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講演のための思考メモ(13)先輩の言葉とブレイクスルー

2013年春、社会人3年目になったぼくは、添乗から遠ざかってもう一年半近くが経っていた。バルト三国のツアーで良い結果を残せなかったため、長く干されていたのだ。その間、仕事は東京営業所の営業部から本社の編集部に異動していて、旅行情報誌の編集とライティングに携わっていた。

海外には行けなかったが、この会社でのもうひとつの目的であった「書くこと」には、嫌というほど携われた。朝から晩まで、旅についての文章をひたすら書き、添乗員たちが書いた文章をひたすら編集する日々。編集長とぼくの二人で雑誌のすべての文章をチェックしていたから、とにかく鍛えられた。単なる学生ブロガーだったぼくの文章力が飛躍したのは、この時期だっただろう。新しい環境で慣れないことも多く、毎日が必死だった。

しかし、添乗員としてたくさん海外へ行きたいと思って入社したのに、ぼくはもう二度と添乗へ行かせてもらえないかもしれない。そう思っていたから、5月に突然上司から言われたときはビックリした。

「中村、来月添乗行かせるぞ」

「え!? どこですか?」

「プリンス・エドワード島」

そこは『赤毛のアン』の舞台となった、カナダ東部にある「世界一美しい島」と謳われる場所だった。

プリンス・エドワード島

もう、二度と添乗で失敗したくない。ぼくは初心にかえり、ツアーに参加してくださる20名の申込書を入念に読み込んだ。そのツアーに対する期待や思い入れが書き込まれているのを見て、ひとりひとりに対して、絶対楽しんでもらおうと決意した。

なかには、「小学生のときに『赤毛のアン』に出会って、それ以来ずっと憧れの場所でした」と書かれた70代の方がいらっしゃった。数十年に渡って抱き続けた憧れの旅が、ようやく実現するのだ。絶対台無しにはできない。

ぼくは、それまでの「とにかく失敗しないように」という「守り」の添乗ではなく、「お客さんが喜びそうなことなら何でもしよう」という「攻め」の添乗をしようと決めた。

昼食がついていなくて、お客さんが困るだろうなと思う場面でおにぎりを用意したり、朝食に野菜がついていない日は日本から持ってきたわかめスープを提供したり、魚料理が出て「ちょっと味が薄いわね」なんて声が聞こえた瞬間、「良かったら使ってください」とバッグに入れておいた醤油を出したり、モーニングコールで体調な悪そうな方がいたらおかゆを作って持っていったり、「赤毛のアンのミュージカルが観たい」というお客さんのためにチケットを買いに走ったり、フライトが大幅に遅延したときは航空会社のアメリカ人に「大事なお客さんを待たせてるんだ。みんなの軽食代を出してくれよ」と交渉して240ドルをもらってきたり、添乗に関していつも消極的だったそれまでの自分には、想像もできなかったくらい攻めた。

英語は苦手だったけど、「こうしたい」という情熱やジェスチャーで、空港職員やホテルのマネージャーを動かすことができた。

滞在3日目のお昼ごはんは自由食で、お客様には各自マーケットで買って食べていただくのだが、お米が恋しくなっている方もいるかもしれないので、ぼくは20人分のおにぎりを作って皆さんに配ることにした。

朝5時に起きて、日本から持参した大量のサトウのごはん(赤飯)を持って、ホテルの厨房へ行った。居合わせたスタッフに事情を説明して、大きなお鍋にお湯を沸かしてもらった。そこにサトウのごはんを入れようと思った矢先、レストランマネージャーのおばちゃんが現れて、「ここでおにぎりを作らせてください」と言うも、「あんた何してるの? 私たちこれから朝食を作るから忙しいのよ。それにあなたはここに入っちゃダメ!」と言われてしまった。

「ごめんなさい、でも、お客さんにおにぎりを配りたいんです・・・」

「何時までに必要なの?」

「8時です」

「わかったわ。そしたら、私たちが作るから、作り方を教えて」

「Wow」

英語ではうまく言えないので、おにぎりの写真をスマホで見せて、あとはジェスチャーで作り方を伝えた。正直、うまく作ってくれるだろうかと、少し不安だった。しかし、8時になるとおばちゃんがやってきて、「準備はできているわよ」と声をかけてくれた。恐る恐る容器のフタを開けると、そこには要求したとおりのおにぎりが、ちゃんとできていた。「Thank you so much!!」味もバッチリだった。

おにぎりを作ってくれたレストランマネージャー

ツアー出発前夜、ぼくは終電まで先輩からの添乗レクチャーを受けていた。カナダ担当の先輩もまた、ぼくの添乗がうまくいくように、熱心に指導してくれた。深夜0時を回ったとき、ぼくが帰ろうとすると、「もう教えられることは全部伝えたけど、最後に1分だけ、これだけ言わせて」と先輩に言われた。

「観光って、光を観るって書くじゃん。お客さんは景色とか、文化とか、その国の『光』を観に行くんだよ。景色だったら、天気が悪ければ台無しになるかもしれない。でもね、添乗員である中村くんが光になれば、お客さんは天気が悪かろうが、教会が工事中だろうが、いつでも『観光』ができるんだよ。だから、天気が悪いから旅が悪くなるなんて、決してないんだよ。中村くんが暗ければみんなも暗くなるし、明るければみんな明るくなるんだよ。中村くん次第だよ、頑張って。応援してるよ!お気をつけて!」

実は、カナダの天気予報を見ると、旅行の間ずっと雨の予報で、とても心配していた。そんなときに先輩がこの言葉をかけてくれて、天気が悪かろうが、ぼくだけは絶対に光り輝いていようと思った。

プリンス・エドワード島にて

現地では実際に雨やくもりばかりだったが、そんなことはお構いなしに、皆さん楽しんでくれた。一番のハイライトとなる日だけは、予報を見事に覆して、午後から青空が広がった。晴れて、こんなにホッとしたことはない。そこには、紫一面の、満開のルピナスが咲き誇っていた。それまでに様々な苦労があったから、余計に、「なんて美しいんだろう」と思った。

満開のルピナス。大事な日に、青空が現れた

なだらかな丘陵地帯に、赤土と畑の緑がパッチワークのように広がり、それを青空と海が囲んでいる。「世界一美しい島」と謳われるのも頷ける、あまりにも美しい景観だった。ぼくの心にいつまでも残る、忘れられない風景だ。

もうひとつ、ツアー中のこんな思い出がある。

「みなさーん、もし日本のご家族やご友人にお手紙を書かれる際は、今回は町のポストに……入れちゃダメですよ〜(笑)」

一同「え〜?どうして〜?」

「ツアー5日目の観光時に、グリーン・ゲイブルズ郵便局という場所にご案内しようと思っています。ここは『赤毛のアン』の作者であるモンゴメリが今から100年も前に働いていたところでして、今なお現役の郵便局です。実は、ここからハガキを出すと、記念の消印を押してくれるんです。せっかくこの島に来たんですから、お手紙はそこで出しましょう! なので、5日目までに頑張って書いていただいて、当日忘れずに持ってきてくださいね〜」

「知らなかったわ〜。中村さんありがとう〜」

と、このご案内は大いに喜ばれた。もし何も案内しなかっら、5日目になって、「あらー、ここからハガキ出せば良かったわ〜。ポストに入れちゃった〜」なんて声を聞いていたかもしれない。お客様にとっては、もう一生で二度と行かない場所。どんなに小さなことでも、後悔させてはいけない。

ツアーから帰国してしばらくすると、カナダからハガキが届いた。なんと、その郵便局から、お客様がぼく宛に出してくれていたのだ。これにはビックリした。ちゃんと赤毛のアンの消印が押されていた。まだツアー途中だったのに、嬉しいお言葉をいただいた。

『赤毛のアン』の消印が押されたポストカード

帰国後のアンケート結果は、96点。それまで落第点しか取ったことのなかったダメ添乗員は、初めて会社から表彰され、報奨金をいただくことになるのだった。

(つづく)

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