怪鳥騒動記(第2話)ケツアルコアトル
「シノブちゃん、ケツアルコアトルって知ってるか」
「アステカの神の名前です」
「そうやねんけど・・・」
マヤ文明ではククルカンと呼ばれてるけど、世界を創造した四神の一人。
「これが同時に人の名前でもあるんや」
は?
「神の名前と人の業績がまぜこぜになってる部分があるぐらいや」
それならわかる。
「トルテカ文明ってのがあってな・・・」
ミシュコアトルという神武天皇みたいな英雄がいて、クールワカンに都を築いたってなってるそう。そのミシュココアトルの息子がセ・アカトル・トピルツインって言って、
「そうや一の葦の年に生れたってことになってる」
息子は成長して王になるんだけど、
「ケツアルコトル・トピルツインって名乗ったってなってる」
長いからケツアルコアトルって呼ぶけど、クールワカンからトゥーラに遷都したんだって。ケツアルコアトルは優れた王だったみたいだけど、メソアメリカ文明では特異な主張をしたで良いみたい。
「そうやねん、生贄廃止をやったんや」
当時の宗教観としか言いようがないけど、メソアメリカ文明では生贄は絶対みたいな感じだったんだよね。これの廃止政策をやったもんだから、
「テスカトリポカとの抗争が生じたんや」
テスカトリポカは対立部族であるとも、神官グループであるとも、軍事勢力を持つ一族とも考えられてるけど、とにかく対立構図は、
・生贄廃止派・・・ケツアルコアトル
・生贄護持派・・・テスカトリポカ
「見ようによってはケツアルコアトル教とテスカトリポカ教の抗争としてもエエかもしれん」
この結果、勝ったのはテスカトリポカなんだけど、
「負けたケツアルコアトルは、メキシコ湾岸までくると、蛇のいかだに乗って日が昇る方向へ去っていったとなっとる」
その時に、
『私は一の葦の年、必ず帰ってくる。そして、今度こそ私が要となる。それは、生贄の神を信仰する民にとって大きな災厄となるであろう』
やっとつながった。「一の葦の年」ってなにか宗教的な意味があるかと思ってたけど、ケツアルコアトルの誕生年だったんだね。
「神話にこのエピソードが入り込んでややこしなっとる部分があるねん」
だろうな。だってケツアルコアトルは東の海に出て行って帰ってないんだもの。
「ここでコトリの興味はケツアルコアトルがいつ生まれかやねん」
一の葦の年にホントに生まれたかなんて確認しようがないけど、一の葦の年なら五二年ごとに来るから推測は可能よね。
「通説ではトルテカ文明はテオティワカン文明崩壊後に台頭したとなってる」
テオティワカン文明は紀元前後から七世紀ぐらいまで続いた文明で、今でもメキシコシティの近くに最大の遺跡が残ってるのが有名。
「メソアメリカ文明も並立があってな・・・」
大雑把にわけるとメキシコ中央高原とユカタン半島に別れるんだけど、ユカタン半島にはマヤ文明がずっと頑張ってるんだけど、メキシコ中央高原は栄枯盛衰があったぐらいかな。
「トルテカ文明の始まりは七世紀ぐらいでエエと思うんやけど、問題は終りや」
この辺の考古学的論争はあるんだけど、
「コトリはチチメカ族の侵入説を取ってる」
チチメカとは「乳を飲ませる」の意味らしくて、遊牧民族らしいのだけど、
「メソアメリカ版のゲルマン民族の大移動でもあったぐらいの見方や。中国なら北方民族の侵入かな」
チチメカには「新しく来た人」の意味もあるらしいから、コトリ先輩の見方も一理あると思う。クアウティトラン年代記てのがあるらしいけど、
「十六世紀に作られたもんらしいけど、原本は無くなってて、十七世紀の写本が元やそうや」
さらにトルテカ・チチメカ史もあるたしいけど、これも十六世紀に書かれたものらしい。どっちも成立が新しいと言えば新しいけど、
「さらに原典があったと見るのが妥当やと思うで」
とにかくそれぐらいしかないものね、
「ケツアルコアトルはトゥーラを建設して、去ってるやろ」
「そう見れますね」
「トルテカ・チチメカ史には一〇六四年にトゥーラに到着したとなってるねん。一方でクアウティトラン年代記にはトルテカ王国は終焉したとなっとるねんよ」
どういうこと?
「中国式ちゃうかな。トルテカの方が文明は進んどったけど、チチメカの方が武力は強かったてことや。それでもって、トルメカを滅ぼしたチチメカはトルメカの後継者を名乗ったぐらいや」
「だったらケツアルコアトルがトルメカ王で、テスカトリポカがチチメカ王ぐらいですか」
「そう見とる」
そうなるとトルメカ文明は
・七世紀から十一世紀半ばまでのトルメカ王国
・十一世紀半ばから十二世紀のチチメカ王国
この二つがあったことになるかもしんない。
「ここでやけど、トゥーラは地名でもありそうやけど、単に都って意味もあるそうやねん。他にも理想郷とか、憧れの都市とか」
「では一つじゃない」
コトリ先輩の説は面白くて、ケツアルコアトルはトルメカ王の中でも傑出していたんだろうとしてるのよ。だからこそケツアルコアトルと名乗ったなり、呼ばれたんだろうけど。
「当時は神官王でエエと思うけど、ひょっとしたらもう一歩進んで神王やったんかもしれん」
「エジプトのファラオみたいなものですね」
要は代々の王もケツアルコアトルを名乗っていた可能性もあるんじゃないかって。
「ではチチカカ王を迎え撃ったのはセ・アカトル・トピルツインじゃなくて」
「子孫やったんかもしれん」
コトリ先輩はもう一歩考えてた。メソアメリカ文明も多神教だけど、トルメカ族はケツアルコアトルを守護神ぐらいにしてたんだろう。神の扱いは信奉する部族の興廃に連動するから、この時期に神としての地位が上がったんだろうって。
後から侵入したチチカカ族はテスカトリポカを守護神としてたけど、ケツアルコアトルも取り込んで崇拝したんじゃないかって。
「そやから初代のケツアルコアトルは七世紀まで遡れる可能性があるってことや」
コトリ先輩との歴女の会はおもしろい。
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