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やりたいことと、「やってほしい」と頼まれること

村上春樹の『遠い太鼓』を読んでいて、深い共感を覚えた部分があった。

僕は四十になる前に二冊の小説を書きたいと思っている。いや、思っているというよりは、書く必要があるのだ。それはとてもはっきりしている。でも僕はそれに手をつけることができないでいる。何を書けばいいのか、どう書けばいいのか、それもだいたいわかっている。でも書き出すことができないのだ、不幸なことに。このままでは永遠に書けないんじゃないかという気さえする。そして頭の中をぶんぶんと蜂が飛び回っている。すごくうるさくて、僕はものを考えることさえできないのだ。

僕の頭の中では、まだ電話のベルが鳴り響いている。りんりんりんりんりんりん。彼らは僕にいろんなことを要求する。ワープロだかなんだかの広告に出ろと言う。どこかの女子大で講演をしろと言う。雑誌のグラビアのために自慢料理を作れと言う。誰それという相手と対談をしろと言う。性差別やら、環境汚染やら、死んだ音楽家やら、ミニスカートの復活やら、煙草のやめ方やらについてコメントをくれと言う。なんとかのコンクールの審査員になれと言う。来月の二十日までに「都会小説」を三十枚書いてくれと言う。
だからこそ僕は日本を出てきたわけなのだけれど、このローマでも僕のその疲弊は続いている。そして蜂は二つに分裂し、ジョルジョとカルロになった。何処に行ってもそんなの同じさ、と彼らは僕にかたりかけてくる。どれだけ遠くに行こうがそんなの同じことさ、ぶんぶんぶんぶんぶん。何処までいこうが、俺たちちゃんとついていくよ、だからあんたには何もできないんだよ、結局のところ。あんたは何もできないまま四十になるんだよ。そういう風にして歳とっていくんだ。誰もお前のことなんか好きじゃないし、この先それはもっともっとひどくなるよ。いや違うね、と僕は言う。俺はこれからちゃんと小説を書くのさ。消えるのは君たちの方だよ。

この部分が、フリーランスになってからのぼくの心境、とりわけこの1〜2ヶ月間の心境の変化と、絶妙にリンクした。

村上春樹は20代の頃はジャズ喫茶を営んでいて、1979年、30歳の時にデビュー作『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞。1981年(32歳)から専業作家となった。

1982年(33歳)に『羊をめぐる冒険』、1985年(36歳)に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を発表し、いずれも文学賞を受賞。わずか数年で、超一流作家の仲間入りを果たした。

そして、1986年(37歳)の秋に、先ほどの「僕は四十になる前に二冊の小説を書きたいと思っている」という発言があったのだ。

しかし、それまでの活躍から、各所から「あれをしてくれ、これをしてくれ」と様々な依頼が飛んでくる。

規模こそ違えど、ぼくは彼と同じ悩みを持っていた。

彼が小説を書くために専業作家になったように、ぼくも4年前、自分がやりたいことをやるためにフリーランスになった。だが、無名時代の作家が小説だけで食べていけないように、ぼくも書きたいものだけで生活していくのは難しかった。要するに、好きなところへ旅をして、好きなように文章を書いて生きていけたらいいなという憧れはあったのだが、旅費は自腹になるし、紀行文の原稿料もたかがしれているしで、それだけではやっていけない。

なので、「書いてほしい」と頼まれたインタビュー記事などを中心に、様々な仕事をする。できるだけ大きな企業から、単価の良い仕事をいただき、それで稼いで、余った時間でやりたいことをやる。

はずだったのだが、今度は次から次へと頼まれる仕事に忙殺されて、時間が余らない。依頼されるのは、ありがたいことだ。しかし、それをただ受けているだけでは、人生に虚無感を抱き、「このままでいいのか?」と悩むばかりだった。

3月末に仕事を整理して、今は個人のコンサル以外は、だいぶ仕事を減らした。コロナもあってしばらく日本を出れそうにないが、ひとまず、やりたいことをやるための土台を作ろうとしている。

仕事を減らせば、当然一旦収入は減る。ぼくはそれを覚悟のうえでリスクを取ったが、かといってこれから先、自分がやりたいことをやって活躍できる保証はどこにもない。

だから、「あんたは何もできないまま四十になるんだよ。そういう風にして歳とっていくんだ」という蜂の声、そして、「いや違うね。俺はこれからちゃんと小説を書くのさ。消えるのは君たちの方だよ」と反撃する村上春樹の心境がよくわかる。ぼくも常にこの種の葛藤と闘っている。

やりたいことで突き抜けた彼は、見事に二つの長編小説を書き上げた。『ノルウェイの森』は上下巻で430万部を売る空前のベストセラーとなった。

果たしてぼくはどうなるか。これからの行動にかかっている。

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