目指せ! 写真甲子園(第1話)エミのカメラ
私はエミ、小林エミ。エミの家は北六甲乗馬クラブ。お父ちゃんとお母ちゃんが苦労に苦労を重ねて作り上げたんだけど、それこそゼロから作り上げたので家は常に貧乏。乗馬クラブが出来てからも右に同じ。
そういう家だから子どもの時から家の手伝いは当たり前で、高校生になっても乗馬クラブやお母ちゃんが経営する附属レストランを毎日手伝ってると言うより、エミが働く前提で成り立ってるとするのが実態。
とにかく貧乏だったから高校に入った時に貧乏を理由にイジメに遭っちゃったのよね。イジメに遭った本当の理由は貧乏じゃなかったのは後でわかったけど、とにかくエミは学校に行けない状態に追い込まれたんだ。
そんなエミをお父ちゃんは摩耶学園に転校させてくれた。でもね、高校の途中転校にも無理があったし、摩耶学園は普通に入学するだけでも難しいし、学費をどうするかも大問題だった。それでもお父ちゃんは、死に物狂いで頼み込んでエミを転校させてくれたんだ。
そんな小林家の生活が変わり始めたのが、ユッキーさん、コトリさん、シノブさんが乗馬倶楽部に入会してから。この三人は二十歳過ぎぐらいにしか見えないけど、学生じゃなくて社会人。それも学生の頃からベンチャーやってて、ユッキーさんが社長、コトリさんが副社長、シノブさんが専務って聞いてビックリしたもの。
さらにとにかく綺麗。いや、綺麗なんてレベルじゃなくて、神々しいぐらいでも足りないぐらい。それでいてとっても気さく。仕事の関係で週末にしか来れないけど、お客さんの間では、
『週末の女神』
こう呼ばれてるぐらいで、乗馬姿の見物客や、その後でレストランで一緒に食事をするのを狙うお客さんがドッサリ。そういう意味では福の神かな。
さらに驚かされるのは馬術が上手なこと。初心者って触れ込みだったけど、因縁の甲陵倶楽部馬術会との団体戦では、アジア大会代表や国体候補選手相手に勝っちゃったし、招待された甲陵倶楽部の会長杯では、オリンピック強化選手の神崎愛梨とメイウインドをシノブさんはジャンプ・オフの末に破っちゃったもの。
ユッキーさんたちは、北六甲乗馬クラブの存続の危機の時にも助けてくれたんだ。そう、あの地震の時にクラブハウスは全壊し、代が替わった地主からは地代のアップを突き付けられて瀕死の状態になってたんだよ。
これもビックリするしかなかったんだけど、ユッキーさんは弁護士資格も持ってたんだよね。ユッキーさんは地主の要求をはねのけてくれただけでなく、地震の影響で噴き出してきた温泉の権利まで確保してくれたんだ。
ユッキーさんとコトリさんは、クラブハウスの再建にも手を貸してくれた。そう再建資金をかき集めてくれたんだ。再建されたクラブハウスは以前とは比べ物にならないぐらい立派で、例の温泉付き。
この再建資金を集めるのに使われたのがクラウド・ファウンディング。エミも本当に集まるのか不安だったけど、その時のHPの写真を撮ってくれたのがアカネさん。温泉と言っても湯しかないのに、見ただけで出来上がる温泉に入りたいと感じさせる写真なのにビックリした。
このアカネさんだけどタケシさんのフィアンセ。タケシさんは日本一のスタジオとも呼ばれるオフィス加納のプロで、お弟子さん時代に乗馬クラブで障害馬術の写真を勉強するために通い詰めてた時期があってエミも良く知ってる人。
アカネさんはタケシさんのフィアンセであるだけでなく。タケシさんの師匠でもあって、やはりオフィス加納のプロなんだよね。クラブハウスが再建されてから、タケシさんと時々、温泉に遊びに来るからアカネさんともお友だちなんだ。
クラブハウスが無事再建されて、北六甲乗馬クラブは、乗馬クラブ、レストラン、温泉の三本の柱が軌道に乗ってくれたんだよ。お蔭で長年の貧乏生活から、解放とまで言わないけど、それなりに余裕が出来てくれた。
というのも、それまでは家の手伝いがあったから、学校が終わると飛んで家に帰ってたんだ。おかげでエミに付いたあだ名が、
『リボンのシンデレラ』
リボンはエミが好きだから付いたもの。それが家の手伝いから解放されたから、放課後に時間が出来ちゃったんだ。そこで部活に入ろうと考えた。とは言うものの、もう二年生だし、今さら体育会系は無理。そこに野川君が、
「写真部はどうですか」
こう誘ってくれたんだ。野川君が言うには、写真ならシャッターを押せば撮れるから、今からでも楽しめるって言うんだよ。写真部自体も小さくて、三年が不在で、二年の野川君が部長してるぐらいで、部員も全部で四人しかいないの。野川君が熱心に誘うから入る事にした。
ただ困ったのがカメラ。野川君はスマホでも十分って言ってくれたけど、さすがに写真部員がスマホじゃしまらないじゃない。でも、うちも余裕が少しできたと言っても、デジイチを買ってくれとはさすがに言いにくかった。
そこで、温泉に時々入りに来てくれるアカネさんとタケシさんに相談したんだ。お二人はエミが写真を始めることを喜んでくれて、カメラの相談をしたら、中古の手配を約束してくれた。喜び勇んで紹介してくれた岡本カメラに行ったら、出てきたのは使い込んで年季が入りまくったカメラ。
それも二十四年も前に生産が中止された骨董品みたいなもの。エミの予算じゃ、こんなものになっちゃうのかとさすがにガックリした。でも古いだけあってレンズもセットで千円と聞いて考え直した。それでも千円は安すぎると思ったら岡本社長は、
「前のオーナー様のご意向で、これからカメラを本格的に始めたい人に譲って欲しいとなっております」
これは伏せておいて欲しいと言われたけど、カメラにはブランド名として、
『Lucien』
こうなってたんだ、聞いたことがないブランドだけど、このブランド名が刻まれたカメラは世界で三台しかないんだって。それにかすれかけた文字で、
『Akane 1』
この文字がわかって震えそうになっちゃった。そうなんだよ、アカネさんが使っていたカメラで、こんなに古いカメラを最近まで仕事に使ってたって言うんだよね。つまりはプロの使用機になるんだよ。
アカネさんほどのプロが使い込んでるから年季が入りまくりだけど、同時にオーバーホールを重ねて整備もバッチリってこと。その時に気が付いた。アカネさんとタケシさんは、エミがカメラを始める餞として、カメラとレンズを贈ろうと考えられたに違いない。
しかしお父ちゃんもお母ちゃんも人から理由もなく施しを受けるのが大嫌いな人。それも知ってるアカネさんたちは、わざわざカメラを売って、エミに中古で買わせる段取りまでしてくれたんだとわかったんだ。ありがたく買わせて頂いたら、帰り際に岡本社長から、
「どうか写真を楽しんでください。それが泉先生の御希望です」
自分のカメラを抱えて写真部に入部。野川君に見せたら絶句してた。
「これが・・・あの伝説のルシエン・・・」
一息ついてから、
「写真界の伝説みたいなものだけど、泉先生は世界で二台しか作られなかったルシエンを愛用されてるってお話なんだ」
たしかにルシエンって刻んである。
「泉先生のカメラの証拠としてルシエンの文字とアカネ1とアカネ2の文字が刻まれているって」
部室にあった写真雑誌を探し回って、
「ほら、同じだ」
写真の二台のルシエンの一つとまさに同じ。
「あれは幻のカメラだからね。ニセモノもあるそうだけど、小林さんが買ったのは間違いなくホンモノ。そりゃ、泉先生がお売りになられたのは間違いないもの。それも完璧に整備されてて動くとなれば価値は・・・もしオークションに出されたりしたら青天井かもしれない」
野川君も興味深そうにあれこれ触ってたけど、
「古いものだけどちゃんと動くよ。それとこのレンズだけど、ここにほら」
みると『Akane』って刻んである。
「レンズも泉先生愛用のものだったで良いと思う。途方もない価値があるものだよ」
なにかカメラ負けしそう。
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