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ポメラ日記 2020年1月13日 牛とすべり台

福岡4日目。
朝から天気はいまいちだったが、雨は降らなさそうということで油山のもーもーらんどに行く。
わたしの母は60歳で免許を取っていま70過ぎである。わたしは母の運転する車にほとんど乗ったことがなく、その腕にも懐疑的で、子どもを乗せるなんてとんでもないと思っていた。しかし「買い物の荷物が多いから…」「ちょっとそこまで、ぱんださんが行きたがってるから…」と近距離から徐々に慣らされ、今回もーもーらんどまで乗せてもらうことになった。なにしろもーもーらんど、車以外の交通手段がほぼ皆無なのだ。
途中、駐車場の出口から逆行して入場するという場面があってわたしが悲鳴を上げたが、それ以外はつつがなく到着。

名前から察せられるとおりもーもーらんどは牧場である。ヤギとふれあったりできる、わりと想像のつく施設だ。
だが施設につくなり、こどもたちが駆け寄るのはヤギでもうさぎでも牛の搾乳体験でもない。土地の高低差を利用した長距離ローラーすべり台である。その高低差10メートル、総延長はなんと約48メートル(公式ページより。ただしこの総延長、二本のすべり台の合計かな…?)。
多分にもれずぱんださんも、一度うながされておっかなびっくり滑り、下についたとたん「もういっかい」と30段はあろうすべり台の上までの階段へと駆けだした。すべり台ジャンキーの誕生である。
すべり台はかなり距離があり、ストレートなコースでは結構なスピードが出るので、はじめは親が後ろについて滑る。こっそり堂々と大人がこども用遊具を遊べるチャンスである。楽しい。
だが、2,3回付き合ったところで、親の階段上りの体力が切れた。上でわたしがすべり始めのサポートをし、下でささださんがすべり終わりのサポートをする体制に落ち着いた。業務内容の細分化と専門化による効率向上だ。
その間よんださんは、わたしの母に預けられて休憩室にいた。なんのために連れてこられたかじつに納得がいかないこととおもう。ごめん。

その後すべり台の下の、これも大型のアスレチックすべり台二台を遊び倒して昼食をとり、ようやくここが「もーもーらんど」だったことを思い出して動物とのふれあいに出かけた。
ふれあい家畜舎で、監視員もなくそのへんにつながれたヤギをおっかなびっくりさわり、ヤギのふんがころころ丸いことをおどろき、うさぎを愛で、羊を眺め、と通りいっぺんのことを済ませる。
わたしは西洋文明からの強い刷り込みで、しずかな逆光の羊小屋を見ると突如敬虔な気持ちになる。少しほの暗い小屋の床には柔らかな藁がしきつめられ、窓からさす午後の曖昧な光に、羊の背の丸みがうっすらとかがやく。
だがその刷り込みをぱんださんに共有することは出来ないので何も言わなかった。ささださんにはちょっと言った。
そこから、高台の牛の放牧地を目指す。子どもの足には登り坂はけっこう距離があり、それをだましだまし歩かせて、こちらもやや疲れてくる。だが、高台にねそべる牛たちを見た途端テンションが振り切れた(わたしの)。
山の端っこの放牧地、そこに寝そべるのんびりした白黒の牛たち、その向こうはいきなり視界が開けてずっと下界の福岡市街地が一望できる。海も見える!
牛と街と海、なかなか一度の視界にはおさめられない取り合わせである。CGのようだ、とささださんは言っていた。
牛の居場所とはいちおう柵で仕切られている。だが好奇心の旺盛な牛がちらほらいて、柵の間から首を伸ばし、よんださんのベビーカーを舐めようとしたり、笹田さんのダウンジャケットを舐めたりしていた。
よんださんのベビーカーに牛の巨大な頭が最接近したときは、食べられる危機感をおぼえたのか、ぱんださんが「だめー!」といいながらベビーカーを引っ張ろうとしていた。妹を守る勇気に親は心ひそかに打ち震えた。情があるのだな。それはきみの人生を深く豊かにするとてもいいことだ。
施設の人の許可を得て撫でた仔牛は、想像よりふかふかしていた。

帰り道、カーナビの目的地の設定が誤っており、人間の記憶によるルート取りとの齟齬が生じてぐるぐる同じ道を回ったりしたが無事に帰宅した。

『ルビィのほうけん』のレビューが返ってきて校正待ったなしなのだが、体力が切れてよく眠ってしまった。
がんばろうな。

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