見出し画像

抽象都市のポリメトリック Ⅰ 地下水道

    ⅰ 亀裂
轟音をたてる飛行機雲が狭い空
を横ぎり斜めに切りとる壁面の
鋭利な硝子片が通りをしずかに
あかい雨の絵空事にかえるとき
アイの手を握りとびこんだ地下
水道のえた吐息は鼻腔の奥を
酸で灼き恐怖をおしころす聲は
脅しの剣となって反響し鼓膜を
裂き散り散りになる水晶体は弱
い光とともに闇に埋没していく

    ⅱ 漆黑
手探りする腕を粘液の壁が引き
こみ冷えきった汚泥から太腿を
幾百の線蟲がはいあがり倒れる
かおに幽霊蜘蛛のざわめく一群が
蝟集いしゅうするが固い踵が踏み均す地
上の沈黙は深まりときおり天井
を踏みぬく巨大な足が黄金の汚
物をねあげ瞬時に黑い膿が光
を塞ぐ地の底で濁流に押し流さ
れる私たちは互いを抱きよせる

    ⅲ 方位磁石
追跡者の怒聲や火焰に包まれる
ものたちの悲鳴が迫り煉瓦の壁
浮腫むくむ襲撃者の影からのがれ
支線へ細い管へとはらばう奥のうつろ
涯なく大地で水は川へ海へ宙へ
めぐるのに方位をうしなう磁針
のぐらつきにあわせ流路をかえ
る地下水脈の始点と終点は漆黑
にあり滝壺の対流に揉まれ破れ
掌に残るのは彼女の衣服の切端

    ⅳ 仮面ダム
膝をあげると壁を蹴り手をのば
すと無限の冷気に触れる遠近の
ない漂泊はやがて足指にあたる
眼の大きな人形と医師鞄の脇に
砕け散るアンプル瓶の先に漂う
ここにいたものたちの最期の貌
をうつす蛍火を装う仮面のうずたか
堰堤壁の下で円盤のない蓄音機
がうたう歌詞のない鎮魂歌に焼
け焦げるまなじりが滴を鹽塚に転がす

    ⅴ 機械猫
滲みだす魂を舐め泥濘ぬかるみに爪あと
を残し綻ぶ絲球いとだまに戯れる機械猫
を追い座礁した急襲艇の船倉に
放置される喰いかけの林檎を貪
るが咀嚼される呵責は喉を通り
背中から溢れだし持主のいない
彷徨う旅行鞄の列にまじり上流
とも下流ともわからない最奥へ
彼女を探す私の足もとで毛繕い
する猫のすばやく開閉する瞳孔

    ⅵ 蓮葉氷
地下水道に冬が来て氷面に姿勢
制御のへたな黑猫は手毬に弄ば
れ滑り転倒し毛を逆だてている
が爛れた心がよびかけるのは単
調な絶望なのだが耐えきれず仰
向き咆哮する舌が三角錐となり
地下洞を突き破るのも平板な幻
想だが次はどこへ探しに行くの
かではなくあなたはあなたなの
かとの猫の問いに私は横転する

    ⅶ 氷華
凍結する独白が軋む地下河川は
闇を吸着するほど透明度を増し
川面に狂い咲く氷の華群はなむらに死者
を数えているといま咲こうとし
ている華にとけこむ淡い魂は横
の支管から漂着しまた一輪もう
一人と煌く光跡に前脚をのばす
機械猫は靜かに停止し雪より小
さい華瓣の一片が額にとけ浮揚
する絲球のいとぐちを私は握りしめる

    ⅷ タペストリ
鼻腔につめたく吹きこむ粉塵に
煙る広場は銀膜のはがれた硝子
片の倒立する多角形が突きささ
る迷宮で色のない影たちととも
に宛てなく歩む側廊に貼りつく
尋ね人は求めるものをもつ幸福
な肖像で目があうと能辯に語り
だすが私が彼女の行方を尋ねる
とみな目をつむり私は掌にもつ
綴錦の端布はぎれを翼廊の壁に懸ける

【21N15AN】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?