に両足を突っ込んでしまいました。四月の忘れ物を取りに行くことはできません。四月の忘れ物と言ったら何でしょうか。私は夜桜です。昼間の桜は散々見て満足したのですが、夜桜は見たいとは思っていましたが機会を逃したまま終わってしまいました。悲しいです。 
今年は感傷的な春だったなと思います。日記を振り返ってみると「疲れた」とか「今日は暗かった」とか「憂鬱」とかそんな言葉が目立ちます。実際思い返してみると新しいクラスが始まり、クラスの雰囲気についていけてる気がせずぼっちに片足を突っ込んでいるような日々でした。
そもそも私は、新しい環境が苦手なんです。新しいものに直面した時の不安が尽きないのです。なんか、こう、漠然とした不安と言うんでしょうか。
う~~~ん、、、、これからどうすればいいのかわからなくなってるような。とにかくずっと同じままでいたい。安定して、安心していたい。なので私は春が嫌いでもあります。別れの春とか出会いの春とかそんな言葉が嫌いです。それが私の春に黒い絵の具を垂らした原因の一つかなと考えています。

同調圧力という蓋

同調圧力という言葉があります。辞書には

<多数派/有力な者>に合わせるべきだという、見えない圧力。

三省堂国語辞典 第八版

と書いてあります。学校だと結構こういうのが根深く残っているような感じがします。私は今年の目標に同調圧力を気にしないと決めています。私はこれまで自分の意志というのがありませんでした。誰かの言うことを聞いてそれに従うのが楽だったからです。そっちのほうが目立つわけでもなく、引っ込んでいられるので。
でも考えたんです。「本当にこれでいいのか」と。自分の意見とか考えとか意思とかを持たないと生きていけないのではと考えました。私は小説家になりたいんです。そのためにはやはり自分の何かしらのものを持つべきだと思いました。そこで私は「自分」をしっかり持とうと決めました。
んで、実際に学校では同調圧力とかそういうのを一切考えずに生活しています。風当たりはかなり感じます。学校というのは生徒の個性よりも集団としてのまとまりを重要視していると私は勝手に決めつけているのですが、やはり「集団のまとまり」というのと「自分の意志」というのは相反しています。なので結構大変ではあります。ですがそっちのほうが生きやすいなというのは感じます。

幕引き

今日は文章量のわりに時間がかかってしまいました。普段だったら頭にポンポン浮かぶのに今日はまったく浮かびませんでした。脳みそがつかれているのかもしれません。休みまであとわずか。踏ん張ります。
今日のタイトルに意味はありません。適当に考えました。
今日も最後までありがとうございました。今後もよろしくお願いします。
では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?