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セレネリアン・ミステリー(第1話)うさぎの餅つき

 コトリ社長がうさぎの餅つき計画を担当され始めたのは立花小鳥時代になりますから三十年以上も前になります。とにかく莫大な予算が必至の計画ですから、理論研究というか、可能性を検討する時期が長く続いていました。
 
「うちも企業やからコストに合わんもんはできへん」
 
 あれこれ試算したところ月面基地建設だけで十兆円ぐらいは必要です。月面基地建設計画は二十世紀末から何度も計画され、二十一世紀になって米中露が建設に成功はしています。しかしいずれも数年で放棄されています。
 
「維持費が莫大過ぎるんや」
 
 宇宙ステーションもそうですが、地球外で人類が暮らすには、すべてを地球から運び込む必要があります。たとえば月面基地で四人の宇宙飛行士が一年過ごすのに、水だけで数千トンは必要とされます。
 
「月にも水はあるんやが・・・」
 
 極地に百億トンぐらいはあるのはあるのですが、これを採取するためのプラントが必要です。米中露の月面基地も利用は考えていたようですが、そこまでの基地拡大に至る前に予算的に挫折してしまったぐらいです。

 酸素も当然必要になるのですが、これについては月面に堆積しているレゴリスに含まれるシリカから取り出す試みが行われています。月面上のシリカの四十%以上は酸素なのですが、
 
「あれもトラブル続出やった」
 
 水を取り出すのも、酸素を取り出すのも熱源が必要です。しかし月面で熱を得るのは容易ではありません。そこで太陽光を集める手法が取られたのですが、結局のところ酸素の自給までには程遠かったのが実情です。
 
「レゴリスも厄介でな」
 
 非常に細かい砂ぐらいのイメージで良いと思いますが、とにかく細かいのでどこにでも入り込んで来ます。酸素プラントのトラブルもこれに起因するものが多く、さらに月面基地の多くのトラブルの原因もそうだろうとコトリ社長は見ています。
 
「無重力が欲しいんやったら宇宙ステーションで十分やろ」
 
 月面基地の最大のメリットとして、ここからの宇宙探査を行うのに有利とされます。月の重力は地球の六分の一ぐらいですから、地球と較べると宇宙船の離発着が格段に容易になります。

 しかし、そこまでの利用となると単なる観測基地のレベルを越える規模が必要で、さらに言えば火星ぐらいを探査したところで、国の威信を示せるのがせいぜいで、かけた費用をペイするには程遠過ぎるというのがあります。

 ごく単純には、月面基地を利用してさらなる宇宙探査を行う需要が地球には未だにないぐらいでしょうか。ですから米中露も月面基地を建設維持できることを示しただけで撤収してしまったともいえます。ところが近年になり再び月面基地建設の動きが出ています。
 
「丸菱も頑張ったからな」
 
 四十年前の第二次宇宙船騒動の時にエランのエンジン技術の研究を請け負ったのが丸菱重工です。エラン製品の大部分はロックがかかっており、研究調査は難航なんてものじゃなかったのですが、かなりの劣化コピーとはいえ、
 
『宇宙トラック』
 
 これの開発に成功しています。課題だった燃料制御も徐々にですが改善され、宇宙ステーションへの補給コストを劇的に下げてくれています。これを利用すれば月面基地建設コストも維持費もかなり安くなる算段が出て来ています。
 
「あれはエエで。あれが実用化される前は宇宙ステーションと一回往復するだけで二十億円ぐらいかかってたからな。それが今では一億円かからんし搭載量は五倍や」
 
 そうなのです。一挙に百分の一になってしまったのです。搭載量の増大は宇宙ステーションの大型化にもつながり、宇宙での生活環境を一変させています。それだけでなく宇宙飛行士になるためのトレーニングも大幅に緩和されています。

 宇宙トラックが大活躍することで宇宙ステーションに新たに加わったのが宇宙ホテルです。定員は十人ですが、富裕層の憧れになっています。もっとも一週間で一億円ぐらい必要ですが、それぐらいなら払えるので大人気となっています。これを月面基地にも建設すれば人気を集めるとの皮算用があれこれと行われています。

 宇宙トラックによる宇宙観光のメリットは、その積載量から宿泊客に必要なものをすべて自前で運び込んでもオツリが出る点です。宇宙ホテルの定員が十人なのも、宇宙トラックに積載量から算出されたと聞いています。丸菱はさらなる大型宇宙トラックの開発に力を入れています。
 
「あれは月狙っとるで。考えようやけど、宇宙ステーションに行くのも、月行くのも技術的には難度としてムチャクチャ差があるわけやないからな」
 
 それに呼応してからうさぎの餅つき計画も充実してきています。当初は、それこそコトリ社長が一人で片手間でやっていました。もっとも、あの頃はどうやって月で餅を搗くかに熱中され、ウサギのコスプレの宇宙服とか研究してましたけどね。

 それが今では科技研の宇宙局に発展しています。この辺はエラン製品のロックが、かなり外せるようになり、知識と技術が蓄積してきた部分が大きいところです。コトリ社長が構想しているのはやはり月面ホテルで良さそうです。
 
「それぐらいしか元取れる商売は月にないし・・・」
 
 ただ自力で作るにはコストが膨大過ぎるのは相変わらずです。やはり作るならどこかが中核的な月面基地をまず建設し、そこの付属施設として便乗するぐらいです。それと観光となると安全面の担保が欠かせません。
 
「問題は最初から乗るか乗らへんかや」
 
 月面基地建設計画で現在一番有力なのはセレネー計画。アメリカが中心となっていますが、特徴は民間からの出資を広く募っている点です。その出資額に応じて建設後の利用利権が変わるぐらいです。

 ただ相手は月ですから、この計画の成否は賭けみたいなものになります。アメリカも月面基地建設経験がありますが、もし失敗したら出資額はパーになります。それと現時点では一兆円ぐらいになっていますが、こういうものは実際に計画がスタートしたら数倍に膨れ上がるのはいつものことです。
 
「でもホントに一兆円で出来るのならエレギオン単独でも可能ではないですか」
「ノウハウが乏し過ぎるわ。エレギオンが単独でやったら十兆円はすぐに上回る」
 
 問題は他にもあって、月面基地建設が順調に進んでもホテル経営に至るまで何年かかるかわからないというのがあります。もう少し言えば、ホテル経営が許可されない可能性だってあります。どう考えても優先事項じゃないですもの。

 セレネー計画への参加はコトリ社長もかなり真剣に検討されていました。どれぐらい真剣だったかは、
 
「コトリ、女神の仕事でも起こったの」
 
 大学生のユッキー副社長をわざわざ呼び出してまでの相談です。ここも肩書が煩雑になりますが、ユッキー前社長は怪鳥事件の時に宿主代わりをされ、今はコトリ社長です。ただ副社長の席は空けてあり、復帰次第副社長に就任予定です。ですから、副社長とミサキも呼ばせて頂いています。
 
「セレネーは乗っておくべきだと思うわ」
「ユッキーもそう思うか」
 
 ユッキー社長も前回の経験をアメリカは活かしてくるだろうから、成功する公算が高いと見ているようです。
 
「ホテルは無理でもレンタル研究室って手もあるじゃない」
「それは考えてる」
 
 月面の重力の小ささは無重力とは違った意味で、新たな製品開発の可能性があります。だから自前の研究室はどこの国も欲しいはずです。レンタルどころか科技研だって欲しいはずです。
 
「だからそれが出来る程度に乗るのならリスクは減らせるよ」
「そやな、どうせ追加出資要請があるやろから、その時点で考えたらエエか」
 
 あれこれ検討の末に、百億円程度の参加で検討することになりました。もちろん出資条件の交渉は「恐怖の交渉家」であるコトリ副社長が粘りに粘りましたから、かなり有利な条件にはなっています。

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