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カエルと人

自分の中の答え、見解はその物事をどれだけ理解しているかで変わる。物事を深く勉強するとその答えは二転三転し、気がつけば結局何も知らなかった時と同じになったりもする。

現代は民主主義でバカもトンマも秀才も天才も権利は同じ。何も知らない人の意見と、色々調べ上げ考え抜いた専門家の意見が一致した場合、『意見は同じだが中身が違う』と思う。だろうが、僕はさして変わらないと思う。

カエルの単純な脳の思考。人間が悶えて考えた哲学。

両者この時代を生きていることに変わりはなく、生命に上下はない。長年勉強して考え抜いて出た答えだから至高などというのは、自分が費やした時間に対する言い訳、弔いであると思う。

熟練の技で作られた絵画と、何も知らない子供の絵が同じく素晴らしいように。無邪気なパンクロックと、研ぎ澄まされた現代音楽がどちらもそれぞれの聴衆の心を掴むように。世界中のみんなが同等の知識を持つことはないし、みんなが同じ芸術を愛することもない。

ちなみになぜカエルで例えたかと言うと、夏なので草野心平の蛙の詩を読んでいたから(ごぶらっふは蛙のおじいちゃんのあだ名)。

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つまり僕が言いたいのは、バカも、天才も、怠け者も、努力家も、それぞれの意見はその人だけが人生で得た答えであって、どれも尊く自信をもって発言すべきだと思う。『オラは無学だから、政治の事は頭いい人に任せるだよ』なんて言っていると、頭の良いぶった人たちの都合の良い社会が出来るだけだ。

これは政治の話だけでなくどの分野でもそうだと思う。

世界を見渡せば分かるが、『専門家』は自信満々で間違えるので、専門家じゃない人もドンドン自分の意見を述べていこう。でも何も調べないで発言するんじゃなくて、自分の出来る範囲で勉強して。

あと僕が思う重要なことは、それが自分で考えて出した答えであること。

自分の出した答えは『生きる』と同義語だと思う。

世界にはもしかしたら数学のように『答え』があるかも知れないけれど、砂浜の一粒の砂のような僕たちは『答え』には程遠い。

自分の小さな意見に固執せず、新しい事を取り入れて、常に省みる姿勢があれば、全部正解。

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