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「良い活動」と「稼ぐこと」の両立が教育につながる

10月から主催している「雑談朝活」に、昨日、礒さんという女性が来てくださった。一年以上前から、SNSを通してぼくに興味を持ってくださっていたという。パレスホテルのおいしい朝食をご馳走してくださった。感謝です。

大学生の息子さんに起きた思わぬ出来事から、思わぬ形でご夫妻の人生が好転していったお話に、良い感化を受けるとともに背中を押された。

いろいろな話をしたが、とりわけ強く印象に残っているのは、「洋太さんのような人こそ、ちゃんと稼いでほしい」と言われたことだった。

「どんなに素敵なことをやっていても、『で、あなたはいくら稼いでるんですか?』となったら、離れていっちゃう。特に男の人はそう。どれだけ稼いでいるかを気にしやすい」

それを聞いたとき、ハッとした。「もしかしたら、昔に比べて男友達と疎遠になってしまったのには、そのことも関係しているのかもな」と思った。正確には男友達も女友達も、である。こんなことを言うと誤解を生みそうなので、きちんと説明したい。

会社員の頃やフリーランスになりたての頃は、ぼくはいろんな人と積極的に交流していた。イベントを企画して仲間を集めて、ということもよくやっていた。今とはマインドが違い、自信に溢れていた。しかし次第に、人と会う機会が減っていった。心理的に、誘うのが怖くなっていった。「以前は気軽に声をかけられたのに、なぜ怖くなってしまったんだろう?」と不思議に感じていた。誘われても腰が重たい。何かしらのメンタルブロックが働いているのは確かそうだが、その心の仕組みと原因がよくわからなかった。

おそらく友人たちは、ぼくが稼いでいようが稼いでいなかろうが、そんなことはさほど気にしていないだろう。だからこんな話をすれば、「いや、そんなの洋太の気にし過ぎだよ」「普通に声かけてよ」と言うはずだ。まさにそうだ。今回ぼくが理解したのは、「問題は、ぼくの意識の方にあったのだ」ということ。「特に男の人はそう。どれだけ稼いでいるかを気にしやすい」と言われたとき、それを気にしていたのは「ぼく自身」だったと気付けた。

表向きでは「収入がすべてじゃない」と思いながら、実は心の底ではメチャクチャ気にしていて、勝手に引け目を感じていたのではないか。

相手から「遠ざけられた」のでなく、ぼくの方が「遠ざけてしまっていた」のではないか、と感じるのだ。それはおそらく、収入で比べられると辛くなるから、心理的に守ろうとしてしまっていたのかもしれない。確かに25歳のときと35歳の今では、企業や職種によって収入の差は開きやすい。ましてや会社員とフリーランスでは、なおさらその傾向が強まる。でも実際には相手から「比べられる」んじゃなくて、単に自分が勝手に「比べてしまっていた」んだと思う。そして勝手に自己肯定感を下げていた。

心理学的に見ると、ぼくは歪んだ形で抑圧を投影してしまっているはず。劣等感や恐怖心を投影し、相手に対して苦手意識を持ったり、拒否するようになったりしていたのだと思う。だからまずは、自身の欲求や感情を隠すことなく、ストレートに感じること、受容することから始めたい。この心理的呪縛を解かない限り、「人を遠ざける→孤独になる→ますます稼げなくなる→自分は価値がないと思い込む→自己肯定感が下がる→ますます人を遠ざける」みたいな負のループにハマるだろう。これはマズいぜ、兄貴。

「自分は稼ぐに値する人間だ」と真に思えなければ、状況は変わらない。「良い活動はしているつもりだけど、全然稼げないんだよね」と内側で信じ込んでいるうちは、絶対に状況は好転しない。仕事を断ったりして稼がない選択を繰り返すうち、無意識に「自分は稼げない」と思い込むようになってしまった気がする。

だからこそ、「良い活動」と「稼ぐこと」を、ちゃんと両立させたい。余計な劣等感を抱かない程度に稼げればいい。ぼくはここ数年、人と仕事を遠ざけて、noteばかり書いていた。noteを書いても収入は得られない。「稼げなくてもいいんだ」みたいな変なプライドを持っていた。仕事をあまりしない代わりに、「良い活動」はしていたかもしれない。でも、それで無意識に自己肯定感を下げて孤立を深めているのだとしたら、本末転倒である。そんな人生は歪んでいる。書きたいことを書くのはいい。だけど、同時にちゃんと稼ぐことも大事にしようよ、ということである。「節約すれば生きていける」という思考に逃げずに。これまで、いろんな人の支えでたくさんの経験をさせてもらったくせに、自分ひとりがギリギリ暮らしていければいい、というのは自己中もいいところである。これからちゃんと結婚もしたいし、経験を人と社会に還元していきたい。年齢的にも、そういうフェーズにきている。

他人から「これからも文章を楽しみにしてます」とか「応援してます」とか言われることはあっても、「もっと稼いでほしい」と真剣に言われることはなかなかなく、それゆえに礒さんの言葉には思いやりを感じた。

朝活後、「今日はありがとうございました」と連絡を入れると、こんな返信があった。

「洋太さんがたくさん稼ぐことで、子どもたちの希望になるよう祈ってます。かっこいい大人って大事だと思います。理屈抜きで!」

本当にそうだよね。たとえ良い経験や活動をしていても、「全然稼いでいません」となったら、誰も憧れない。「真似しよう」ってならない。誰かの憧れになれるように、良い活動をして、そしてきちんと稼いでいきたい。それが教育にもつながるのだと思う。

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