星野道夫の文体研究
この一週間、星野道夫さんの文章にたくさんふれている。先日読み終えた『星野道夫 約束の川』はとても良い本だった。
彼の複数の著作から編纂された本だが、編集の妙を感じた。この一連の流れで読むことによって、星野道夫さんの人物像、時系列、死生観、彼がやってきたこと、そして何を求めていたのかがより深く理解できた。
彼の最初の著作が34歳のときに出版された『アラスカ 光と風』だとわかり、今はこちらを読んでいる。現在のぼくと同じ年齢で、既に彼の文体は完成されていた。
もちろん、『旅をする木』や『長い旅の途上』など後年の文章の方が洗練されている印象を受けるし、本人も「あとがき」でそう話しているが、それでも、34歳で見事な文章を書いた。臨場感に溢れ、純粋な人間性を感じる。
星野道夫さんの文章は、どうしてこんなにも人を惹きつけるのだろうか。題材はアラスカだが、その本質は彼の生き方や考え方に根付いていた。アラスカで暮らす他の日本人がエッセイを書いても、決して彼のような文章にはならないだろう。
彼の言葉は、どこまでも純粋さに満ちている。実直な言葉を使う。決して盛らない。ありのままを、感じたままに書く。
そして五感に訴える。自分も同じ場所で体験しているような気がしてくる。目の前に映像が浮かぶ。
「約一時間かかって組み立てたカヤックを水に浮かべる」
「丸太小屋には焚火の匂いがたちこめていた」
「リンクス(オオヤマネコ)はトウヒの森の中にいた」
これらはいずれも、『アラスカ 光と風』に出てくるエッセイの冒頭の一文。余計な背景説明はせず、書き出しからグッと物語の世界に引き寄せる。
そういえば彼の文章には、嗅覚に訴える言葉が多く登場する。
「トウヒの樹脂の甘い香りが鼻をつく」
「土の香りとは、なんといいものだろう」
「人の気配など何もない広大な原野で、ご飯が炊けてきたときの匂いはたまらない」
たくさん出てくる。それらの表現によって、まるでその場で匂いをかいでいるような感覚になる。
「絶景だった」など視覚に訴える言葉を使うのは簡単だ。でも嗅覚に訴える言葉は、書き手にとってなかなか意識しないと出てこない。それが彼の文章に臨場感を与えている。
少し余談だが、嗅覚に限らず、書き手は五感に訴える言葉を意識するといい。
A. ここにあるのは、とにかくおいしいリンゴです。
B. 太陽の光を浴びて育った、香り豊かで真っ赤なリンゴ。甘みたっぷりのジューシーな蜜が今にもこぼれ出しそうです。
同じリンゴ紹介の文章でも、圧倒的にBの方が食べたくなる。
「ほぼ日」で読んだ記事「なんでもない日の、星野道夫さんのこと。」も、とてもよかった。星野さんが大変な読書家であったことが伺えるエピソードや、文体についてふれている箇所があった。
──:ご本人に直に接した松家さんからすると、星野さんの文体には、やはり、お人柄が出ていると感じますか?
松家:はい。それはもう、まちがいなく。とくに、代表作のひとつ『旅をする木』は「書簡体」、つまり「手紙」として書かれている章もありますから、読んでいると、星野さんの声が聞こえてくるようです。
──:あの語り口調の文体って、文章の技術や巧みさを競うような世界とは、まったく別のものですよね。
松家:そうですね。文章が文章を生むような技巧的な文章、流麗なレトリックには、関心がなかったんだと思います。
それから、星野さんの文章における一番の大きな気付きは、彼が「前向きな言葉」ばかり使っていることだ。「嬉しかった」とか「心地よかった」とか。
そのことに気付いたのは、並行して中村天風の『運命を拓く』を読んでいたからだ。大谷翔平選手が先日MVPを受賞したとき、朝のニュース番組で大谷選手の愛読書のひとつとして紹介していた。
「大谷の愛読書ってどんな本なんだろう?」と気になり、すぐに書店で手に入れた。
中村天風はその思想と活動により、日本政財界のリーダーやトップアスリートたちに大きな影響を与えた。彼は言葉の重要性を訴える。
「お前は自分の使っている言葉によって自分の気持ちが駄目にされたり、あるいは非常に鼓舞奨励されたりする直接的な事実を少しも考えていないなあ。お前の生きる力は、その言葉の良し悪しによって、やはり良くも悪くもなるのだ」
「お互いに勇気づける言葉、喜びを与える言葉というような積極的な言葉を使う人が多くなれば、この世は期せずして、もっともっと美しい平和な世界になる」
こういう話を聞いてから、星野道夫さんの文章に再び目を向けると、彼は実に模範的な言葉選びをしている。より正確に言うならば、そういう言葉が自然と出てくるような価値観で生きている。生き方が素晴らしいから、出てくる言葉も素晴らしいのだろう。
本当に前向きな言葉ばかりだ。植物の美しさ、動物の愛おしさ、季節の移ろい、自然の尊さ、人の温かさ。そういうものたちへの愛情や感動が文章に詰まっている。レイチェル・カーソンにも通ずる、少年のようなセンス・オブ・ワンダーを大人になってもずっと持ち続けていた。だから読み手である我々も、心が洗われる。「このように生きたい」と思う。
亡くなってから四半世紀経った今もなお彼の文章が輝きを放ち、多くの読者から愛され続けているのは、きっとあらゆる読み手に「良い感化」を与えてくれるからだろう。
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