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先輩がいた青春 

 そろそろ書いても良いくらいは時間経ったと思うんだよね。

 私のイカれた青春時代については何度か触れてきたのだが……、今回はその中でもとりわけイカれた話をしていこうと思う。

 ある時、私はとある先輩と半年ほど一緒に暮らすことになった。と言っても、実際は別の場所との往復をしながらの生活だったから、実際に一緒に過ごしていたのは2ヶ月間くらいだったと思う。

 先輩はとても気難しい方で、寮長に私は「お前なら耐えられる」という極めて雑な理由で同室にされた。といっても、他の同級生や後輩は先輩と喧嘩をしてしまったり、気が滅入ってしまったりしているので、無理もない話であった。軍事オタクで年がら年中迷彩服を着ており、その恰好で街中を闊歩するものだから彼が歩くと自然と人が避けて道ができた。私たちはそんな先輩に畏敬の念を表し、モーゼと呼んでいた。

「何か耐えられないことがあったり、文句があったら俺に言っていいよ」

 と寮長は私に言ってくれたが、私がこの権利を行使することはあまりなかった。どういうわけかモーゼ先輩に気に入られたのである。それに私も気に入られて悪い気はしなかった。モーゼ先輩は米軍やら自衛隊やらの兵器にとにかく詳しく、喋りも上手いからそれらの兵器が実に魅力的なものに見える。自分の知らないことを知っている先輩の話を聞くのは悪い気がしなかったので、私は先輩の話をよく聞いていた。

 ただ先輩の部屋に住むために、私は重大な壁を乗り越えなければならなかった。先輩の部屋は絶望的に汚いのである。壁には謎の黒い斑点があり、台所のシンクの中はオリジナルの生態系が構築されている。特に綺麗好きの人間にとって、先輩の部屋で住むというのは死と同様の苦痛を齎すに違いなかった

 なので個人的には先輩と住むのは全く構わないのだが、この部屋に住んでいると身体を壊しそうな気がするのは問題だったので一緒に掃除をすることにした。トイレも文章で表現することが憚られるレベルの汚さだったので、そこはさすがに「先輩やってくださいっす」とお願いをしてやってもらうことにして、私はシンクの生態系の破壊作業に着手した。

 シンクの中はよくわからん虫や肉眼で目視できる程度の謎の生命体がうようよしており、それを雑巾でひたすら擦るという地道な作業である。段々とシンクの床や壁のどす黒い汚れが減ってきてステンレスの輝きを取り戻していくのは意外と面白いものだ。次第に小宇宙は侵略者たる私に破壊されていき、30分もすれば、あとは仕上げをするばかりというところまでにすることができた。

 事件が起こったのは私がまた雑巾を手に取りシンクを擦り始めた頃である。トイレのドアがドカンという音を立てて空き、振り向くと血相を変えた先輩の姿があった。私が「どうしたんすか」と声をあげるより早く、先輩は

「ごめん、洗剤混ぜちゃった」

と言い放った。

 ヤバい、死ぬ。

 何やってんすかぁ!と言いながら私は先輩の部屋を飛び出して、そのまま寮長に報告しに行った。アカンす先輩が洗剤混ぜたっす。ガチ死ぬとこやったっす。普段は温厚な寮長もさすがに度肝を抜かれ、そばにいた同級生や後輩も仰天してしまった。ただ当然ながら命の危機を感じた私が一番動転しており、寮長は落ち着けと私をなだめるのにしばしの時間を使わなければならなかった。

 5分も経っただろうか。深呼吸をしろ、水を飲めと言われた私は寮長に宥められてようやく落ち着いたのだが、一同は今度は先輩が部屋から出てこないことに気が付いた。先輩は今頃洗剤を吸って部屋の中でくたばってしまっているのではないだろうか。仕方がないので寮長と私で部屋に行って先輩の安否を確認することにした。寮長がインターホンを押し、「お~い、生きてるかーい」と言ったが反応がない。いよいよ良くて気絶、悪くて死んでいるのではないかという疑念が2人の間をかすめた。

 そこそこに長く感じた数秒の後だったと思う。ドタドタドタ、という先輩の特徴的な足音が聞こえ、バタンと景気よくドアが開いた。「どうしたんすか」と話しかける先輩はミリタリーショップで購入した中古の軍用ガスマスクを着けていた。ガスマスクの実用を試みる人間を私は生まれて初めて見た。先輩はその日の夜、寮長と戦中生まれのオッカナイ塾長に死ぬほど怒られた。

 まあ、色々あった気もするが、とにかく部屋は綺麗になり生活する分には問題なくなったのである。私と先輩の日常生活が始まった。先輩は機嫌のいい日はいろいろなミリタリーグッズを見せてくれる。例えば旧ソ連の軍用ヘルメット。思った以上に軽く実用的であった。例えば狙撃用の望遠鏡。スナイパーが使うのかと思ったが、スポッターが使うものだった。私は先輩に、スナイパーはスポッターと一組で行動するものなのだということを教えてもらった。

 掃除の日から1か月くらいのことだろうか。ある日先輩は私にガイガーカウンターを見せてくれた。民間用である。福島第一原発事故の影響があり、私たちが住んでいる場所でも側溝等の水が溜まる場所にガイガーカウンターを持って行くと反応があるらしい。私も男の子なのでメカは好きである。

「一回、電源押してみていいよ」

と先輩が言ってくれたので、ウキウキの私は機械の横にあるスイッチを押した。するとしばしの沈黙の後、ガイガーカウンターの針が左から右にぐいーんと移動していった。あれ、この部屋おかしくね?

「あ~、それはね」

 私の焦りを伴った疑問を先輩はさも当然かのような口ぶりで語り、傍にあった棚に飾ってある赤みがかかった石ころを取り出した。

「これから放射線が出てるんだよ。これは通販で買ったウラン鉱石でね。本当は鉛の箱に閉まっておかないといけないんだけど、綺麗だから飾ってあるんだ」

 今すぐそのイカれた石を箱に入れて二度と出すな。ゴネる先輩を黙らせ、ウラン鉱石を鉛製の箱に入れさせた。あの石は初日の掃除の際に見ていたので、私は1ヶ月もの間、放射線丸出しのウラン鉱石の横で暮らしていたことになる。知識がないので線量に応じた自分の身体への影響は知る由もないが……少なくとも心理的打撃については凄まじいものがあった。もちろん先輩はその日の夜、寮長と塾長にカミナリを落とされた。

 とまあ、先輩には何かと話題に事欠かず……今考えるとよくまあ一緒に住めたものだと思うが……。当時はそれが僕の一つの役割なのだと思っていた節はある。それに先輩はイカれてはいたが、とても魅力的な方だった。人間はきっと、どんな人でも魅力というものを持っているのだろう。

 今、先輩はどこで何をしているのか全く分からないが……生命力がすごくある方だから、きっと元気にしているはずだ。でも身体が心配だから、ウランは仕舞ったままでいて欲しいな。

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