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信じること。人の本性は「善」である

朝5時45分に目が覚めた。このくらいの時間だといつもは二度寝をするのだが、今日はなんだか感覚が違った。ハッキリと目が覚め、眠気が消えていた。ポジティブな気分だった。カーテン越しに青空が見える。公園に散歩へ行きたいと思った。

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早起きできるかどうかは、心の状態とも関係している気がする。社会人1〜2年目の病んでいた頃は、朝起きるのが辛かった。でもそこから回復して、4〜6年目のいちばん元気だった時期は朝5時台に河川敷をランニングしてから出勤することも珍しくなかった。

この1〜2年くらい、ぼくはそんなに早起きできなかった。病んでいたわけでもないが、かといってものすごく前向きでいられたわけでもなかった。とくにぼくは、先日の「心を開くこと」という投稿でも書いたとおり、人に対して不安や恐れを抱えていて、そのことが早起きできるか否かの精神状態に関係していたと思う。

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けど、今朝の目覚めの印象で、良い方向に変われているのかもなと感じた。恐らくそれは、昨日読み終えた『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』の影響だろう。

この本は、実に良かった。『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリも言う通り、自分の人間観を一新してくれる。人の本性は「悪」ではなく「善」だ、ということを歴史、心理学、フィールドワーク、膨大な調査などを通して大きなスケールで、多角的な視点から示してくれた。2020年にオランダで発売されるとたちまち25万部のベストセラーとなり、全世界で翻訳され話題の書となっている。

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以前にも書いたが、ぼくは著者ルトガー・プレグマンのことを2017年から知っている。彼の前著『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』を読んだからだ。

この本も良かった。著者はぼくの1歳下で、当時20代にしてこの本を書いたのだから天才的な頭脳だと驚かされた。

でも、ぼくはずっと疑問だった。「どうしてベーシックインカムについて書いた人物が、今度は性善説について書くのだろう?」と。この本を読むなかで、ようやくそれがわかった。

ベーシックインカムは、たとえば「全ての日本国民に毎月15万円が支給されます。そのお金はどう使っても構いません。返す必要もないお金です」というような政策のことだ。「そんなのうまくいきっこない」「そもそも財源はどうするんだ」などの批判の声は必ず上がるが、これまで世界の様々な地域で実験が行われてきて、プレグマンはその意外な実験結果(ポジティブなことが多かった)を自身の本で紹介した。課題も多いが、将来ベーシックインカムが実現すれば、社会の様々な課題を解決するのではないか、と期待されている。

しかし、プレグマンは前著の刊行当時、至るところで「お金をばらまいても、人はろくな使い方をしない。なぜなら人間は本来、怠け者で、自分勝手で、不道徳な生き物だからだ。どうせ、酒や麻薬に使ってしまう」と反論されたという。

そのとき、彼の新たな関心事となったのが、「なぜ誰もが、人間に対してそのように暗い見方をするのか?」「何が原因で、私たちは、人間は本来邪悪だと考えるようになったのだろうか?」という疑問だった。

この疑問への追及として生まれたのが本書『Humankind 希望の歴史』である。そして彼は痛快に、これまでの常識や定説を覆していく。読み始めてすぐに「おもしろい!」と思った。昨年から周囲で読んだ人たちが絶賛していたが、想像を超えて意義深い本だった。

そして今のぼくにまさに必要な本でもあった。ぼく自身、人間に対して暗い見方をしてしまっていたからだ。必ずしもすべての人を信頼することはできなかった。「騙そうとしているんじゃないか」「嫌われているんじゃないか」「利用しようとしているんじゃないか」と、そういう疑念を払えないことがたびたびあった。その傾向は、フリーランスになって、会社という守ってくれる存在がなくなってからとくに強くなっていった。そしていつの間にか人を信じづらくなっていたことが、長い間、ぼく自身を暗い気持ちにさせていた。これは早起きできなくなっていたことと無縁ではなかったはずだ。 

信じたい。でも怖い。そういうのが行ったり来たりしていた。でもこの本が、暗い見方に終止符を打ってくれたような気がする。メモしたい言葉はたくさんあったが、とりわけ今のぼくに刺さった言葉だけ紹介したい。それはエピローグにあった文章だ。

 誰かの意図が疑わしく思えたら、どうすればいいだろう。
 最も現実的なのは、善意を想定することだ。つまり、「疑わしきは罰せず」である。たいていの場合それでうまくいく。なぜなら、ほとんどの人は善意によって動いているからだ。
 しかし、それでも騙された場合は、どう考えればよいのだろう。心理学者のマリア・コンニコワはプロの詐欺師に関する魅力的な著書でこの件について語っている。「常に警戒しなさい」というのがコンニコワのアドバイスだと、あなたは思うかもしれない。そうではない。彼女は詐欺やペテンの研究の第一人者だが、出した結論はそれとは大違いだ。時々は騙されるという事実を受け入れた方がはるかに良い、と彼女は言う。なぜならそれは、他人を信じるという人生の贅沢を味わうための、小さな代償だからだ。

ぼくは「心を開くこと」の投稿の最後に、こんなことを書いた。

ただ、少なくともひとつ言えることは、もし最初から心を閉ざしてランチの誘いを断っていたら、保険の営業をされることはなかったにしても、同時に元上司と再会を果たすことも、それがきっかけで明日の行動が変わることもなかったのだ。改めて、どちらの選択肢が良かったかと問われると、明日の行動が変わる方が素敵かもしれない。何も変わらない日常よりは、少しでも変化がついた方が未来に可能性が生まれる。それに、動いていた方が運も上がる気がする。

だから現時点での結論は、「勇気を出して心を開いても、嫌な目に遭うことはどうしてもある。でも、きっとそれを上回る良いこともあるから、一時の感情に負けるな!」である。明日もまた、心を開いていよう。

この最後の言葉と、絶妙にリンクした。「心を開く」は、「人を信じる」に置き換えられる。

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ぼくはこの本を読み終えて、「人を信じる」ことを基本的な姿勢として生きていきたいと思った。きっと、そのスタンスが今朝の早起きにつながったのだろう。そして朝の公園で柔らかい風を感じて、明るく穏やかな気持ちになれた。生きていれば、時々は騙される。でも、ただそれだけだ。人の本性が「善」であることには変わりはない。何度でも、そう自分に言い聞かせる。

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