見出し画像

ポメラ日記 2020年2月10日 光が照らしだすものも光なら、もう

朝、保育園に行く前に『どろんこ こぶた』をぱんださんリクエストで読む。

昼から、ささださんが上野公園の日本酒祭りに午後休で行くというので、よんださんを連れて散歩がてら合流する。残念ながらわたしは授乳の関係でコインを買っての参加は出来なかったが、ささださんが飲んでるお酒をなめる程度にいただく。
后(きさき)という銘柄が美味しかった。
あと屋台で食べたまぐろの焼き物が美味しい。焼きそばも。
唐突に昔話をするが、わたしの母は「屋台の食べ物は衛生的によろしくない」と、縁日で食べ物を買うのを子どもに禁じていた。
しかし縁日を楽しむことは禁じておらず、福岡の地元のお祭り筥崎宮の「放生会」にはお小遣いを持たせてくれたので、わたしは縁日で買い食いをせずくじ引きばかりするギャンブル性の高い小学生になった。
そして長じて大学生あたりから、中国の屋台で揚げパンと甘い豆乳の朝ご飯を食べたり内モンゴルの草原でハエの止まった羊肉スープを食べるようになる。
子どもは育てたようには育たない、ということを分からせてくれるエピソードである…。

日本酒まつりでは、中田さんと糸柳さんが来ていたので、まぐろをつつきながらだらだらと話をする。青空の下でだらだら話をするという状況が贅沢だった。
酒が入ると楽しい状況は、たいてい酒がなくても楽しい。
糸柳さんに、わたしとささださんの夫妻はどちらも発達に特徴がわりとあるけどまぁ40歳くらいまで生きてきたんならなんとかなっているからもう治療対象外だ、というようなことをざっくり言われて、そうだなぁという気持ちになった。
綴じ蓋と出会えた割れ鍋はけっこう幸せなんだよ。


中田さんを家に招待して、家にタマネギとにんじんとジャガイモと肉しかなかったので不可避にカレーを作る。
中田さんは、子ども好きであることをぱんださんに敏感に嗅ぎつけられ、おじさん、とよばれてたくさん遊びの相手をさせられていた。ありがとうございました。ぱんださんにいつかその「おじさん」の凄さを伝えられたらいいのだが...と思うが、ぱんださんがそんなこと知ったこっちゃなく懐いているのもまた大事なことなのかもしれない。
家にお客さんがいるときは、授乳は別室ですることになる。
静かで落ち着いた空間で授乳をしていると、ふとよんださんが胸から口を離して、わたしの顔を見上げる。そうして光かがやくように笑った。
人生の中でもっとも美しくてかけがえのないものをもらっている、という感覚で胸がつまる。降り注ぐようなものだ。親から受けたよいものは子の世代に与えることで返しなさい、というけれど、子から、その存在から与えられたよいものはこの世界のどこに、どうやって返せば良いのだろう。

中田さんにはカレーで申し訳なかったが、けっこう美味しかった。

寝る前、ぱんださんが「おじさんがかえっちゃって、さみしいの」と言っていたがあまり感情が乗っておらず、フレーズが陳腐化する速度がはやいな、と若者らしさを感じた。

サポートいただくと元気が出ますし、本をためらいなく買う後押しになります。でもお気持ちが一番うれしいです。