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自分の可能性について考える

今日会社の人に息子の話をしてて思ったんですけど

うちの息子すごいんですよね。


何がすごいのかというと、息子は体操教室に通っているんですけどね

小学3年生なのに跳び箱8段飛んでるんです。

鉄棒では後ろ回りっていう、ツバメの状態から後ろにグルンと回るやつは2年生の時にはできていたし

今はマットで跳ね起きっていうジャッキーチェンみたいなことに挑戦しています。

跳ね起きは今は出来てないんですけど、そのうちできちゃうんだろうな。

で、コレってまぁ普通なのかもしれないけど、僕からしたらすごいことなんですよ。

僕は運動神経がからっきしでしたから。

走ったらいつもビリだったし、野球やってもボールに当たらないし、フライも取れない。

水泳は補習を受けてたし、そんな僕の息子だから、たぶん運動神経はいい方ではないと思う。

体操をやり出した頃も、他の子供よりも出来ないところからのスタートでした。

そんな息子だったんですけどね、今日会社の人と息子のことについて話してて、アレも出来るし、コレも出来てる

わ、いつの間にか、息子が普通を通り越して、すごいにまでいっちゃってるんだなと、改めて思ったんです。


でもそれって何でだろう

幼稚園時代からコツコツ体操教室に通ってきたとはいえ、週に一度、1時間だけの授業。

それでココまで成長できるものなのだろうか?


で、思ったんですけど

息子は自分が毎週休まずに練習してきたことはもちろんなんだけど、出来る人の姿をずっと見てきたというのも大きいのではないかと思うのです。


時には自分よりも小さい子の方が、難しいワザをできていたこともあるし

そんな姿を見ていると、自分もできるのかなって思えるのかもしれない。


僕は自分で運動神経が鈍いって思ってたけど

息子にはそういう先入観を持たせないように、気を配っていた。


だから、息子は自分にもできるかもしれない。

そう思って、体操に取り組んできた。

できると思って、今はできなくても、いつかはできると思って取り組んできたから、できたのだと思う。


だから想像することは創造することみたいな話があるけど

ちゃんと理想の姿を描いていて、自分もそのうちあんな風になれると思っていたから、その理想に追いついていったのでしょうね。

そんなことを、今日息子の話をしながら、気付かされたんです。

自分のなりたい状態。

自分のなりたい理想。

そういうものをありありと思い浮かべて、自分にも当たり前にできると思い込み、目の前のことを一つ一つやっていくと、いつの間にかその理想の姿に辿り着くことができるのです。

僕は小学6年生のころ、何とか6段の跳び箱は飛べるようになったけど、8段なんて絶対に無理だと思っていた。

でも、そんな先入観を持たずに、できると思って練習している息子にはできた。

ほんと、子供の可能性は無限大だし。

それは僕にとってもまだまだ成長の余地はあるのだなと思ったのでした。

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