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講演のための思考メモ(25)アンビリバボー出演で完結した20年間の「回り道」

「奇跡体験! アンビリバボー」出演に発展

2021年、ぼくにとって最大の出来事は、5月にフジテレビの「奇跡体験! アンビリバボー」に出演したことだった。自身のエピソードを元に再現VTRまで作っていただけて、約15分間も地上波で紹介していただけた。

アンビリバボー出演時

そのきっかけとなったのは2013年、旅行会社に勤めて3年目の春のことだった。

ぼくは葛藤していた。ランチに入った中華料理店で、隣に座った外国人の観光客が注文に手間取り、困っていたのだ。 助けてあげたいが、英語で話しかけて、逆にいろんなことを聞かれたらどうしようと恐れていた。ぼくは英語があまり得意ではなかった。

普段から、困った外国人観光客を見かけると、なるべく積極的に声をかけるようにしていた。 それには、理由があった。

新宿で迷っていたオーストラリア人親子に道案内したとき

学生時代、ヨーロッパを自転車で旅していたときのこと。パエリアを食べたいなと思って入ったスペインのレストランで、隣に座った出張中のイタリア人に話しかけられ、拙い英語で旅の話をした。 すると、「イタリアにも来るのか! じゃあボローニャに寄ったときは連絡しなさい」と言って、電話番号と名前を書いて渡してくれた。

そして2週間後、ボローニャに到着すると、無事彼と再会を果たし、地元の人しか知らないおいしいレストランに連れて行ってもらった。ぼくにとってイタリアの印象は、親切にしてくれた彼の印象と重なっているのだ。

ボローニャでご馳走してくれたステファノさん

苦手な英語で、伝わるかもわからない外国人に話しかけるのは勇気がいるものだ。しかし、「出会った人の印象が、その国の印象になる」。日本を好きになってもらいたい。思い切って「Where are you from?」と話しかけた。 すると、フランスから来たというティエリさん一家は、一瞬戸惑ったものの、流暢な英語で答えてくれた。 今回が初めての日本旅行で、東京に一週間滞在するとのことだった。

ぼくは、「寿司は食べましたか?」「このあとはどこへ行くんですか?」など、拙い英語で必死に聞いた。昼食後は銀座へ向かうと聞いて、銀座までのルートや、近くの日比谷公園など、オススメのスポットを教えてあげた。そしてこれも何かのご縁と思い、お父さんのティエリさんとFacebookでつながった。

ティエリさん一家

その日の夜、ティエリさんからメッセージが届いた。

「ヨータ、今日はありがとう。君のアドバイスで、日比谷公園に行ってきたよ。とても良かった」

本当に行ってくれたんだ・・・。ぼくは嬉しくなった。

(たしか、日帰りで鎌倉へ行きたいと話していたよな)

もっと彼を喜ばせたいと思い、ある人物に電話をかけた。それは、大学の友人である伊東達也くん(いとちゃん)。 彼にこれまでの経緯を話し、ティエリさんたちに鎌倉を案内してあげてほしいとお願いした。 実はいとちゃんは鎌倉市役所の職員で、当時世界遺産の登録を推進する部署で働いていたのだ。おまけに英語も堪能で、彼に勝る適任者はいないと思った。

ティエリさんは、日本では携帯電話が使えず、ホテルにいるときにしかメールをチェックすることができなかった。 そこでメールで、いとちゃんの写真を送り、彼が昼休みに2時間、鎌倉を案内してくれることを伝えた。

ところが迎えた当日、いとちゃんが待ち合わせ場所に着いても、ティエリさんらしきフランス人家族の姿はなかった。実はティエリさんは、ホテルを出る前、「早く駅に着くから先に大仏を見に行く、そこで会おう」というメッセージをいとちゃんに送っていた。しかしいとちゃんがそれを見逃してしまっていたようで、すれ違いが起きていたのだ。

いとちゃんは観光客が行きそうな場所を探し回った。 そして奇跡的に、歩いているティエリさん一家を発見。なんとか無事、合流することができた。楽しい鎌倉滞在になったと言ってくれた。

鎌倉を案内してくれたいとちゃん

ティエリさん一家は日本を満喫し、無事フランスへと帰国した。

この出会いから2年後。 突然、ティエリさんからメッセージが届いた。

「Hi, Yota. 日本の写真集を出版したよ」

ええ!? 実は警察の鑑識課で働いているティエリさん。カメラが趣味で、自費で写真集を出版したという。ちゃんとAmazonでも販売されていた。

そこに写っていたのは、日比谷公園や鎌倉の写真、ではなかった。「Tokyo Machines」と名付けられた写真集で、自動販売機やポストといった日本人にとっては当たり前の街角にあるものを収めた一冊だった。種類が豊富な自動販売機は、フランス人にとってとても珍しいものなのだという。

しかし、驚いたのはそれだけではなかった。写真集の最初のページには、「日本の友人、中村洋太と、伊東達也に捧げる」と書かれていたのだ。

ぼくは驚きと感動でいっぱいになった。そしてフリーライターになった2017年、この一連のエピソードを、『「Where are you from?」から始まった、ある奇跡のエピソード』というタイトルで記事にした。

それから4年後の2021年3月、フジテレビの番組ディレクターさんから突然メールが届いた。「中村さんの記事を読みました。この外国人観光客とのエピソードを番組で紹介したいです」というのだ。そして4月に取材と収録が終わった。ディレクターさんは細かなところまで実に丁寧に取材してくれた。

再現VTRでは、俳優さんがぼくの役を演じてくれた

そしてオンライン上ではあったが、ぼくはティエリさんと8年越しに「再会」することができた。もちろん、鎌倉のいとちゃんも一緒に。

その放送回は、「アナタも経験あるかも!? すべては小さな勇気から始まった」というテーマの特集だった。まさに、あのとき勇気を出して話しかけなければ、すべては存在しない物語だった。

ティエリさんとの再会

放送後、小中高の同級生や、知らない方も含め、たくさんの方からコメントやDMをいただいた。

「アンビリバボーを見て感動し、居ても立っても居られずDMをお送りしております!私も街中で困っている観光客の方を見て、助けたいなぁと思いつつも一歩踏み出せなかった経験が沢山あり後悔したりしていました…しかし、中村さんのエピソードを知り、今後は絶対に話しかけよう!英語のレベルなんて気にしない!!と心に決めました!素敵なエピソードを知ることができ、明日から生きる力をもらいました。ありがとうございます!」

20年に及んだ「回り道」

番組出演を機に、2つの大きな出来事があった。

ひとつは、ライターとしてどうありたいのか、覚悟が決まったことである。

「書いたエッセイが、全国放送で流れるレベルで評価された」ということは、大きな自信になった。そのとき、ぼくはエッセイストになろう、と決めた。作家になって、いつか自分のエッセイ集を出したい。

自身の行動と挑戦により生まれた様々なエピソードを、作品として発表していきたい。100年先、1000年先の人間が読んでも、心を温めたり、気付きを得られたりするような文章を書きたい。時代が変わっても変わらない、人間の本質や世界の美しさ、普遍的な価値を描きたい。

まっすぐな文章を書いていきたい。煽るテクニックとか、PV至上主義とかではなく、真っ当に良いものを書いていきたい。書く姿勢、生きる姿勢で人に良い感化を与えていきたい。正直にそう思ったのである。

そしてもうひとつの出来事は、母校から講演依頼がきたことである。現在母校で教員をしている同級生が、放送を観てくれていた。それが大きなきっかけとなった。

高校1年生(15歳)のとき、テレビで「ツール・ド・フランス」を観て、自転車と出会った。「高校まで、自転車で行けるのかな?」。素朴な疑問に向き合ったことから、すべてが始まった。

高校2年生のとき

大学2年、オーケストラサークルの演奏ツアーで訪ねたヨーロッパが大好きになった。その後自転車旅にハマり、大学4年生のとき、ヨーロッパ12カ国を駆け巡った。そこで様々な人の親切を受け、今度は自分が、日本を訪れる外国人観光客に親切にする番だと思った。そのようななかで生まれたティエリさんとのエピソードが、テレビで紹介された。そして講演を頼まれ、ぼく(35歳)は再び「高校に戻る」ことになった。

人生は思い通りにならないことの方が多い。でも、それでいい。思い通りにならないことでも「きっと何か意味があるはずだ」と楽しみ、その時々の気持ちを大切にしながら、一生懸命、楽しみながら生きることが大切だと、今回キャリアを振り返ってみて、改めて感じた。一見、関係ないようなことが、思わぬところでつながってくる。そういう経験がたびたびあった。

約20年に及ぶ「回り道」は、とにかく楽しかった。

(次回で最終回です)

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