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ベビーカステラ・ベビー・スメル(小説)

ハミ山クリニカさんの「ベビーカステラ・ベビー」https://twitter.com/kllinika/status/1377820757837762563 二次創作です。この漫画がずっと心に残って、「あのベビーカステラのお母さんどうしてるかな...」と思っていたいつのまにか書いていました。ハミ山さん公開許可ありがとうございました。


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毎年その祭りに屋台を出すと、ガサガサした女が来る。
俺の屋台はベビーカステラを作って売る。流行に乗らない代わりに、この味が好きな人間がそれなりにいて、売り上げが大きく落ちることはない。ここ20年ほど、「なつかしい」と言いながら買っていく客が増えてきた。俺も客もだんだんと老いている。
だがその女は、ベビーカステラが好きなわけでも懐かしんでいるわけでもなさそうだった。
祭りは四日間続く。女は毎日、日が落ちてあたりが宵闇に沈み切るすこし前に訪ねてくる。
髪に艶はなく、肌も乾いて化粧もせず、服も屋台を出す側の人間が着るような服で、ちっともお祭りの浮かれた気配がない。ガサガサしている。
「ベビーカステラを一ふくろ、ください」
それでも、声だけが妙にか細くてつい顔を上げてそちらを見てしまう。
ベビーカステラの屋台で、「ベビーカステラを」なんてわざわざ言うのも、いつもどこか引っかかる。
「500円だよ」
いつものように、予めたくさん焼いてあるカステラを紙袋にざっと入れて、手渡す。
女が来るようになってもう6年にもなるだろうか。
「いつもありがとうね、おねえさん」
これくらい言ってもバチは当たらんだろうと声をかけた。
女は、ぼんやりとこちらの顔を見返した。初めてそこに人間がいることに気づいたような顔だった。
別に珍しい反応ではない。ものを売る人間が口をきくと驚かれることは多い。
「あの、」
ぼんやりとした顔のまま女が口を開いた。
「いきなりすみません、わたしのあかちゃんをしりませんか」
ぎょっとした。女の口から一番聞きたくない類のセリフだ。要らない口をきいた後悔を感じながら目をそらす。
「迷子なら…」
「ちがうんです、あの、産まれてすぐに、縁日のベビーカステラに混ざってしまって、うちの子」
ああそういうことか、と合点がいく。よくある話だ。子が流れるか産まれてすぐ死んで、おかしくなったんだろう。
それで6年も、と思うと、やすい同情が胸に沸いた。
「ん」
手で、ベビーカステラの紙袋を返すよう促す。女がおずおずと紙袋を渡す。
女の戸惑いを無視して、紙袋の中身をもとの作り置きのベビーカステラの山に戻すと、手元の鉄板に生地を流し込んで新しく焼き始めた。
カステラを焼くのはそれなりの時間がかかる。じっと生地の様子を見て、いい頃合いでくるりと回してやる。砂糖と小麦粉の焼ける嗅ぎなれた匂いが、妙に強く立った。
焼けたはしから紙袋にぽいぽいと投げ入れる。
「ほら」
紙袋を押し付けるように渡すと、女はまだぼんやりとして受け取り、小さく唇を動かした。
あたたかい、と言ったようでもあり、でも違うものかもしれなかった。


次の年の祭り、女は来なかった。
何か心の整理がついたのならいいが、と思いながら、くるりくるりと手元のベビーカステラを回す。
ふと手元に影がさして顔を上げる。
髪の毛のツヤツヤした、6歳くらいの子がじっとこちらを覗きこんでいた。よく日に焼けた頬が小麦色に照り映えている。
「500円だよ」
声をかけると、子どもは後ずさった。だが逃げるわけではなく、こちらの手元から目を離さない。くん、と鼻をひくつかせ、ぽつりと言った。
「なつかしい」
その時遠くから、xxちゃん、と呼ぶ声がした。か細い、だが柔らかい声だった。
子どもがぱっと身を翻してそちらへと駆けていく。
宵闇が濃くなり、夜店のそれぞれの明かりが煌々と光り出す。それが眩しくて、子どもが向かった先の人混みは、目を凝らしてもどうしても見通せなかった。


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