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戦間期の戦傷外科医

切断した下肢を運ぶ看護師が躓いた、見た目よりずっと
重い、少女の人生を支えてきたから、だが足と命、いま
ここでは一方しか選択できない、彼女は選べない、神が
あたえる試練ではない、血痕の散る剪刀クーパーが携帯灯の弱い
光を吸い、骨鋸ボーンソーの鋸引聲がまだ床を這っている、埋もれ
あしから芽吹く綾目アイリス、二股にわかれず一本で立つ大樹、
骨断端を被覆し閉創する、予後の計画は困難だ、いまこ
こには、現在しかない、無差別の過剰な苦痛しかない、
<次は廊下の移動用簡易寝台ストレッチャーだ、>
救いを求める貌貌貌かおかおかお、叫び哭き歎き、祈り、火薬臭、血
の海の手術室の外は煉獄いや天門の前庭だ、冷静な救急
隊員、残虐は全てみた、砲撃される住宅から引きだされ
る母子、被さった母は黑タグで待合室へ、赤タグのこの
子は大腿の重度爆傷や膝の複雑骨折、また切断術か、ま
だ小さいのに、塵埃でおおわれた貌には眼も口もない、
<早く手術室へ、まず洗浄だ、>
この脛の疵は見覚えがある、いや、昔の患者か、いや、
円弧の小さい創痕、三日月の微笑みと妻が抱きよせたの
は先週自宅に帰ったときだ、いやまさか、掌の名前は、
<私の息子だ!手術覆布ドレープをとってくれ、>
看護師の絶叫、麻酔科医の緘黙、さあ、大腿と膝の他は
外性器の損傷、頸部や頭部の創痍は軽傷だ、切開線、一
センチでも多く残せ、蹴球サッカーの約束をしたのは夕食の後だ、パ
パのような医者になりたいと言ってくれたのはいつだっ
たか、お前の足を切る父を赦してくれ、麻酔の効いてい
る腕が跳ねた、鳥になった夢か、母を探しているのか、
<回復室に移して、三分だけ時間をくれ、>
私は戦傷外科医だ、芥子菜からしなの咲く海の美しい街のただの
外科医だ、あなたには最初のデートの場所の記憶違いを
怒られたが、そう、大学のカフェではなくこの浜辺だ、
潮風が彼女の淡い香りをはこぶ、耳朶のあたりが特に好
きな匂いで、眩しい夏の太陽、皆が手を振っている、彼
女だ、顔を隠している、ああ、顎顔面損傷と圧挫、後頭
部の挫傷痕は致命傷か、あなたの決断、息子を守った、
眦に灰の上を流れる泪、苦海にそそぐ、私たちの人生は
これからだったのに、もう戻らなければならない、お別
れはあとにしよう、祈ってくれ、まずは子らの命を、ほ
かの祈りの言葉は任せるよ、あなたは賢いひとだから、
<愛してる、必ずまた会える、>
手術室へ急ごう、私には誓った使命がある、

【24M08AN】
*画像はImage Creatorにて筆者作製。画像と本文に特別の関係はありません。なお、AI生成画像を無条件に支持するものではありません。


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