パイプオルガンをめぐる、ある奇跡の出会いと物語
2015年8月、ぼくは海外添乗員として、丸々1ヶ月間、フランスの地方都市ストラスブールに駐在していた。
そして成田空港からお連れしてきた20名強のお客様に加え、他グループを含む計100名以上のお客様と同じホテルに泊まり、現地ツアーのガイドや、お客様の滞在サポートを行っていた。
一般的な周遊型ツアーの場合、「今日はどことどこへ行って、明日はこことここへ行って・・・」と毎日の細かな行程が決められているが、この滞在型のツアーは、過ごし方の自由度が高かった。毎日複数の観光プランが用意されていて、お客様はそれに参加してもよし、個人で行きたい場所へ行ってもよし、という新しいスタイルのツアーだった。
しかし、同じ観光プランばかりではお客様も飽きてしまう。そのため、このツアーの満足度は、現地の添乗員の采配に依るところが大きかった。ぼくらはお客様に滞在を楽しんでいただけるよう、何かおもしろいスポットやイベントを見つけたら、急遽日帰りツアーや企画を組むこともしばしばだった。だから、「いかにアンテナを張りながら過ごせるか」が求められるツアーでもあった。
ある日、ストラスブールの街を歩いていると、偶然コンサートのポスターを見かけた。それは週末に小さな教会で開かれるパイプオルガンのコンサートなのだが、驚いたのは、その演奏者が日本人であることだった。「これは珍しいし、おもしろいかもしれない」とぼくのアンテナが反応した。
ネットで調べると、演奏者の大平健介さんという方は、東京芸術大学と同大学院を卒業し、ドイツ・シュトゥットガルトを拠点にオルガン奏者として活動している方だった。フランス滞在中に、日本人の演奏に立ち会えるなんて、嬉しいし誇らしいじゃないか。この情報はきっとぼくらのお客様も喜ぶはずだし、観客席に日本人がたくさんいたら、(サッカー日本代表のアウェイ戦と一緒で、)演奏者の方も嬉しいだろうと思った。
ホテルに戻り、早速お客様向けの掲示板で「こんなコンサートがあるようです」と紹介することにした。「演奏者は日本の期待の若手オルガン奏者です。添乗員・中村がご案内しますので、お時間ある方、ぜひ応援に駆けつけましょう」と。
また、ぼくはもうひとつ行動を起こした。検索したら大平健介さんのFacebookが見つかったので、彼と直接メッセージでやりとりすることができた。
演奏プログラムがフランス語のみでよくわからないでいたところ、大平さんがご丁寧に、曲目を日本語訳してくださった。おかげで、ぼくもお客様に説明しやすくなった。
そしてコンサート当日、ぼくは数十名のお客様を連れて教会を訪れた。そのせいで、会場の約半分は日本人で埋まった。現地の方々も驚いていた。初めに司会者の方が、フランス語で挨拶をした。その後、「今日はケンスケの日本の友人が来ています」とぼくを紹介してくれたので、マイクを借りて挨拶し、演奏曲目を日本語で紹介した。
本場の教会で聴くパイプオルガンの音色、これこそ旅情を感じるものである。1時間に及ぶ素晴らしい演奏のあと、大平さんがパイプオルガンのある2階から降りてきてくれた。再度大きな拍手。そして彼をお客様にご紹介するとともに、大平さんから思わぬ提案が。なんとパイプオルガンのある場所を特別にご案内していただけるというのだ。
このサプライズにはお客様も「うわぁ」と大喜び。一般の人が入ることができない通路から階段を上り、パイプオルガンの場所へ。足で弾く部分も合わせて計5段の鍵盤。ぼく自身も初めて見たので、感激だった。実際に座らせていただくことまでできた。さらに大平さん本人から、パイプオルガンの仕組みについても話していただけて、貴重な時間となった。お客様から「中村さん、素敵な企画をありがとう」と言われたのも嬉しかった。
当時の日記の最後には、ぼくがこの日の出来事から、いかに大切な学びを得たかが短く記されていた。
大平さんに御礼のメッセージを送ると、翌日こんな返信があった。
この出会いをきっかけに、ぼくと大平さんは、お互いの近況をFacebookを通して知れるようになった。
衝撃的なニュースが飛び込んできたのは、翌2016年のことだ。なんと大平さんが、「ニュルンベルク国際オルガンコンクールで優勝した」というのだ。
フランスの街で見かけた「一枚のポスター」から、たまたま知り合ったあの人が。なんということだろう。ぼくは震えるような気持ちで祝福した。ドイツで修行中の、世間的にはまだ無名に近かった大平さんは、ここから一躍、日本を代表するオルガン奏者のひとりになっていくのだった。
***
ストラスブールでの出会いから、7年の歳月が流れた。
一昨日の夜、長期の改装工事を終えたばかりの渋谷のNHKホールにて、番組収録を兼ねた「こけら落としコンサート」が行われた。
そのプログラムの目玉は、NHKホールが誇る世界最大級のパイプオルガン(パイプ本数 7,640本)。このオルガンの魅力を番組で余すことなく伝えるため、NHKが選んだ人物。それこそが、この7年間でさらなる飛躍を遂げていた大平健介さんだった。(※下の写真は撮影OKのシーン)
彼はコンクールで優勝後、ヨーロッパ各地を巡るコンサートツアーを経て、2018年にシュトゥットガルトのシュティフツ教会専属オルガニストに就任した。そして2021年に日本へ完全帰国し、現在は日本キリスト教団聖ヶ丘教会首席オルガニスト、明治学院大学横浜主任オルガニストを務めている。2022年には「アンサンブル室町」の芸術監督にも就任。
満席になるほど人気のコンサートだったが、ぼくは幸運にも会場に足を運ぶことができた。彼が組んだ多彩なプログラムは、「オルガン=バッハ、バロック」だったぼくの固定観念を大きく覆してくれた。実演を交えたオルガン解説や、現代オルガン曲や他楽器とのセッション(ファゴットとホルン)も素晴らしかった。
演奏する大平さんを客席から眺められただけで胸がいっぱいだったのだが、そのコンサート終演後、思わぬことが。なんと彼が食事に誘ってくれたのだ。そして7年ぶりの、感激の再会を果たした。
当時の懐かしい話、そしてオルガンについての話で盛り上がった。そのなかで、彼が強く持っている「オルガンの新しい魅力を日本に広めたい」という想いが印象的だった。
ぼく自身もそうだったが、やはりオルガンというと、バッハをはじめとするバロック時代の曲、というイメージが根強い。また、オーケストラと共演する場合には、サン=サーンスが作曲した交響曲第3番「オルガン付き」という有名な曲があるが、逆に言えば「日本ではもう何十年も、オルガンといえばこの曲ばかり演奏されている」という、延々とアップデートされない状況が生まれてしまっている。この「停滞感」こそが、オルガン関係者の悩みのようだ。
彼は本場ドイツでの経験を通して、オルガンの世界は中世から時間が止まっているのではなく、もちろんミサでの演奏など古き良き文化も大切にしているが、一方では「現在進行形」で新しいオルガン曲も生まれていて、曲目のレパートリーや様々な器楽とのセッションなどを含め、ほとんどの日本人が想像しているよりもずっと豊かな世界が広がっているのだと知った。
だから彼は、コンサートのたびにチャレンジングなプログラムを企画し、オルガンの知られざる魅力を少しずつ日本で広めようとしているのだった。これは非常に意義のある活動だと感じた。
とはいえ、そのような背景が理解されないまま、ただ現代オルガン曲ばかりのプログラムを組んでも、なかなかお客さんが集まらない。集まらなければコンサートとして続いていかない。だから、「演奏以外の面でも、魅力をきちんと伝えていくことの重要さを感じている」とのことだった。
大平さんがNHKホールで演奏した収録は、ラジオNHK-FM「リサイタル・パッシオ」にて、二週にわたり放送される。
初回:7月31日(日)午後8時20分〜8時55分
2回目:8月7日(日)午後8時20分〜8時55分
スマホやパソコンがあれば、NHKラジオ「らじる★らじる」というサイトから、誰でも無料で聴くことができる。
ぼくにたいした貢献はできないかもしれないが、この記事を通して、「オルガンにはまだ知らない魅力があるのね」と思ってもらえるだけでも嬉しい。そして興味のある方は、ぜひラジオで大平さんの演奏を聴いてみていただきたい。どちらの収録回もとても良かった。
大平健介さん、ありがとうございました!
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