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ミッドナイトスワンの映画と本から

『ミッドナイトスワン』の映画を観た後に,本を購入して読みました(以下,ネタバレを含みます).

*画像は公式HPから拝借しています.

SNS等でも絶賛されており,私の好きな江頭2:50さんのYoutubeチャンネルでも高評価されていました.映画と本からの,あくまで一個人の感想になります.

【映画と本の違い】

本は登場人物それぞれの心情をさらっと説明しながら進んでいきます.なので,恐らく映画の中でカットや省略されてしまって見えづらかった心情が,本を読むことで理解が出来ました.

逆に,本ではさらっと表現していることが,映画では俳優陣により表現が深化され,たとえ何気ないシーンでさえ胸を打たれることが何回もありました.

本は脚本をベースにしているのですかね?脚本というものを読んだことがないのですが,脚本がこの本のような感じだったら,そこから解釈し演技をする役者さん,特に草彅さんの演技は凄いと思いました.

【凪沙の変化について】

宣伝用動画や画像でも思いましたが,主演の草彅さんが男らしすぎる・・.

顔の骨格が凛々しすぎて,正直他の俳優さんもでも良かったのでは?と思っていましたし,映画開始直後でもそう思いました.

本の中では,トランスジェンダーと気づくことが遅かったため,男性としての骨格が成立してしまったとあり,なるほどと思いました.

草彅さん演じる凪沙は,男性として確立してしまった身体から少しでも「女性」に近づける努力をしてきましたが,途中髪を切って男の姿になります.

髪を伸ばし,化粧をし,女性の格好をしている凪沙が男性の気配を残していたのに,短髪で作業着を着た凪沙が一果を抱きしめる顔がもう「母親」の顔にしか見えない・・.

ちゃちゃを入れるつもりではないのですが,本当に「ガ○スの仮面」を彷彿とさせる,「く,草彅さんが女性に見える」ということが起こりました.

女性はお腹に赤ちゃんが出来ると表情も変わるといいますが,草彅さんが妊娠しているのではないか・・.女性の外見になろうともがくより,母親としての愛情が顔を変えるのだなと驚きと感動のシーンでした.

本にありましたが,たとえ女性の姿になれたとしても,子どもを宿すことが出来ない.そんなことを分かりながら「女になったから,母親にもなれる」と言った一果に言った凪沙の言葉・・.解釈をずっと考えています.

そして,最初の頃は自分がトランスジェンダーと親戚に知られたら殺すとまで,一果に言い放っていたのにも関わらず,終盤は一果のために女性(母親)の姿として親戚の前に現れます.

この映画を「ラブストーリー」と位置づけるように,凪沙の中に芽生えた愛情が,親戚に自分の姿を見られたくないという気持ちより,一果にバレエを続けさせるという気持ちが勝つ,本当に母親の愛の物語だと思いました.

一果と初めて会ったときは見向きもせず歩く凪沙が,公園で男性に話しかけられた時は,自然と一果の肩に手を回しさりげなく守ろうとしています.

草彅さん,これは無意識の演技なのですかね.

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一果は,本当の親である早織に,泥酔しながら働くのも「あんたのため」と言われます.そして,凪沙が男の姿になった時も「あんたのため」と言われてしまいます.

このシーンは,一部で男性の姿になった凪沙を受け入れられなかったという意見もありますが,大人が傷つきながら(凪沙はアイデンティティを捨て)「あんたのため」と一果にその責を押し付けてしまうことへの激情だった気がします.

ただ,早織に対しては一果は自傷行為でその感情を押し込めますが,凪沙は一果の思いを受け止め,一果を追い詰めず,一果から歩み寄ることを待っていました.暴力や自傷行為で自分の感情の行き場を作っていた一果が,「人」によって受け入れられる.涙が止まらないシーンでした.

凪沙は一果に「私たちみたいなのは,一人で生きていかなければいけない」と言いました.

その時は,お互い個々として独立した存在なので「一人で生きて」という言葉でしたが,もし終盤だったらどのような言葉をかけていたのでしょうか.

「私たちみたいなのでも,支えあって生きていける」でしょうか.

【水川あさみさんについて】

凄かったですね.ヤンキー感が.

もっと悪役に徹したほうが良かったのではという意見もありましたが,個人的には母親の愛情vs母親の愛情という一課の母親ポジション争いのための壮絶な構図でした.

良い母親ではないかもしれないのですが,ひたすら「子どものため」という言い訳と信念の間でがむしゃらな早織を悪役にしきれなかったですね.

会社でも家庭でもあるのではないでしょうか.「皆のため」と必死な女性の悲哀.

【リンについて】

リンちゃん役の方は良かったですね~.

1点受け取り方が間違っていたのですが,リンが一果に個撮を勧めたのは,一果にバレエの技術を追いつかれ始めた嫉妬かと思ったのですが,バレエに対する一果の情熱と才能に,これからお金がもっとかかるから,個撮が必要と思ったのですね.

本と映画では違うかもしれませんが.

【海のシーン】

物議を醸しだしている海のシーンです.

海に行くこと自体は唐突だと思いませんでした.

凪沙のトランスジェンダーとしての自覚のきっかけが海であり,名前も「凪沙」と自分でつけていることから,凪沙は海に何らかの想いがあることは伏線で示されています.

ただ,一果が海に向かうシーン.

これは本でも映画でも解釈が分かりづらかった・・.

映画ではカットしたシーンもあるということで,若干繋ぎが悪いシーンもあったのですが,推測するに一果の中で生きる希望を作ったバレエを支えてくれたのは凪沙とリンですが,その喪失と喪失の原因になってしまった自分が残されたことへの虚無感だったのではないでしょうか.

ただ,最後に「見てて」と言ったように,コンクールでは背負いきれなかった想いを,自分がバレエを止めてしまうことは二人の想いを無駄にするという覚悟を決めた一言ではないでしょうか.

【まともな男性がいない女性たちの演武】

ふと,この映画はまともな男性が出てこないな,と.

女性を演じている男性は抜かし,男性は早織の彼,リンの父,スイートピーのお客さん,先生,凪沙の風俗のお客,一果のお客とかですかね.

反対に女性陣は,凪沙,一果,早織,瑞樹,リン,リンの母(これもある意味強烈で楽しかった),バレエの先生,スイートピーのママ,凪沙の母と強烈過ぎる女優陣の演技の火花火花火花.

白鳥の湖は,人間が白鳥の姿にされてしまった悲劇です.凪沙も心は女性なのに,身体は男性ですが悲劇の象徴である美しい白鳥の姿には憧れます.

凪沙と一果の食事のシーンや,ダンスを踊るシーン,何気ないシーンですがどれも削れないです.

そう考えると,未公開シーンも含めた完全版が見たいなと思ってしまいます.

公開1か月を過ぎたからか,映画館での上映回数が減っているようで,会社帰りにちょうどいい時間帯の映画館が中々見つからなかったです.

しかし,私が観に行ったときはなんと満員御礼.

「この世界の片隅に」のように,多くの人に愛されロングランを目指して欲しいです!

今日も(いつになく)ダラダラと.

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