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雪かきとHSP

大寒波のニュース。日本海側の住民の方々が必死に除雪作業している映像を観るたび、「大変そうだな」と感じる。

雪が降るたび、雪かきをする冬の生活。

ぼくだったら、雪かきの必要のない土地に住んで、その分読書をしていたい、と感じてしまう。

その雪かきのことを考えながら、ふとHSPのことを思い出した。なんだか似ている気がした。

日本の中で、ある地域に住む人たちが、冬の間、雪かきをせざるを得ないように、人間のおよそ5人にひとりがHSPであり、他の人が悩まないような些細なことに、どうしようもなく悩んでしまう。本当に、こればかりはどうしようもない。

北陸に住んでいる方がTwitterで、「雪かきは、1日に2回、1時間ほどしています」と教えてくださった。今年の積雪量は異常な部類だろうが、それでも毎年、冬にはいくらか雪かきをするはずだ。

もちろん住む場所は自由に選べるが、きっとみんな、様々な理由でそう簡単には引っ越せない。

だが、ここで疑問が湧いた。どうしてぼくは、「引っ越したい前提」で考えてしまっているんだ? 「雪かき」を安易に「マイナスのもの」と捉えてしまうのは、ぼくの視野が狭いからではないか? 

そもそも、雪かきをしている人たちの多くは、「この土地を離れたい」とまでは思ってないのだろう。そう気付かせてくれたのも、先ほどの北陸に住む方のツイートだった。

こっちは「雪かき大変そうだな」と感じるし、実際に大変なのだろうけど、それはあくまで「雪かき」の一側面だ。当事者たちは、ぼくの知らない「もうひとつの側面」も、ちゃんと見ていた。「雪かきならではの遊び」ができるし、「いい気分転換」になる、と。このツイートに、悲壮感は感じられない。

そこに、ハッとさせられた。

HSPも、「もうひとつの側面」をちゃんと見るべきだと。

高校生の頃から、些細なことにいちいち悩んでいた。でも、悩んだことを言語化して吐き出してきたから、書く力がついた。

書く力をつけたかったから書いていたわけではなく、HSPだからどうしようもなくしてしまうことで、結果として書く力がついた。

また、繊細だからこそ、人が見過ごしてしまうような小さな変化に気付けるし、ひとつの体験から5個も10個も学びが得られ、それを書くことで「学びがあった」と読み手に喜んでもらえる。

今だってそうかもしれない。雪かきからHSPを連想してしまうこと自体に、HSPっぽさがある。これはやはり、ライターとしての資質なんじゃないかと思う。

「雪かき」にプラスの側面があるように、HSPにもちゃんとプラスの側面がある。「引越し」はできないのだから、HSPの良い部分をしっかりと噛み締めながら生きていきたい。

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