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私は何者なのか〜厄年に耳下腺腫瘍になった話

相変わらず時系列バラバラですが、思い出したわたしの半生から綴っています。昨日定期健診に行って、健康について考えたら、思い出したことです。

2007年、耳下腺腫瘍という腫瘍が右耳の前に見つかり、手術で摘出したことがありました。この経験は案外学びが多かったのと、今につながることもあったので、15年以上も前の話ですが、記録しておこうと思います。

アグネス・チャンさんのおかげで

それは30代前半、転職後の会社で楽しく働いている頃。ある朝、出勤前にテレビから流れていたワイドショーが目に留まりました。

アグネス・チャンさんがインタビューに答えている映像。なにやら彼女が病気をしていて、その復帰・報告会見的な映像でした。

「耳の後ろにおっきなコブみたいなのがあって、びっくりしたんです。でも早く発見できたので、無事に手術で摘出して、いまこうしてここにいます。」

そんなような内容だったかと思います。彼女独特のかわいらしい発音で、笑顔で明るく、レポーターたちに囲まれていました。

普段ならスルーするような芸能コーナーなのに、なぜか耳に入ってきたんですね。あとで思えば、これがセレンディピティというやつなのか、虫の知らせだったのか。とにかくピンときました。

「おっきなコブ、わたしにもある……」

わたしのは右耳のすぐ前でしたが、コリコリした、触ると位置を変えて動くようなしこりがあって、痛くもないしなんだろう? と気にはなってたんです。

そこへ、アグネスさんが話していた内容とその後の一問一答は、あまりにドンピシャで、わたしを動かすのに十分でした。

間を置かずに近所の耳鼻科を受診したところ、想定どおり。たまたま大学病院の先生が派遣で来てる日で、すぐにその大学病院への紹介状を持って、精密検査を受けることになりました。

アグネスさんが発症したのは、「唾液腺腫瘍」というものでしたが、わたしのは「耳下腺腫瘍」という診断でした。唾液腺と耳下腺はそう大差はなく(素人目線で)、症状や治療の経過はアグネスさんとほぼ同じものでした。

ワイドショーを見てなかったら、自分で受診できた自信はなく、アグネスさんにはずっと、お見かけするたび感謝しています。

耳下腺腫瘍ってなんだ?

それからとんとん拍子に事が進み、見立てどおり「耳下腺腫瘍」との診断が確定すると、手術で摘出するという選択肢しかありませんでした。放っておけば大きくなる一方だということで、わたしのは、見つかった時点で急いだ方がよいほどには育ってたみたいでした。

腫瘍の良し悪しは、摘出して病理にかけないと分からず、悪性(がん)の可能性は1~2割程度で、わたしの場合は良性だろうとは言われていました。

が、後遺症のことはすごく脅されました。耳下腺周辺は神経が集中しているところなため、神経を傷つけた場合、さいあく表情筋の一部が動かなくなり、それがどの辺りに出るかは分からないと。そういった説明をみっちり受けたあとに、手術承諾書にサインしたのを覚えています。

アグネスさんも、じつは表情に麻痺があったそうです。

それにしても、相変わらずお美しすぎる!

全身麻酔が地獄だった

手術は3時間ほど、入院は1週間ほど、仕事復帰も2週間ほどでできるというスケジュール感でした。

ちょっとしたお休みをもらえた気分で、入院中に見るDVDボックス(韓国大河ドラマの『ホジュン』)や読みたかった本を持ち込み、はじめての入院をイベント化していました。

しかし、地獄は術後すぐにやってきました。

全身麻酔の手術って、ほんとうにつらい。麻酔から覚めた瞬間は意識朦朧、先生が良性だったよ、と言ってくれたような、いや看護師さんだったのか、母親だったのか。

とにかく吐き気しかなく、その後全身の感覚が戻るまでにも相当の時間がかかり、気分は最悪。当然トイレもしばらく行けません。しかも、耳の前を切られているせいで、頭がガンガンに痛い。動けるようになっても頭を動かせない状態が続きました。

徹底的に麻酔に合わないタイプだったようです。思い返しても、もう二度と全身麻酔は受けたくないです。

入院中に考えたこと

痛みが治まってきてからは、療養のための時間がたくさんありました。

DVDを見続けるのにも疲れ、友人が差し入れてくれた漫画も読み終わり、同室のおばさま方とは話がまったく合わず……となると、あまった時間は、ひとり考える時間となりました。

人間病気をすると生き方を反省するのでしょうか、心の奥で引っかかっていたことに考えを巡らせたんですね。忙しく働いている普段の生活では、まったく考えないことがいろいろと浮かんできたのです。

そこで反省したことや、今の自分、先の人生について考えたこと……。実はそのうちのひとつが、現在の夫と再会することにつながったのでした。入院期間がわたしの人生を左右したと言えます。間違いなく。

この年は、女の厄年でしたが、わたしにとって病気になったことは、人生の転機でもあったのでした。

後遺症とラッキーなこと

わたしの場合、傷口の治癒とともに、表情も問題なく動かせるようになりましたし、傷跡も目立たずにすみました。5年くらい経過観察に通いましたが、再発もありませんでした。

ただ、耳下腺とは汗をコントロールする作用もある腺で、そこにはひとつ、後遺症がのこりました。なにかを食べると、右耳の前からじんわり汗が流れるのです。本来誰にもある機能だとは思うのですが、そこがちょっと壊れてしまって、すぐ汗がじんわり出るくせにまったく感覚がないので、慣れるまでは少々厄介でした。
でもこれは、あのときの一連の経験の証だと思って、案外気に入ってます。

その程度で済んだので、わたしの病気体験は、総じてラッキーな方に転びました。結局、近所の病院で最初に診てもらった先生に、手術を執刀までしてもらえたのも、恵まれていました。

もうひとつ、ラッキーと言っていいのか……その少し前に兄が保険会社に勤めたために、なにやら医療保険に入らされていたのです。おかげで後日、入院費+アルファが返ってきたのも、タイミング! と思ったものです。

ふとしたことが、気づきやきっかけになるって、けっこうあるかもしれませんね。なにかを受信する力、感覚は研ぎ澄ましていたいものです。ぼーっとしてる間に、大事なサインを取り逃さないように。


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