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「自分のため」が他者貢献になる

「あの出来事がきっかけで、進むべき道が見えた」

誰の人生にも、何かしらそんなターニングポイントがあるものだ。

ぼくの場合、それは大学3年生の夏に訪れた。

ぼくは中学生の頃からずっと「日本地図って本当に正しいのかな」「道はちゃんと地図の通りにつながっているのかな」と疑問に思っていた。

大学生になってもその疑問が消えなくて、周りの友人たちがインターンなどをしていた大学3年の夏に、ぼくは神奈川県横須賀市の実家から、鹿児島までを自転車で旅することにした。

「通る道が本当に地図通りにつながっていたら、それ以降は地図を信じることにしよう」

そう心に決めた。ネットカフェに泊まりながら、毎日100km前後を走った。そして出発から13日目、関門海峡が目の前に広がった。

九州まで、ちゃんと地図通りに道はつながっていた。ぼくはこの目で、通ってきた全ての道を見てきた。

「やっぱり、地図は正しかったんだな」

ものすごくスッキリした。それ以来、尊敬される人物を聞かれると「伊能忠敬です」と答えるようになった。

初めての一人旅に、両親は心配していた。だけど、いちいちメールで「無事です」とか「今日は○○にいます」と報告するのも面倒というか、恥ずかしかった。

そこでぼくは、旅の直前にブログを開設し、「ここに旅の様子を毎日書くから」とURLを教えて旅立った。

「今日は何キロ走って姫路に着きました」とか、
「開聞岳で出会ったおじさんが食べ物をくれました」とか、
「阿蘇山の山頂に駐輪場はなかった」とか、

きっと下手な文章だった。でもその日起きた出来事、目にした美しい情景、人の心の温かさ、うまく言い表せない感情や感動すべてを、なんとか言葉にしようと深夜までもがいた。

するとなぜか、家族や一部の友人にしか伝えていなかったブログが、口コミでいろんな人に広がっていった。そんなに読者がつくと思っていなかった。

1ヶ月後に旅を終えた時、全く知らない読者の方からメッセージを頂いた。

「中村さんの挑戦を見ていて、私も知らず知らずのうちに諦めてしまっていた夢があったことを思い出しました。その夢に向かってもう一度挑戦してみようと思います。ありがとうございます」

正直、感謝される意味がわからなかった。ぼくはただ「地図を確かめたい」と、好きなことをやっていただけだから。

だけど結果的に、人の背中を押せていたんだと、その時初めて気付いた。誰かを励まそうなんて一切思っていなかったのに、見知らぬ誰かの背中を押していた。そのことを理解して、この短いメッセージの重みを知った。今度は自分が感動した。

「人のためとか考えず、好きなことをやればいいんだ」

それまでは「自分よりも、人のために」という考え方が強かった。でも本当は、すごく息苦しかった。自分のやりたくないことでもやらなくちゃいけない、というような感覚で自分を無意識に縛っていた。

だからこの日以来、ぼくの考え方はガラリと変わった。

自分の好奇心の赴くままに行動を起こせばいいんだ。恐る恐るではなく、突き抜ければいいんだ。自分の純粋な欲求を満たせば、それが最も他者貢献できる形になるんだ。

だから給付金をもらっても、ぼくは「お店のために」とか、あまり考えない。

自分の好きなことのために使う。読みたかった本を何冊か買うだろうし、好きなお店の坦々麺を食べるだろう。ランニングで疲れた脚、原稿で疲れた肩や首をもみほぐしにマッサージへも行くかもしれない。

シンプルに自分を喜ばすことが、ちゃんと誰かのためになっている。

「人のために」ではなく、「人のためにも」自分の好きなことをしていきたい。

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