脳ミソを持っているデヴィット・バーンを見てるだけで
先日ずっと見たかった映画『アメリカン・ユートピア』見た。
これがもう素晴らしかった。
生涯ベストの音楽ライブ映画が『ストップ・メイキング・センス』だったのだが、まさかデヴィット・バーン本人によって上書きされるとは思わなかった。
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脳ミソを持っているデヴィット・バーンを見てるだけでなんだか訳のわからない涙が出て来るし、もう自然と身体が動いてしまうし、曲が終わるごとに拍手をするのが我慢できず小さく拍手したりしてしまうし、本当は立ち上がりたいくらいだったのだが、それはどうにか堪えて最後まで見た。
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この1年間、コロナで奪われてしまっていた「ライブ体験」をこれでもか全身で浴び、乾ききってカラッカラのスポンジに勢いよく水をかけたような感覚になった。
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音はもちろんだが、ミュージシャンたちの立ち振る舞い、無表情で低体温なようでいてユーモアと皮肉がしっかり混じっているMCなど隅々まで計算され尽くしているまさに極上のエンターテイメントだった。
特に『Everybody's Coming to My House』はその直前の移民に関するMCのおかげでまるっきり曲の印象が変わる。
この「My House」はアメリカという国そのものを指していたのだと気付いてから聞くと、「家に来られるのが嫌そうに聞こえる」というデヴィット・バーンのパフォーマンスにもすごく味わい深さを感じる。
そして全員が移民出身であるというバンドメンバーのいきいきとした表情にまた涙が出て、最後の最後に流れるのが、あのバージョンでほっこりとした。
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そして何より、途中で披露されるあの曲。
あそこでまさにスパイク・リーの剥き出しの怒りがドラムの音とシャウトによって高められ、ひとりひとりの名前と、遺族が持つ写真が映し出される度に涙が止まらなくなった。
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ステージの周りに鎖のカーテンも非常に重要な意味を持つものだと示され、そのカーテンが取り払われてからはステージと客席の垣根すらも飛び越える。
まさにこの会場、そしてこの映画を見ている我々が、『アメリカン・ユートピア』の一部になれた気がした。
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私は物を書く仕事をしている。
今、この国も理不尽な差別やハラワタが煮え繰り返るようなニュースばかりが飛び込んでくる。
だけどただ怒るだけでは、届かない。自分なりにそれをどう消化し、伝えればいいのか、どう表現すればいいのかずっと悩んでいた。
この映画で、デヴィット・バーンとスパイク・リーによる最もスマートな怒り方を学ぶことができた。
この映画をしっかりと体に染み込ませて、自分の言葉で、自分のやり方で行動していきたいと思う。
出会えてよかった。そう心から思える映画だった。
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