『高い目標』に挑んでもらうには当人に動機付けができないと難しい。
世の中の企業の多くは3月が決算月でしょうから、ちょうど今頃は来年度の計画がFIXして社員に活動計画を共有したりする時期かと思います。
※これ、発表する側はけっこうドキドキものなんですよね(苦笑)。
昨今は様々な環境変化によって未来の予測が難しい時代(VUCA)と言われます。実際、ここ数年で立て続けに起こっている事象(災害、疫病、戦争等)をみると『まさに』という感じですね・・。来年何が起きるかなんて誰も正確に予測はできないし、それによって自分たちにどのような影響がでるか不透明なことが多いので、会社が立てる計画は(もともとそういうものですが)『こうあろうという意思(宣言)』でしかないのだろうと思います。
どのような計画を立てるかは会社によって千差万別。
こういう時期だからということで手堅い計画を立てる企業もあれば、こういうときだからこそということで飛躍的な成長の計画を立てる企業もいます。複数株主がいる会社が立てる計画とオーナー企業の会社が立てる計画も違えば、短期的な考えを優先する会社と中長期的な考えを優先する会社が立てる計画も違ってしかるべき。大企業と中小企業の計画も違うでしょうから、まさにその会社独自の計画を立てていく必要がありますね。
企業の成長を目指すうえで『非連続な成長』を目論む企業も多いことでしょう。現状の延長線上のオーガニックな成長ではなく、突如跳ね上がるような成長を実現しよう、ということです。
『非連続な成長』というくらいですから、現状やっていることをさらに頑張るというだけでは追いつきません。実現するためにはいままでのオーガニックな成長に追加して新たな取組を行う必要があります。それは新規事業かもしれないし、大胆な戦略の方針転換かもしれない。いずれにせよ、今までと同じやり方では実現できないことは確かです。そのため、実現するにはトップの強烈な牽引力が必要ですし、自ら責任をとってやりきるという覚悟が必要になるでしょう。
※他人任せで「やってくれ」では実現は難しいと思います。
『飛躍的な成長』は多くの現場にとってはしんどいもの(苦笑)。
数字目標が跳ね上がればそのための稼働は増えるし、ストレスも増えます。・・とはいえ現場の人たちが精力的に動いてくれなければ目標は達成できません。上からのプレッシャーをあまりにかけすぎると「別にそこまでしてここで頑張る意味ないし」と転職を促してしまう結果になりかねません。
※プレッシャーもひどい場合は「パワハラ」認定受けますしね。
現場の人たちが自主的かつ精力的に動いてくれるためにはどうすべきか?
まず最初に大事なのは『なぜ飛躍的な成長をしなければいけないのか?』を具体的に説明する必要がありますよね。「将来この会社で●●を実現したい/この会社は●●であるべきだと思っているからそれを実現するためにやる必要がある」と目的(Goal)を説明されなければ、何に向かってしんどい思いをしなければいけないのかがわからない。そしてそのGoalは「一緒に目指そう/目指したい」と思えるような魅力的なものである必要があります。
何の目的もなく「会社が決めたことだからやってくれ」「みんなで大きな会社にしようぜ」などという漠然としたトップダウンでは単なる数字遊びの押し付けにしか思えないし、誰も本気で同じ船に乗って頑張ろうとは思えない、と思うのです。
ただ、目的を説明しただけではまだひとりひとりが自主的かつ精力的に動いてくれるまでには至らない。もう一歩踏み込んでもらうためにはやはり目標を一人一人に『自分事化』してもらう必要があります。そして自分事化してもらうためにはその目標を達成したときに当人にとってどんなメリットがあるのかが明確にならないといけないのではないかな、と。
動機付けをするための『自身にとってのメリット』は人によって千差万別ですね。わかりやすく年収アップ、昇格、役職付与といった場合もあるでしょうし、「これを実現することで●●という社会貢献ができる/新しい市場を生むことができる」といったエモーショナルなことかもしれません。
理由はなんであれ、自らのメリット(得られる価値)もその目標を達成することで得られると思うことができれば「よし、頑張ろう!」と自分事化することができるでしょう。
飛躍的な成長はある意味『諸刃の剣』にもなりかねません。
先述のようにこれまでの延長線上にはないものなので、少なからず会社や組織に変化を起こす必要があります。変化は多くの人にとっては苦痛なもの。それにより、人によっては「自分と合わない」と判断して会社を去っていくこともあるでしょう。しかしトップとしてそういう懸念があってもやらなければいけないと判断するのであれば覚悟をもってやるべきだと思います。
この時期に立てた事業計画は次年度の今頃には答え合わせができているでしょうから、できるかぎり『正解であった』と思えるようにしていきたいものですね。