A Day In The Life 〜 生活困窮者とフードロスと何も出来ない自分

休みの日は買い物を兼ねてひたすら歩く。大体家からみなとみらいを抜け横浜駅、というのが定番のコースだ。

コロナの感染がひどくなった昨年の春くらいからだろうか、みなとみらい界隈である男性をよく見かけるようになった。何故目についたかといえば、ゴミ箱をあさって、捨てられた容器の底に残った食べ物を食べたり、飲み物を飲んだりしていたからだ。

正直嫌だな、と思った。そういう行為もだが、何故その男性がそこまでしなくてはならないかを思うと、辛くなり、単純に見たくなかった、と思ったのだ。
多分30代位で、意外と身なりは清潔にしている。どんな生活をしているのか、コロナの影響を受けてそうなってしまったのか、何もわからないが。

大体見かけるのはみなとみらい地区だが、たまに1キロちょっと離れた横浜駅の地下街でも見ることがあり、そんなに歩いて逆にお腹空くんじゃないかな?と心配になったりしたものだ。

そんな姿を目にする度、私は自分を責めるような気持ちになった。例えば食べ物に関しても、元々食が細いが、年齢とともにさらに食べる量が減り、外食しても完食出来ないことがある。あらかじめ少なめでオーダーするようにしているが、最近はタッチパネルやスマホオーダーも多く、わざわざそのために店員さんを呼ぶのも気が引けるので、結果残してしまうことも多い。「普通にご飯を食べれる」それがどんなに幸せなことか、全くわかっていない自分を思うと、申し訳ない気持ちになってしまうのだ。

そして2月のある休日、その日はめずらしくJRを使って横浜駅に降り立った。横須賀線が人身事故で遅れている、というアナウンスが流れていた。改札口に向かうと、なぜか外に警察と駅員がたくさん並んでいる。なんだろう?と思って見ていたら、目の前を担架に乗せられた青いビニールシートの細長い袋が運ばれて行った。

なんとなくその光景が頭を離れず、そのあとネットで調べてみたが、結局亡くなられたのは男性、ということしかわからなかった。

そしてその後、例の男性を見かけることがなくなった。

それにしても自分はなんと無力なんだと思い知らされる。困っている人々を見て胸が痛いと言いながら、その舌の根も乾かぬうちにバラエティーを観て笑い、お腹いっぱいになればごはんを残す。私に出来ることと言ったら、せいぜいたまに寄付をし、一瞬でも心を寄り添わせるだけだ。そう、結局自分が経験しない限り、全ては他人事。The Beatlesの "A Day In The Life" のように目の前を通り過ぎて行くだけなのだ。

そしてそれから数週間後、みなとみらいで再び例の男性を目撃した。なんだかほっとした。ゴミを漁ってでもなんでも逞しく生きて欲しい、と心からエールを送りたい気持ちになった。

何も出来ない自分が、こうして心の片隅で祈り続けることは無駄なことなのだろうか?ただの偽善なのだろうか?
でも少なくともそういう心が世界中に存在していれば、ウクライナ侵攻のようなことは起こらないのではないだろうか?

結局何も答えがわからないまま、また1日が過ぎて行く。A Day In The Life が。

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