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とある夜の追憶

 ぼくが暮らしている街は、抱える人口の少なさの割には、繁華街が発達している。飲みに行くのが好きなぼくは、人付き合いも相まって店主と顔なじみになったお店を何件か知っている。そのすべてが個人営業店で、客が一人でも酒が飲み足りないと言えば閉店時間を延ばしてくれるような温かさを持っている。

 数年前の話である。ぼくは深夜1時頃に裏通りにある居酒屋にいた。そこの店主は一見強面で怖そうなのだが話してみるととても物腰が柔らかく、親しみやすい方で良く行くようになった。休日の前の日などはついつい長居してしまう。下らない話をしながらお酒を飲んで過ごしていると、数個下くらいの女の子が入ってきた。かなり目鼻立ちが整っている印象だった。街を歩けば男が10人いたら10人振り向くだろうと言い切って良い。しかし、この居酒屋では見かけない顔だった。4席しかない小さな居酒屋である。このような場所に来るお客は大体、常連だけだ。

 女の子はお酒はまだ飲み始めたばかりで、年は自分の2つ下だというだという。(この店で頼まれることは実に珍しい)カシスオレンジを頼んで、ぼくの隣の席に座った。

「今仕事から上がったんです」

 と言った。深夜まで働くとなると大変だろうと思い、そのままぼくは素直にどこで働いているんですか、と聞いた。繁華街だから、大方飲食のバイトでもしているかと思ったのである。ああ、と返事をしたのちに女の子は笑って、ある店の名前を口にした。その店の名前は地域でも有名な夜の店の名前だった。
 それくらいなら別に驚かない。夜の店に勤めている方が一見で飲みに来ることは、この辺りではよくある。

「あ~あそこね」
「え、お兄さん行ったことあるんですか?行かなさそうな見た目してますけど」

 ……褒めているのか貶しているのか分からない(もちろん行ったことはない)が、とりあえずスルーして、しばらく話に付き合うことにした。しばらく会話を重ねていると、なぜかどれくらい稼いでいるのかとか、下世話なほうへ進んでいってしまった。別に聞いてはいないのだが、酔っぱらったのか女の子が勝手に話し出したのである。しかし、手取りの話を聞いて酔いが冷めそうになった。

「月に100万くらい」

 ぼくの酒を飲む手が止まった。月100万である。100万円あれば何ができるか分からない。小説執筆のための調査費に30万、VTuberの活動費に30万当てたとしても40万余ってその金で海外旅行に行ける。

 しかし、女の子の話を聞いているとそのカラクリが分かってきた。彼女はひと月に一度、住む場所と勤め先を変えるのだという。すると持ち前の圧倒的な美貌から、あっという間に店の看板を背負うこととなる。すると店の常連客からは新しい女の子が入ったということで指名がバカバカ入る。ひと月もたてば手元には100万円が・・・・・・という具合だ。ふた月目になると客も慣れてきてしまい売り上げが落ちるので手取りが落ちてしまう。だから、店にいる理由はないらしい。女の子は次は熊本にいくという話をしていた。

 いいなぁという素直な感想が口をついた。月100万など並大抵の金額ではない。貯金でもして未来に備えているのかなと考えていた。しかし女の子は、

「あ、でもあたし今貯金全然ないんです。もう大変で」

 と言った。またぼくは目を丸くしてしまった。月100万などぼくら庶民の感覚からすれば使おうにも使えないような金額だ。一体どのような使い道があるのだろう。

「え、それじゃあ何かに使ってるんですか」

 酔った勢いでつい聞いてしまった。不躾な質問だが、深夜の飲み屋では雰囲気次第でこのような質問が許される。すると彼女は楽しそうに語り始めた。

「大阪に推しのホストがいるんです」

 これが女の子の出だしだった。そのホストに会いに行くために、月に1度、大阪に帰る。ホストクラブではたくさん金を落とした女の子が優先的に目的の男の接待を受けることができるため、客同士の競争となる。「推し」の接待を受けるためには100万くらいは払って、シャンパンタワーをやらなければならないらしい。

「へえ~、そうなんですか」

 平静を装って聞いていたが、どれだけ取り繕えたかは分からない。当時自分はホストという存在をキャバクラの延長線上のようなものだと思っていたから、客同士で競争があるといったような話は初耳だったのである。

「それで、毎月地方を回って、月末に大阪に帰るんです」

 女の子はそういった。毎月戻らないと、贔屓客として扱われなくなってしまうらしい。なので女の子は、月初に地方都市に入って超美人の新人として夜の店に勤め始め、新人効果が切れ始める月末になると退職して大阪に帰り、売り上げをホストのサービスに使う。これをひたすらに繰り返すのである。

 ぼくはホストというのがよく分からず、また当然のことながら同性である男に入れ込んだこともないため、一人の男に月100万を延々と振り込むような行動が今一つ理解できなかった。ただ、彼女の顔つきから、今それをまさに本人が行っていること、そして本人は至って真面目であることを知った。

 すると、ずっと話の聞き手をやっていた店主が

「家には帰ってるの?」

 と口をはさんだ。この質問に、女の子はにっこりと笑顔を作って一言言い放った。

「もう2年は戻ってないです」

 その後10分程度で、女の子は疲れたから寝ると言って、代金を払って帰っていった。飲みかけのカシスオレンジと手が付いていないお通しのつまみが席に残された。

 この文章に結論はない。ただ、記さなければならないことだと思ったので、今回記すことにした。


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