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英ローベンス報告から日本の産業保健の未来を読み解く

iCAREの山田です。重要だがボリュームが多くてなかなか読み込めていなかった産業保健の大作と言えるローベンス報告を斜め読みして報告の整理と感想、日本の未来について私見を述べます。

その前にiCAREの紹介も致します。
iCAREは「働くひとの健康を世界中に創る」パーパスを掲げ、10年以上この領域で挑戦してきました。働くひとの健康を創るためには、セルフケアを促進する以上に、もっと健康になれる環境や仕組みが大切だと思っています。その環境や仕組みをつくっている人事や産業医、産業保健看護職がもっと活躍できるようにクラウドサービスだけでなく、専門職のご紹介、業務代行、コンサルティングを行っています。

健康は価値観です。
それは人生観や死生観のように、不健康な行動であってもそれが人間の本質というもの。その価値観を否定することは適切ではありません。
ただ一点、働くひとの健康において同じ価値観があります。
それは、働くことで健康を損なうことは、全世界の誰もが望まないことです。


働くひとの健康は、大きな時代の変化の真っ只中にいます。特に、産業保健領域においてもメンタル不調の問題が大きく存在するものの外国籍労働者や高年齢労働者、障害をもつ労働者といった多様性と同時に、ハラスメントを許さない社会のあり方へと発展していっています。

有害業務を中心に、法律遵守型から自律管理型へとありますが、自律管理型が一番良いというわけではありません。時代の変化とともに産業構造が変わり、社会の価値観も変わっていく中で、法律遵守と自律管理のバランスが問われているだけなのです。そう考えると、過去の歴史でこのような場面を同じように経験した国を参考にするともっと理解が深まると考え、50年前の英国にそのヒントを探ろうと思っています。

そもそも安全衛生の質は英国と日本とで比べてどうなのかで言えば、一概に比較は出来ませんが、労災発生は日本の1/4程度と推察されます。

労働安全衛生総合研究所の記事によると労働者10万人あたりの労働災害による死亡者数は、日本2.3, 英国0.8(1998年)、日本2.3, 英国0.6(2012年)です。
私が集計したものも同じような結果です。

近年において差が広がっている

そんな英国の転換点を迎えることになったローベンス報告を見ていきましょう。原文はこちらです。




1. 英国ローベンス報告の重要性とは?


1972年に英国で生まれたローベンス報告(Robens Report)は、その時代に必要とされていた安全衛生管理の方向性を示した画期的な報告でした。アルフレッド・ローベンス卿(Lord Alfred Robens)が報告したものは、その後の労働者の安全や衛生に関する規制に大きな影響を与えることとなりました。

この報告の根底にあるのは、企業に自律管理(自主規制)を促すという新たなアプローチでした。それまでの安全衛生法規は、政府が詳細なルールを定め、それを企業が遵守するという形が一般的でした。しかし、ローベンス報告はこの制度に異議を唱え、企業自身による危険の識別、評価、対策の実施を主導させるべきだと主張しました。この考え方は、後に「リスクアセスメント」として発展し、現代の労働安全衛生管理の中心的な要素となりました。



2. 当時の英国の安全と衛生は何が問題だったのか?


ローベンス報告が提出された1972年当時、英国の労働環境は多くの問題を抱えていました。技術進歩により新たな危険が生じ、また労働環境が多様化する中で、従来の法規制が対応できない状況でした。さらに、当時の法規制は細かすぎて、企業が法律を遵守するだけで精一杯であり、自主的な安全改善に向けた余裕がありませんでした。

また、政府の規制が厳しい一方で、その適用範囲が限定的だったため、規制の隙間から多くの労働者が安全衛生の対象外になっていました。特に、小規模企業や非正規雇用者は十分な保護を受けられず、安全衛生上の問題が多発していました。

当時の英国の3つの問題

  • 労働安全衛生問題を所管する細分化された行政組織(省庁8)とともに細分化され過ぎた膨大な関係法令(法律8つ、規則類500以上)があった

  • 法律遵守し過ぎている一方で、企業側が本質的な理解が出来ず、事業者責任や自主な取組みがあっても軽視される結果となった

  • 産業構造変化や技術革新に対して対応できるものではなかった

現代の日本の場合

労働安全衛生に関する法律7、規則類36、法令改正420(2013-2022年)
で、法令改正を年次で調べて見ると1990-2022年までで1,357もありました。当時の英国とは桁違いに現代の日本も法令遵守型を突き進んでいると言えるでしょう。(これは次のnoteで詳細共有しますね)


3. ローベンス報告はどのように問題を解決したのか?


ローベンス報告は、これらの問題を解決するために、「企業の自律管理(自主規制)」を提案しました。具体的には、企業に危険性を自己評価し、それに対する適切な対策を自己決定・実施する責任を与えるという新たなアプローチを打ち出しました。これにより、企業は法律の遵守だけでなく、自分たちの労働環境を自主的に改善することを促されました。

また、報告は従来の詳細な法規制を廃止し、代わりに一般的な労働安全衛生の義務を規定することを提案しました。これにより、労働環境が多様化する中でも、全ての労働者が安全衛生保護の対象となりました。

また、報告は、労働安全衛生の監視と施策の推進を一元化するための新たな組織として「安全衛生庁」(Health and Safety Executive, HSE)の設立を提言しました。これにより、安全衛生の規制と指導が統一され、その効果が向上しました。

日本の特殊健康診断における自律管理

この動画では令和6年4月から始まることについて説明されています。

リスクアセスメントにもとづいてと何度もキーワードが出てくるのが印象的です。


4. 今でもローベンス報告は有効なのか?


現代においても、ローベンス報告の理念は大いに有効であり、多くの国々でその精神が引き継がれています。企業に対する自律管理(自主規制)の原則や、リスクアセスメントというアプローチは、今日の労働安全衛生管理の中心的な要素となっています。

ただし、時代と共に新たな課題も生じています。例えば、リモートワークやフレキシブルワークなどの多様化する働き方、また新興産業における特有のリスクなど、ローベンス報告が考えられた時代とは異なる問題が増えています。さらに企業の自律管理(自主規制)が必ずしも適切な対策を導くとは限らないことも認識されています。

これらの新たな課題に対応するため、各国はローベンス報告の理念を引き継ぎつつも、それを発展させる形で新たな規制やアクションを行っています。それぞれの国の文化や業種による特徴、労働環境に適した具体的で効果的な対策が求められています。


5. 日本の産業保健の未来はどうなるのか

ローベンス報告は、これまで見てきたように日本の未来を占っているかのように背景が酷似しています。とは言え、前述の通り50年経過して産業構造が明らかに変わっている中で、どのような管理が良いのか考える必要があります。

10年後くらいをイメージしてこんな感じはどうでしょうか。

  • 大きく変わりそうなもの

    • 職場巡視は、企業ごとに頻度と内容を決める

    • 産業医選任:専属要件の解消、嘱託産業医の顧問化
      (専属産業医の意義が薄れていきます。産業医を契約する意義が変わっていきます)

  • 少し変わりそうなもの

    • 定期健康診断を実施すること
      (私個人としては限定して実施が良いと思います)

    • ストレスチェックの実施
      (他のサーベイと統合化されて良いかなと思います)

    • 労働時間を管理すること
      (副業兼業の観点からもこれまで同様は厳しいと思います)

    • 産業保健師:一部の業務について法制化
      (産業医よりも単価の安い専門家としての意義は大きいと思います)

  • 変わらないもの

    • 特殊健康診断を実施すること
      (有害業務はより多様化するためなくならないものです)

    • 作業環境管理、作業管理を強化すること

    • 衛生教育の実施すること

そして業務レベルではなく経営レベルで何が変わるかで言えば

  • 各企業の産業保健に関するマネジメントシステムの構築

  • 統合報告書やその他投資家向け資料への労働者の不健康数値の公表

  • 働きやすさや働きがい、生きがいへのアプローチとして健康投資を実践

だと思っています。

ここまで読んだ方は、本当に凄いと思いつつ是非ローベンス報告の目次をこのあとに箇条書きにしたので見てみてください。実際に読むのはかなりしんどいので笑



参考文献



APPENDIX

<ローベンス報告の目次>
第1章—システムに何が問題なのか?

・問題の性質、この調査の性質と背景
・法的規定とその実施、法定システム欠陥将来の政策の目標
第2章—職場の安全と健康
・経営者の役割、経営目標と責任の分担、安全アドバイザー、労働者の関与
・法律は助けになるか?協議の法定要件、書面による安全と健康のポリシー
・企業報告書
第3章—業界レベルでのアクション
・合同常任委員会、他業界レベルの安全委員会
・労働組合、TUC、CBI、その他の組織
・近年の動向と未来
第4章—新しい法定フレームワーク
・統一の必要性
・統一された法制度と行政:新たな機関の性質と機能
・労働安全衛生の全国機関、機関の地位、内部組織とスタッフ
第5章—新しい法律の形と内容
・可能にする法律、法律の原則宣言と補足事項、法的規則
・新しい規則のスタイル、規則に関する協議
・自主的取組と行動規範
・非法定コードと規格の使用、規則とコードに関する諮問委員会
・技術ワーキンググループ、要約
第6章—新しい法律の適用と範囲
・義務の配置、新しい法律の範囲
・雇用者、自営業者、一般公衆、一般的な除外
・運輸交通機関、病院と教育機関、教育研究機関
第7章—監督官
・監察官の増加、現在の監督作業のパターン、支援施設
・統合後の監督官、監督官の基本的な仕事、仕事の計画
・新たな権限での統合監督官の構造と組織
・採用と研修、監督官の規模、組織図
第8章—地方自治体による監察
・批判、地方自治体の役割:関連する考慮点
・調整と統合、責任範囲
第9章—制裁と強制
・現在の状況、刑事訴訟の将来的な使用、行政制裁
・改善通知、通知に対する控訴、禁止通知
・行政制裁の適用、ライセンス
第10章—公共の安全
・職業安全規定と公共、公共安全の管理責任の分割
・大規模な危険と近隣リスク、管理権限の関連性
・危険物質と作業に対する直接的で具体的な安全制御
第11章—特定のトピックに関する追加コメント
・火災予防、可燃性および爆発性物質、有毒物質
・放射線保護、騒音、設計と製造
第12章—産業医学の組織
・先行報告、現法律の取り決め
・産業内の民間医療サービス、研究
・包括的な職業保健サービス、雇用医療諮問サービス
・未来の産業医学
第13章—訓練
・産業内の安全訓練、Off-JTのコース、教育と高度な訓練、連携の必要性
・産業内トレーニング委員会、経営者のトレーニング、法律と安全訓練
第14章—研究と情報
・必要な研究、労働安全衛生研究の取り決めに対する批判
・新たな権限の研究での役割、情報
第15章—統計
・公式統計、公式統計への批判、公式統計の改善
・工場と産業レベルの統計、さらなる統計研究、産業疾患統計
第16章—事故によるコスト**
第17章—補償と予防
・業務起因の法定スキーム、業務起因傷害に対する損害賠償
・保険の役割、他国事例の検討、推奨事項
第18章 概要
第19章—行動計画

** 事故によるコストのシミュレーションもレポート内で詳細計算とともに紹介されている


20230524追記:認証コードに関して

自律管理(自主規制)をどのように企業がすすめるのか、その方向性をどう国が管理するのかについては、複雑になるため今回は省略したが実はここが大きなポイントになるので、気になる方はここを参照して欲しい。

自律管理とは、自分たちのみですべての方向性を示すということではなく、大まかな方向性や管理方法については国が目標や一般原則を示すものの具体的なやり方については、リスクや確率を考えた上で任されているというものである。


  • 法令制定:法規の目標や一般原則に留める

  • ガイドライン:具体的かつ詳細な規定は実践コードに委ねる


認証実践コード(Approved code of Practice)がHOWとなる


実践コードは、HSC(安全衛生委員会、※HSEは安全衛生庁)によって認証され、実務の具体的実施基準を定めている。
ただし、どのようにすれば法令で要求される事項を満たせるのかを具体的に示した実施基準であり、これ自身は法的義務を課す効力をもっていない。
仮に、認証コードに記載された事項に従わなくても起訴(刑事・民事)されることはないが、もし法令違反で訴追された場合にかつ認証コードに従っていない場合は、それ以外の方法で要求されているものを満たしていることを証明しなければならない。リスクに関する対応についても同様に、合理的に実施する意味があるのか、なければその理由は何か、あるとすればどの程度実施することが妥当だと言えるのかを証明する必要がある。

英国における最近の労働安全政策の動向(花安繁郎) 
この記事に詳細が記載されています。オススメです。



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