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カタカムナ文献~ウタヒは言葉ではない~響かせる前の心得

いよいよ「ウタヒ」(響き)の探求となりますが、なぜ「渦状」なのか?
各「図像符」(記号のような文字)の発音は?
各「首」(文章)の意味は?

これまでの私の記事で、基本的な「カタカムナ」の世界を、3つの「図像符」(シンボル)と「魂」(心)の居場所でレポートしましたが、この記事も含めて、私たちは「カタの世界」で「サヌキカタ」が作り上げてきた、常識と感覚で理解しようとしています。

平面で学ぼうしても、それは単純に「音を出し」「知恵をつける」だけなのです。「活用」出来て、初めて「ウタヒ」(響き)を「認識」出来るのではないでしょうか?

ここでは、「ウタヒ」(響き)を探求する前に、「カタカムナの世界」の「感覚」や「捉え方」をおさらいしておきます。
「相手の気持ちになって考える」ような感覚です。
そうしなければ、「カタカムナ」とのコミュニケーションは成立しません。

各「ウタヒ」(響き)の「文法的な解釈」だけに興味がある方は、今後レポートしていく「各ウタヒの記事」をお待ちください。

ここから先は、カタカムナウタヒ(響き)を、「カム世界へ響かせる」為の探求となるので、少し複雑になって行くと思われます。

私とカタカムナの出会い

私がこの「カタカムナ文献」と出会うまでの経緯は、幼い頃から感じていた「矛盾だらけの社会」…
なぜ、みんなと同じにしなきゃいけないのか?
なぜ、同じことを学んで「順位」がつけられるのか?
社会に出てからは、なぜ「お金」を得るために働くのか?
なぜ、「財力」があり「地位」「名誉」を持つことが、なぜ「幸せ」と感じ、ヒトはそれを求めて、それに従うのか?

そして、目に見えない「スピリチュアル」な感覚もありましたが、それを語ると「変な人」扱いされましたが、メディアで行う「心霊番組」「占い」などは、なぜ受け入れられているのか?

幼い頃より「成績」「スポーツ」「人間関係」「社会的地位」も、そこそこに得て、自由も多く、特に不自由な生活は無く暮らして参りましたが、幼い頃より感じる「矛盾」は、消える事はありませんでした。

人やペットなどの「死」に直面すると、なぜ宗教儀式を行うのか?
「目に見えない神様」をなぜ人は信じているのか?
なぜ、神社の最高峰「天皇家」が、日本の象徴なのか?

なぜ?を語るとキリがありませんが、そんな「矛盾」の世界で、「正しい」とか「常識」とか、誰が決めていて、どうしたら「納得のいく」「理解出来る」自分の人生が歩めるのか?

そんな思いが大きくなり、私の「目に見えない世界」への探求が始まりました。

「パワースポット」「パワーストーン」「ホロスコープ」「チャクラ」などを探求し始め、「旧暦」「古事記」「各宗教」などの歴史、そして「家紋」に行きつき、「日本の神道」に辿りつきました。
北海道へ移住して、アイヌ民族では神様のことを「カムイ」と言い、自然崇拝している事を知り、「カタカムナ」の「カム」と「イ」が結びついて、この文献を、私なりに探求しようと考えました。

まだ「かじり始めの若輩」ですが、すでに「チャクラ」「パワーストーン」「ホロスコープ」「歴史」など、数多くの「矛盾」が解決しています。

「カタカムナ文献」を読み解く事で、「生命の謎」や「様々な解明」に結びつくような気(キ)がしますので、この探求心も、いよいよ次のステップへ入ろうと思います。

私がここまで参考にした書籍は、「天野成美」さん、「芳賀俊一」さん、「板垣昭子」さん、「吉野信子」さん、他、ネットで公表している「多数の研究者」さんから学ばせて頂きました。

現状を知り「カタカムナ」の世界へ

ここからは、これまでの「おさらい」となりますが、私も含め「今の常識」に洗脳され過ぎています。
カタカムナでは、「ヒト」も生態系の一部であり、生命は全て同じ形態を辿ると考えています。(粒子や細胞から惑星(宇宙)まで)

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これまでの歴史(約2000~3000年)は、「サヌキ・カタ」の時代でした。
これは私たち「ヒト」だけではなく、生命を持つすべての「生命体」です。
私たちには「男性」「女性」が理解しやすいので、こう表記しました。

「サヌキ・カタ」は、「否定」から始まる進化となります。

生命は「アワ・カム」の時代から始まります。
そこから左周り(時計回り)で進んで行きます。
これは平面的な考え方で、本来は「マワリテメクル」ですので、「自転・公転」を繰り返し、マやニのフトマニを行い「アワ・サヌキ」の時代へ移行していきます。

「サヌキ・カタ」の時代では、目に見ない事を否定し、目に見える「カタ」を主流とした「物質」(有機物)(平面的感覚)によって、進化を辿って来ました。
「魂」(心)的には、相手を否定して自分を押し出す。
勝ち取るために「力」を使い、「力」のあるものが「征する」ことに、価値を置くことです。

そして、今現在は「サヌキ・アワ」へ移行しており、「フトマニ」に入っている状態です。すべての生命体は「カムヒビキ」「アマウツシ」を行い「マ」や「ニ」の状態と言う事です。
私たち「ヒト」の世界では、「真実とウソ」「精神と経済」「男性と女性」など「正対」する事が、次々と「表」と「裏」を行き交います。一言で言うならば、良くも悪くも「混乱」の期間となります。
それは、自然界や宇宙に於いても、同様な事に「マワリ、メクル」状態です。
ただし、すべては「サヌキ・アワ」の方向へ進んでいきます。

今は、「間」(マやニ)の期間なので、「サヌキ・カタ」「サヌキ・アワ」のどちらも通用しません。この期間は「カタとカム」「サヌキとアワ」の両方(カタカムナ)が必要なのではないかと、私は考えています。

生命のしくみ(循環)・ヤタノカガミ

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「粒子」から「ヒト」を含み「宇宙」まで、すべての生命は、「ヤタノカガミ」のように構成されています。
平面的な感覚では理解できません。

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その一つ一つは、「自転と公転」を行い、カタとカムの世界へ「放射方向」で進んでいます。
「ヒ」→「フ」→「ミ」と進み、「ヨ」で全てが溶け始めて「イ」で霧状となります。
「ム」で核が作られ、「ナ」で物質化します。
「ヤ」で完成して、「コ」で崩れ始めます。
「ト」で溶け始めて、また「ヒ」に戻ります。

これが「生命のしくみ」です。
この感覚がつかめるまで、過去記事「八咫鏡」(ヤタノカガミ)を参照して下さい。(私も含め…)

生命体の発生プロセス・フトマニ

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これは、生命体(有機物)が出来上がるまでのプロセスを「フトマニ」で学びました。

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カタの世界からカムヒビキを行い、アワの世界へ要求します。ヒビキ(響き)を受け取ったアワの世界からは、アマウツシが始まり、カタの世界で有形する。ヒビキ(響き)は、霧状となり溶けて「無」「核」(ム・ナ)と変化して、ウツシも同様に変化しながらフトマニを行う…

個々の全ての行動は、「ヤタノカガミ」を「マワリテメクル」を繰り返し、変化していきます。

ただし、「ヒビキ」(響き)を「アワ」が受け入れなかった場合には、アワウツシは行われないので、フトマニは成立しません。

ですので、「アワ」に届き、受け入れられる「ヒビキ」(響き)を出さなければいけないのです。

「魂」(心)と「正対」(陰陽)エネルギー・ミクマリ

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「魂」(心)は、「フトマニ」のプロセスの段階で、カタの世界で始まる「ニ」の次の現象で、「マリ」に入ります。

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この時に「正対」(陰陽)のエネルギーが、「ニ」の現象の「イカツチ」により「電気」が発生し、「陽の電気」はカムを作り、「陰の電気」はカタの世界を作り始めます。

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その「魂」と「心」を、「ミクマリ」と言い、「勾玉(マガタマ)」で表現しています。

最初の「魂」(心)の入った「粒子」は、「ヤタノカガミ」を繰り返し行い「細胞」となり、細胞分裂を繰り返し、カタの世界の有機物を作りだしています。ゆえに、「魂」(心)は、有機物の全体、無数にあり、それぞれの「感」(カン)を、「電気エネルギー」を使い「中枢神経」を通して、「ヒト」では「脳」にある「松果体」へ伝わり、適材適所へ情報が流され「感じる」事が出来ます。

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届くヒビキ(響き)に意味がある

「フトマニ」で学んだように、ヒビキ(響き)は「カタの世界」から「カムの世界」へ奏でるものです。そしてそれは、届いて受け取って貰えなければ、「ただの音」です。

届く「ヒビキ」(響き)を奏でるには、現在の私たち「サヌキ・カタ」の常識や感覚では、「ただの音」にしかなりません。
「サヌキ・カタ」「サヌキ・アワ」「アワ・サヌキ」「アワ・カム」の全てに共通する「カタカムナ」でなければ届きません。

しかし、現在の私たち「ヒト」は、「サヌキ・カタ」の世界で、「無意識」に「ヒビキ」(響き)を行い、「ミクマリ」「フトマニ」「ヤタノカガミ」をしています。
だから「今」があるのです。
ですから、「カタカムナ」を学ばなくても生きていけますし、現に生きています。

ただ、何かに振り回され「不安定」な生き方をして行くよりも、「安定」した生き方の方が、「豊かで平和なくらし」が出来るのではないでしょうか?

多くの「ヒト」は、「安定」を求めて「仕事」をし、「財」を得ようと頑張っていると思います。逆に言うと、「財」を得る事が「安定」に繋がると「勘違い」してるような気がします。
なぜなら、「財」があっても「ストレスや病気」「人間関係」などの「悩み」を抱えている人が多いからです。

自分の「魂」(心)は、「唯一無二」の存在で、誰かの真似をしても、自分の「魂」(心)には「ヒビキ」(響き)ません。

「生命のしくみ」「生命体のプロセス」「魂(心)の存在」を理解して、その「生態系の一部が自分である」と言う事を認識することで、自分の「ヒビキ」(響き)を「意識」して奏でる事が出来ると、私は考えます。

そのために、「ミクマリ」「フトマニ」「ヤタノカガミ」を「カタ・カム・ナ」で感じとる必要があるのです。

「ヒビキ」(響き)とは、自分の「魂」(心)まで届かせて、そこに存在する「陽のエネルギー」(カム)を刺激する「伝達方法」ではないでしょうか?
そこで「陰と陽のバランス」を整えることで、「魂」(心)が安定すると考えます。
「魂」(心)が「安定」(バランスがとれる)するとは、全身にある各細胞が、「バランスの取れた良い状態を保てる」と言う事になります。

幅広く言うと、バランスの取れた良いエネルギーを体外にも響かせる事で、空間が和らぎ、温和な雰囲気を奏でる事に繋がるのではないでしょうか?
「植物」や「パワースポット」「パワーストーン」などのように…

また、特殊なエネルギー(土地のエネルギー・他者に影響を与えるエネルギー・治癒エネルギーなど)を感じ取ることで、カタの世界における「適材適所」を把握することが出来、「意味のある存在」を実践する事で、「感謝」が生まれ「心」を豊かにしていくと思います。

ウタヒは教本?

・自分に届かせるヒビキ
・他者から受け取るヒビキ
・自分以外に向けるヒビキ
・傍観するヒビキ
…など、数多くの種類があるのではないでしょうか?

言葉や文字が存在しない「古代」において、ヒトは動物たちと同じように、音(声)を響かせて、コミュニケーションをとって居たのではないでしょうか?
「目」からは、「視覚」
「鼻」からは、「嗅覚」
「耳」からは、「聴覚」
「口」からは、「味覚」
「手」「足」…様々な感覚…

これらの情報を「受けたり」「発信したり」するところが「魂」(心)で、
その伝達方法が「ヒビキ」(響き)

「ヒビキ」(響き)は、声などの「音」だけでは無く、「周波」を指しているのではないでしょうか?
それぞれの感覚から出る「電気エネルギー」が「波」となって「響く」現象。

ですから、「カタカムナウタヒ」は、それぞれの現象「ヒビキ」によって、「魂」(心)に学ばせる教本だと考えています。
カタの世界で私たちが「脳」で学んでいるように、カムの世界の「魂」(心)に対しての教本…

公開されている「ウタヒ」は80首ありますが、中心図像符(シンボル)で、「ミクマリ」は第1首と第15首の2つ、「ヤタノカガミ」は全71首、「フトマニ」は全7首と偏りがあります。
非公開の「ウタヒ」は、楢崎さんのブレーンが持っていると言われていますが、戦後日本の高度経済成長を考えると、非公開の「ウタヒ」の多くは、おそらく「カタの世界」を描く「フトマニ」の「ウタヒ」ではないかと考えます。※完全な個人的見解ですが…

イメージと受入れ

何度も繰り返しお話しますが、「ヤタノカガミ」→「フトマニ」→「ミクマリ」を平面的感覚(脳で理解)ではなく、「カタ・カム・ナ」で理解する事が重要です。考えて理解するのではなく、それが当たり前である感覚…
文字や口頭では説明出来ません…それは「カム・ナ」の感覚だからです。
でも、この私の文章で「イメージ」が伝わっている人は、その感覚に近づいていたり、理解できている人なのかも知れません。

「五感」をすべて使い、全身の「魂」から電気エネルギーで「松果体」へ伝える…

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「松果体」から電気エネルギーを使い、全身の「魂」に戻す…

このイメージで、ウタヒを声に出して何度も響かせて、自分の「ヒビキ」を習得する…

やっぱり、「カム・ナ」の世界なので、説明は難しいですね…

このような事を、平面で解いているのが「カタカムナ文献」で、各首ウタヒは、その「しくみ」や「起源」「現存」を説明してるものです。
ですから、その意味を「脳」で理解するだけでは、習得出来ないのです。

何度も「ウタヒ」を響かせて、時には変化をつけながら、何度も繰り返し試す…「魂」に届いた時には、自分自身が「気づく」と思います。
そしてそれが自分の「ヒビキ」(響き)なのです。

その「ヒビキ」(響き)を習得するために、教本である「ウタヒ」で練習していきます。
「視覚」を使い、ウタヒの「渦」や「中心図象」(シンボル)「各図象」(図像符)、全体象などを捉える。
「聴覚」を使い、「音程」やボリュームの「大小」、「震え」や「広がり」を捉える。
そのうち「嗅覚」「味覚」で、ウタヒの「香り」や「味」を感じるようになり、最終的には「手」や「足」など「全身」で、そのエネルギーを感じる事が出来るのではないでしょうか?
そこが、自分の「ヒビキ」(響き)であり、「周波数」だと私は考えます。

アシアトウアン

日本人の祖先(アシア族)は、この感覚を兼ね備えていたと考えます。
「フトマニ」の学びからも、生命は「カタ」で有形となった時から、退化に向かって進化していきます。ですから、この感覚は、誰しもが持っている感覚です。
約2000年以上をかけて、文明の進化の「代償」で退化した感覚…

「しょうがない」と言う、意見もあると思いますが、この感覚を「何となく」(マ・リ)感じてしまった私は、気になって(「木」に「成り」「実」となる)しょうがありません…

おそらくは、私の「魂」(心)に残る、古代の思いが「震えて」(振動)いるのかも知れません。

「カタカムナ」の伝承を「アシアトウアン」と、ウタヒで響かせています。
これは、ヒトの名称なのか、行為なのかは不明ですが、私が考えるには、自分の「ヒビキ」だけではなく、様々な「ヒビキ」を「放出」「受入」をする事だと考えています。
例えば、「男女の結び」や「行動」「生活場所」「農地」「構造物」などの「適材適所」を、エネルギーを感じ取り、ヒビキを奏でて、他の者に伝達する存在…

要は「カタカムナの術師」のような感じですね…

私も「術師」になれるでしょうか?

話は、少し「脱線」してしまいましたが、このような思いで、「カタカムナの世界」を全身で感じ、全身に伝わる「ヒビキ」(響き)を、ウタヒで習得して行こうと思います。







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