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収入がなくなることで得た気付きと、心境の変化

人のご縁とは不思議なものである。ぼくは以前から「教育に携わりたい」と心に抱いてきた。そしたらたまたま先日のパイプオルガンの記事を読んでくださった中高一貫校の教員の方から、「ご相談したいことがあります」と連絡があり、一昨日zoomでミーティングをした。

「外部講師として、うちの学校で講義を担当していただけないか」と言われた。「受け身の生徒たちの心を突っつくような、刺激を与える講義にしたい」という先生の想いにも共感した。何が何につながるかわからないけど、熱量込めて文章を書くと何かが起こる。

その先生と話しながら改めて思ったのは、「これまで何がきっかけでいろいろな旅や試みをしてきたのか、その経緯と過程と学びをすべて文章で残しておきたい」ということだった。ヨーロッパ自転車旅でのスポンサー集めのことも、「ツール・ド・和菓子」のことも全部、実直な言葉で書きたい。まだまだ書けていないことがたくさんありすぎてどこから手をつければいいのか悩むけど、地道にやっていきたい。

そう思って昨日、手始めにこんな記事を書いた。

記事に書いたエピソード自体は、決して悪くないと思う。でも、「どうも自分の中でしっくりこないのは何故なのだろう?」と昨日は悩んでいた。

おそらく、「今自分がどこに向かおうとしているのか」が定かではないままに、過去の経験を書こうとしているからではないか。

「良いエピソードですね。でも、これを書くあなたは今何をしていて、どこに向かおうとしているんですか?」

と問われると、言葉に窮してしまう。ぼくは今、どこに向かっているのかわからない、ただのニートである。その問題を解決するのが先なんじゃないか、と思った。

昨日読んでいた『アンソロ・ビジョン』という人類学者による本の、前書きの言葉も鈍く刺さった。

「本書は回顧録ではない。物語の横糸として私自身の経験を使うのは、具体的な目的があってのことだ」

ぼくは何のために経験を伝えたいのか? その「具体的な目的」がないままに書き始めたら、ただの回顧録になってしまうだろう、と思い直した。

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「旅をして文章を書く」という試みをしたかったので4月あたりから徐々に仕事を減らしてきたが、とりわけこの直近の1ヶ月間は、まるで仕事をしていない。北海道と青森に行っていたのが計9日間。それ以外の21日間も、6月27日に1時間半コンサルをした以外は、読書やピアノ練習に明け暮れていた。

真面目に働いている方からは「羨ましい」と思われるかもしれないが、「働かないことの代償」は、(当たり前だけど)収入がないことである。しばらくは貯金もあるから「自由で最高〜!」と思えるのだが、収入のない生活を続けていると、徐々に不安が大きくなってくる。

ぼくは、「お金を得ない代わりに、好きなようにnoteを書き続けることで、新たな道を切り開こう」という賭けに出た。しかし、今のところその賭けには負けている。自由な時間を作るため「仕事をしない」という選択を選んだが、収入が途絶えることによる不安はピークに達してきている。これもまた「収入がなくなると人はどうなってしまうのか?」という「実験」や「自由研究」だと思っているからまだなんとか心を保てているが、一方で「そろそろ気持ちを切り替えないと、知らず知らずのうちに卑屈な人間になってしまうんじゃないか」という危惧がある。

日中は本を読んだりピアノを弾いたりして、瞬間的な楽しさで不安を紛らわせられるが、夜中は自分をごまかせない。ベッドに入っても、なかなか眠れない。心の奥で深層的に感じている不安が浮上してくるのだ。

でもそれは自分に良い気付きも与えてくれた。

仕事をしなくなると、「自分は人の役に立てているのだろうか?」という不安が生じて、自己肯定感が下がりがちになる。「人に貢献できている」と実感することは、生きるうえで健全なことなのだと肌で感じた。だから今ぼくは、「普通に仕事をしたい」という気持ちに戻ってきている。不思議なものだ。数ヶ月前は、あれだけ「もう仕事はしたくない」と思っていたのに。

では次の問題は、「これからどんな仕事をしたいか?」

どんな仕事であれば、誰かからの指示によってではなく、自らの意思によって自発的に動けるだろうか? どんな仕事であれば、好奇心とバイタリティーをフルに放出できるだろうか?

文章のスキルを生かすのか、それとも新しい仕事をするのか。そうやってあれこれ悩んでいる間はやはり眠りにつけなかったが、ある瞬間、「人の個性を輝かせるような仕事をしたい」と思い、そのとき不思議な安心感に包まれ、眠りにつくことができた。それがひとつの答えなのかもしれない。インタビュー記事を書くことによってかもしれないし、コンサルやコーチングのようなもの、あるいは教育によってかもしれないが、いずれにせよ人の個性を感じるのが好きで、ぼくはそれをより輝かせるためのお手伝いがしたい。

もうひとつ、切実に感じているのは、「無邪気に笑いたい」という思いだ。日々の生活に不安が沈澱していると、無邪気に笑えなくなってくる。常に心の奥底で生活の不安を気にしているからだと思う。

会社員の頃は、毎月必ず給料が振り込まれるとわかっていたから、余計なことを考えずに済んだ。我を忘れて無邪気に笑うことができた。

だから仕事をして、少しでもお金の心配を減らすことが大事だ。今のぼくには、それが健全なことだ。

今朝、イラストレーター安西水丸さんの『おもしろ美術一年生』を読みながら、「やっぱり仕事をしよう」と思った。彼は絵を描くことが大好きな人だったが、「仕事から離れて、自分が描きたいものだけを描こう」という人ではなかった。仕事そのものを愛し、「仕事の中で、自分が描きたいものを描こう」とした人だった。だからぼくも、そんな気持ちで仕事ができたらと思う。自分の文章を、社会とうまく調和させたい。人から離れていく文章ではなく、人や社会とつながっていくような文章を書きたい。

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